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田無非核・平和運動資料集 上巻

サブタイトル1~10
編著者名
田無市 編者/田無非核・平和運動資料集編集委員会 編/田無市総務部庶務課 編
出版者
非核・平和をすすめる田無市民の会
出版年月
1994年(平成6年)8月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
306p
ISBN
NDC(分類)
319
請求記号
319/Ta85/1
保管場所
閉架一般
内容注記
田無非核・平和都市宣言十周年記念 共同刊行:田無市
和書
目次

第1章 第二次世界大戦と田無の戦争体制
田無町町勢一覧 '32
在郷軍人会の模擬演習 '33・2・21
関東防空演習の準備 '33・6・23
防空予行演習の委員 '33・7・30
防空予行演習終了 '33・8・6
町と村の鳥瞰図・田無町(上) '33・8・16
町と村の鳥瞰図・田無町(下) '33・8・17
中島飛行機の発動機試験場(防音装置) '33・10・12
発動機試験場の防音装置の試験 '33・11・9
騒音問題解決に関する会見 '33・11・27
東京府北多摩郡国防協会田無町支会会則 '34・2
発動機試験場の防音装置完成 '34・5・25
青年訓練所生徒の連合野外演習 '34・10・5
青訓生の連合野外演習 '34・10・6
中島飛行機騒音問題の再発 '34・10・25
中島飛行機でガソリンタンクが爆発 '35・4・28
騒音問題に関係町村が排斥運動 '35・7・24
中島製作所の排斥を決議 '35・7・24
中島飛行機の移転拡張 '35・10・31
中島飛行機の田無移転 '36・3・27
中島飛行機の拡張工事'37・1・18
騒音禍の取消を陳情 '37・1・30
武運長久祈願祭と五穀豊穣祈願祭の案内 '37・4・19
某軍需品工場の田無進出 '37・6・26
総持寺の国防献金運動 '37・7・19
田無町の決議と申合事項 '37・7・19
国防婦人会の軍人援護運動 '37・7・31
田無町出動将士所属部隊一覧表'37・10・9
上海戦の大勝と田無地方 '37・10・27
田無町青年団で音楽部を創設 '37・11
国民精神総動員の町民大会 '37・11・18
田無町国防協会の国防献金運動 '37・11
入営者のための神前式参加呼びかけ '37・12・2
南京陥落と田無地方 '37・12・7
田無町昭和十二年事務報告・兵事関係 '38
急激な工場地帯化 '38・1・29
美濃部博士、田無署へ '38・2・2
国民精神総動員実行委員会協議事項 '38・2・8
建国祭奉祝の行事 '38・2・9
建国祭典と田無町 '38・2・11
戦死者の町葬 '38・3・15
中島飛行機武蔵野製作所竣工 '38・6・3
住宅不足で社務所にまで“間借” '38・6・4
田無町で大アパート建設を計画 '38・6・15
貯蓄報国運動と田無地方 '38・6・29
武運祈願と一日一銭貯金 '38・7・8
中島飛行機が大アパートを建設 '38・7・26
土地買収祝の宴会に非難 '38・7・30
家賃・地代の相談所を新設 '38・8・9
田無教育隊の第一日 '38・9・11
東日本防空訓練と田無地方 '38・9・16
産業報国会結成の懇談会 '38・9・29
慰霊の日'38・10・7
武漢陥落で緊褝一番 '38・10・26
武漢陥落と田無町 '38・10・28
武漢陥落と田無地方 '38・10・29
工場協会相談所を新説 '38・10・30
護国貯金のすすめ '38・11・1
第二次防空訓練と田無町 '38・11・25
第二次防空訓練と田無地方 '38・11・26
家庭衛生婦人会の組織を計画 '39・1・21
日本精神発揚週間・田無教育隊 '39・1・31
日本精神発揚週間・田無工場街 '39・2・2
日本精神発揚週間・田無町の計画 '39・2・3
愛国婦人会の組織拡充へ '39・2・3
田無出身兵士の初陣信 '39・2・3
廃品回収強調週間と田無 '39・2・24
国民百億円貯金運動と田無地方 '39・3・21
田無小学校の農繁期勤労奉仕 '39・4・21
産業戦士の事故防止'39・4・22
好景気の裏に住宅難 '39・4・22
