立川飛行場物語 下
昭和59年8月~昭和60年3月掲載
第199回 続、陸軍航空廠
第200回 読者投稿「陸軍航空(支)廠」
第201回 不寝番や物干場当番
第202回 陸軍気象部立川観測所
第203回 立川兵器製造所
第204回 東中神駅
第205回 移転時の陸軍航空工廠
番外 土の大巨人逝く
第206回 製造所長・波多江市造さん
第207回 勤労動員の思い出
第208回 四式戦闘機「疾風」
第209回 航空工廠女子職員の日記
第210回 航空工廠の宿舎問題
第211回 八清住宅誕生秘話
第212回 宇治川の「お止め石」
第213回八清、封切り映画館も…
第214回 「興亜の泉」
第215回 「興亜の泉」落成式での祝詞
第216回グラフ・八清住宅
新春番外 牛と飛行場
第217回 立川飛行第五聯隊の重要性
番外 母と立川の町
第218回 陸軍航空技術研究所
第219回 官衙の改変
第220回 技研の始まり
第221回 佐野光信第二代五聯隊長
第222回 航空医学の研究
第223回 飛行場と病院
番外 創刊五周年に寄せて
多摩この1年の出来事=後期=(昭和59年8月~60年3月)
昭和60年4月~昭和61年3月掲載
第224回 立川共済病院の桜並木
第225回 小林実さんと立川共済病院
第226回 飛行機探知や電探研究
第227回 グラフ・天皇陛下と飛行場
第228回 「技研」、わたしの記憶から
第229回 特殊研究費
番外 「耳ふさぎ」の風習
第230回 「技研」の疎開
第231回 南方派遣航空技術部
第232回 山水中学校(現桐朋学園)
第233回 戦時中の消防組織
第234回 昭和第一工業学校
第235回 入学式で宣誓
第236回 陸軍航空審査部
第237回 真夜中の自動車整備
第238回 学校も軍隊化
第239回 久野千代さんからの尋ね人
第240回 89歳、平和への願い
第241回 “終戦”を迎えて
第242回 キ-77=A-26長距離機
第243回 A-26長距離機“秘話”
第244回 「A-26」反響に応えて…
第245回 「A-26」読者の資料から
第246回 ロ式B-SS-1
第247回 元従軍記者・岡さんの手紙
第248回 2号機、翼全体が燃料タンク
第249回 立飛、初の設計試作「A-26」
第250回 立川飛行機の疎開
第251回 青木春男さんの手紙から
第252回 聞き書きこぼれ話
第253回 立川の町名、街道名
番外 立川市歴史民俗資料館の開館
第254回 昭和20年の立川飛行機
番外 原田先生との半世紀を偲ぶ
第255回 終戦時の立川飛行機
第256回 終戦間近の福生飛行場
第257回 福生・立川飛行場見聞記
第258回 立川飛行機の絵ハガキ
第259回 「戦時貯蓄債券」を追って
第260回 ダグラスDC-3
第261回 昭和飛行機
第262回 『昭和飛行機史誌』から
第263回 昭和飛行機小作工場
多摩この1年の出来事(昭和60年3月~61年3月)
昭和61年3月~昭和62年2月掲載
第264回 「ハナ」「バイハナ」
第265回 陸軍が残した軍事資材の行方
第266回 米軍、まず立川高校に進駐
第267回 八高線の二大事故
第268回 農地・軍用地解放
第269回 多摩川の砂利採集
第270回 「原住民立入禁止」「検閲」
第271回 40年前の立川観光協会趣意書
第272回 基地周辺の風俗
第273回 駅前の出水と“あかずの踏切”
第274回1枚の写真は語る
第275回 終戦直後の通貨
第276回 戦後の政治家群像
番外 日野橋架橋60年
第277回 闇ドル400円で売買
第278回 駐留軍の指導で防火デー
第279回 立川を詠む
第280回 騒音に泣いた立川
第281回 終戦直後の立川と詩人
第282回 基地と労働問題
第283回 駐留軍労務者と労働争議
第284回 「日野の渡し碑」除幕
第285回 多摩の消防、救急活動
第286回 税制やPTAも米国式に
第287回 終戦後の特飲街界わい
第288回 米軍進駐と商い
第289回 “明治節”の思い出
第290回 21年、都下に初、両陛下立川へ
第291回 立川エアホースホスピタル
第292回 朝鮮戦争の前後
第293回 朝鮮戦争と基地周辺
第294回 汚染井戸水騒ぎ
第295回 駐留軍の施設慰問
第296回 米軍のタンク車炎上事件
第297回 立川基地返還の瞬間
第298回 華やかに独立記念祭
第299回飛行場周辺の風景
第300回 写真で見る基地返還式
第301回 消えゆく飛行場の残影
第302回 飛行場は夢の如く遠い
連載終了に当たって 尽きせぬ想いあふれ…
多摩この1年の出来事(昭和61年3月~62年2月)
年表・資料・略歴あり
著者略歴あり