徒然草新抄(昭和14年発行)
- サブタイトル
- 編著者名
- 金子 元臣 編者
- 出版者
- 明治書院
- 出版年月
- 1941年(昭和16年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 21×
- ページ
- 128p
- ISBN
- NDC(分類)
- 375.83
- 請求記号
- 375.83/Ka53
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和16年9月5日文部省檢定濟 師範學校・中學校國語漢文科用 高等女學校國語科用
- 昭和館デジタルアーカイブ
つれづれなるままに
いにしへのひじりの御代の
家居のつきづきしく
神無月の頃
おなじ心ならむ人と
ひとりとも火のもとに
和歌こし尚をかしきものなれ
いづくにもあれ
をりふしの移り変るこそ
よろづの事は月見るにこそ
何事もふるき世のみぞ
衰へたる末の世とはいへど
斎宮の野宮におはします
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世
静に思へば
人のなきあとばかり
雪の面白う降りたりしあした
朝夕へだてなく馴れたる人の
名利につかはれて
ある人法然上人に
五月五日賀茂の競馬を
唐橋中将といふ人の子に
春のくれつ方
あやしの竹の編戸の
公世の二位のせうとに
ある人清水へ参りけるに
光親卿院の最勝講奉行して
老来りてはじめて道を
応長の頃伊勢の国より
亀山殿の御池に
仁和寺にある法師
これも仁和寺の法師
御室にいみじきちご
家のつくりやうは
久しく隔りて逢ひたる人の
人の語り出でたる歌物語の
延政門院
岡本関白殿
賀茂の岩本橋本は
筑紫に何がしの押領使
書写の上人は
元応の清暑堂の御遊に
名を聞くより
いやしげなるもの
世に語りつたふる事
世の中にその頃
今やうの事ども
何事も
人毎に
屏風障子などの
うす物の表紙は
竹林院入道左大臣殿
法顕三蔵の
人の心すなほならねば
惟継中納言は
下部に酒飲ますることは
ある者小野道風の
奥山に猫また
赤舌日といふこと
ある人弓射ることを
牛を売る者あり
堀川相国は
ある人任大臣の
尹大納言光忠入道
大覚寺殿にて
寸陰惜む人なし
高名の木のぼり
双六の上手
大かた聞きにくく
今出川のおほい殿
宿河原といふ所にて
寺院の号
友とするに
鯉の羹
鎌倉の海に
唐の物は
養ひ飼ふ物
人の才能は
無益の事をなして
人に後れて
顔回は
物に争はず
貧しき者は
高倉院の法華堂の
資季大納言入道
くすし篤茂
花はさかりに
祭過ぎぬれば
家にありたき木は
身死して
悲田院の尭蓮上人は
心なしと見ゆる者も
世を捨てたる人の
御随身秦重躬
明雲座主
能をつかむとする人
為兼大納言入道
この人東寺の門に
筆をとれば
遍照寺の承仕法師
世の人相あふ時
一道にたづさはる人
年老いたる人の
さしたる事なくて
貝を覆ふ人の
若き時は
鎌倉中書王にて
降れ降れこ雪
四条大納言隆親卿
相模守時頼の母は
城陸奥守泰盛は
吉田と申す馬乗の
よろづの道の人
ある者子を法師になして
今日はその事を
夜に入りて
くらき人の
達人の人を見るまなこは
徳大寺右大臣殿
亀山殿建てられむとて
人の田を論ずるもの
よろづの事は
秋の月は
平宣時朝臣
最明寺入道
ある大福長者のいはく
建治弘安の頃は
竹谷の乗願房
陰陽師有宗入道
多久資が申しけるは
後鳥羽院の御時
園別当入道は
すべて人は
よろづの咎あらじ
人の物を問ひたるに
主ある家には
丹波に出雲といふ所
御随身近友が自讃とて
八つになりし年
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