産業戦士の銃後生活刷新運動を提唱 '39・4・23
はるか戦線からの陣信 '39・5・13
田無小学校の長期慰問戦 '39・5・16
田無署で職工防犯対策協議 '39・5・16
中島飛行機武蔵野製作所で幼年工を殴打 '39・5・22
横暴な幹部を弾圧・中島飛行機暴行事件 '39・5・23
責任者から始末書、中島飛行機暴行事件 '39・5・25
工場街の災害防止対策 '39・6・3
中島飛行機の女工補導所 '39・6・30
第二次東部防空訓練 '39・7・5
防空演習第三日目 '39・7・20
防空演習第四日目 '39・7・21
銃後農村の労働補給案 '39・7・25
排英町民大会 '39・8・1
少年工病弱化 '39・8・2
排英田無町民大会 '39・8・5
緊急排英民国大会の宣伝ビラ '39・8・5
不良職工を検挙 '39・8・27
中島飛行機が「徒弟の家」を建設'39・8・30
最初の興亜奉公日 '39・9・1
欧州大戦と田無地方 '39・9・3
田無学童の作品を広東日語小学校へ '39・9・13
田無校の銃後強化週間 '39・9・16
吉祥寺住宅の工場設置反対運動 '39・10・5
昭和重工業会社東京工場竣工 '39・10・18
第三次防空訓練始まる '39・10・24
第三次防空訓練第二日 '39・10・25
第三次防空訓練第四日 '39・10・27
第三次防空訓練第五日 '39・10・28
中島飛行機修養団支部連合会発会式 '39・11・4
勤労成人講座の準備 '39・11・9
歓楽街の姐さんも国民精神総動員に参加 '39・11・11
入選防諜標語 '39・12・3
産業報国会連誉主催の時局問題講演会 '39・12・12
出征軍人遺家族慰安会 '40・1・15
「紀元二千六百年」の紀元節 '40・2・11
紀元節の行事 '40・2・11
出征軍人遺家族慰安学芸会プログラム '40・3・1
田無署管内の産業報国運動 '40・3・2
軍人援護教育“三カ条” '40・3・16
家庭衛生婦人会を結成 '40・3・16
帰農する者が続出 '40・4・11
女子青年団の皇軍慰問運動 '40・5・8
中島飛行機で農繁期の休暇制 '40・5・24
駐在巡査を通じた世論調査 '40・5・25
同潤会の新しい労務住宅 '40・6・2
田無小の工場実習計画 '40・6・7
節米運動に混食を奨励 '40・6・19
学童の隣組制 '40・7・14
在郷軍人分会の申し合わせ事項 '40・7・21
中島飛行機が家庭相談部を設置 '40・7・31
隣組学童の剛健遠足 '40・8・16
防空訓練の注意書 '40・8・20
第二次防空訓練第二日目 '40・8・23
防空訓練の準備訓練 '40・8・24
代用品愛用運動'40・8・25
田無町の防空訓練予定 '40・8・27
田無町の防空訓練 '40・8・27
田無産業報国会による青少年の軍隊式訓練 '40・9・8
田無産業報国会の体育大会 '40・9・8
東京地方産業体育大会で第一位 '40・9・15
田無産業報国会一周年 '40・9・22
新体制は国民服から '40・9・25
防空訓練の第二日 '40・10・2
防空訓練の第四日 '40・10・4
大政翼賛会、日独伊三国同誉の祝賀式典 '40・10・13
大政翼賛会、日独伊三国同盟の祝賀大会 '40・10・13
女工の適正賃金'40・10・26
“紀元二千六百年”の奉祝計画 '40・11・8
廃品回収 '40・11・8
“紀元二千六百年”の奉祝 '40・11・10
“紀元二千六百年”の奉祝宴 '40・11・11
お手製モンペで登校 '40・11・27
先生達の報国農場 '40・12・2
武蔵野女子学院の防空壕 '40・12・19
内鮮融和親睦会の活動 '40・12・20
内鮮融和親睦会の臣道実践宣言式 '40・12・20
田無女子青年団の縫物奉仕 '40・12・20
「田無産業報国」の創刊 '40・12・20
新春警防始 '41・1・6
商業報国会支部の結成 '41・1・25
産業報国会連合会の事業計画 '41・1・29
在郷軍人会の模擬動員演習 '41・1・29
武蔵野女子学院の防空訓練 '41・2・6
大政翼賛会の支部役員 '41・2・11
産業報国会の建国祭 '41・2・11
青年学校生徒の勤労奉仕 '41・2・14
大政翼賛会田無町支部の役員 '41・3・20
