青春三十年
暁鐘 序章として
創設 大正九年~
一期生江戸英雄
広大な原野に建設
校友会の発足
第一回記念祭
優秀な教授陣
「日本一の競技場」
二高との対校競技
旧満州に去った岡部講師
舟橋聖一と土方定一の出会い
大躍進の野球部
『影の人』創刊
「純真な魂の喪失」に衝撃
転機 大正十二年~
水高落成の祝賀行事
関東大震災の波紋
暁鐘会の設立
講演会に秋田雨雀
きびしかった理乙
インターハイで活躍
宇都宮徳馬が社研に
校長排斥でスト
思想 昭和二年~
問題になったストーム
校長排斥事件
「水高の黄金時代」
市民が群がった街頭ストーム
社研に解散命令
校友会雑誌への介入
「陛下のくしゃみ」
水高社研の解体
整備 昭和五年~
暁鐘寮が正式名に
新しい寮歌の誕生
整備の時を迎えて
国家への批判の目
インターハイ活躍の陰で
テロの季節
母が出てくる唯一の寮歌
野外教練をボイコット
水高細胞の壊滅
全員入寮制の緩和
第三寮から出火
思想対策で定員減
模索 昭和九年~
水戸学への懐古
辻政信と水高生
暁鐘の落成
二・二六事件
運動部批判と文化部
戦火拡大でつつましい記念祭に
俳人金子兜太の誕生
激減した水戸中出身者
苦肉の「暁鐘大運動会」
皇居前広場で「合同御親閲」
大戦 昭和十四年~
第六代校長に高島規孝
戦没者慰霊祭
校旗の制定
初の文化部出の全寮委員長
歓迎コンパと背景
陸軍航空通信学校生と衝突
「自治冒涜事件」
水高報国団の結成
歓迎ストーム批判にこたえて
理科生大増募で寮を改造
太平洋戦争に突入
理科で五クラス二百人に
警戒警報発令下のコンパ
インターハイ開会式に東条首相
修業年限を二年に短縮
動員 昭和十八年~
生活批判全寮コンパ
一年生だけの委員会
すさまじい落第旋風
至上命令の「修練要綱」
新しい試み「太平洋ストーム」
「自治寮暁鐘寮は終わった」
文系の徴兵猶予停止
大いなる死の現実
出陣学徒壮行会
新しい寮生規約の通達
二年生は勝田工場へ
警察官僚が校長に
暴行事件で事情聴取
「水高を江田島にする」
一年生だけの寮生活
亡国 昭和二十年~
勤労動員の日々
工場からの卒業
学校本館に軍司令部
「軍隊式の厳格さを寮に」
水戸空襲で被災
敗戦―「高校生の知性に動揺はない」
校長排斥運動
文部省へ抗議
盟休問題で紛糾
新校長に関泰祐
再建 昭和二十一年~
校友会再建へ
火事で寮焼失
友部へ移転
部制度の復活
戦後初の新入生
記念祭の復活
マルクス主義思想家梅本克己
二高戦の再開
同窓会の再建
「新しき知性の出発」
「マルキシズムからの重圧」
廃校 昭和二十三年~
唯一の女子水高生
自治委員会を組織
最後の二高戦
女専と合同公演
記念祭に幕
「暁鐘は再び鳴る」
「訣別の宴」
「スト決行中」
消えた革命近しの幻想
水高精神は消えず