北多摩郡大政翼賛会支部理事会 '41・5・8
海軍記念日 '41・5・27
挙って国民服の着用を '41・6・6
朝比奈工場の工員住宅新築の話題 '41・6・18
勤労青年の善導策 '41・8・3
煎餅屋さんの半転業 '41・9・4
警防団再編成の提案 '41・9・7
慰霊の日 '41・10・4
電話緩和策の陳情 '41・10・11
第二次防空訓練の総合訓練 '41・10・23
第二次防空訓練最後の猛訓練 '41・10・24
半転業者の健康保険資格取得 '41・11・1
商店街の戦時協力 '41・11・4
昭和十六年度町民税納税義務者別賦課額表 '41・11・17
各地の防火デー '41・12・1
必勝国民大会 '41・12・19
敵国降伏の大護摩厳修 '41・12・22
田無町昭和十六年事務報告 '41・12
初の大詔奉戴日 '42・1・8
産業報国会の皆労演争 '42・1・9
産業報国会の紀元節計画 '42・1・27
産業報国会・商事報国会の紀元節行事 '42・2・11
戦捷第一次祝賀日'42・2・18
陸軍記念日の行事 '42・3・10
戦捷第二次祝賀日 '42・3・12
工場青年の農耕援助 '42・4・1
青年学校生徒に南方語 '42・4・19
学徒増産報国隊の出動 '42・5・17
翼賛壮年団の幹部練成会 '42・8・13
産業報国会で結婚相談と生活指導 '42・8・20
大人気の営団住宅 '42・9・12
大東亜戦争の第一回論功行賞 '42・10・15
洋服商の建鑑費寄託 '42・11・20
学生奉仕隊を連合体に改組強化 '42・12・11
産業報国会主催の祈念式 '42・12・14
新年の増産必行祈念式 '43・1・1
田無の防空訓練 '43・1・28
決戦増税の実施 '43・3・1
防空群指導員の講習 '43・3・7
軍需造船用材の供出 '43・4・14
軍需造船供木運動 '43・4・16
産業戦士に感謝の夕 '43・4・24
山本五十六元帥の国葬 '43・6・5
米英撃滅全産業人蹶起志気昂揚運動 '43・6・9
二百七十億貯蓄増強期間 '43・6・15
北多摩郡の大政翼賛会支部役員 '43・6・25
少年飛行兵目ざし猛訓練 '43・6・27
「田無」から「田有」へ '43・7・8
商業報国会の配給挺身隊 '43・8・16
田無防空本部の新機構 '43・8・21
田無町の在郷軍人会分会長 '43・10・31
〇〇田無工場の始業式 '43・11・6
実践的総合防空訓練 '43・11・27
米英撃滅の戦意昂揚町民大会 '43・12・8
戦意昂揚町民大会 '43・12・8
常設の託児所設置を計画 '43・12・18
農業報国会を組織する方針 '44・1・9
女子挺身隊の結成 '44・1・22
総合商店街の創設計画 '44・1・23
都立託児所の開設 '44・2・2
託児所授産場の開設 '44・2・12
陸軍記念日に慰問袋を発送の計画 '44・2・16
料亭が女子寮に転身 '44・3・9
戦時託児所いよいよ開設 '44・3・10
従業婦続々工場へ '44・3・12
国民服とモンペ姿が圧倒的 '44・3・21
都立戦時託児所が入所式 '44・3・27
翼賛壮年団が買出部隊駆遂の運軍 '44・4・5
団体食堂に魚介の増配'44・4・13
雑炊食堂の指定 '44・4・13
武蔵野都市計画 '44・4・15
産報、労報、商報の改組 '44・4・26
武蔵野都市建設への動き '44・4・30
“奥様工場”へ一斉出動 '44・5・21
戦時託児所新設 '44・5・23
夜間の防空訓練 '44・7・6
サイぱン島“玉砕”に総蹶起、戦勝祈願 '44・7・19
在日朝鮮人の献金 '44・7・23
戦没者慰霊祭 '44・8・2
刑部先生の胸像も応召 '44・8・13
殊勲甲に二勇士 '44・9・9
米英撃滅手打ちうどん会 '44・10・8
田無町役場の決戦体制 '44・10・15
蔬菜の輸送 '44・10・31
武蔵野署管内九ヵ町村の協同作戦 '44・11・25
牛馬車五十台を九ヵ町村に配車 '44・11・28
空襲への反発が増産に拍車 '44・12・3
空襲被害をたちまち復旧 '44・12・3
一市五ヵ町村でも人員疎開を実施 '44・12・18
正月用の特配の品々 '44・12・21
「われ等は翼の戦士なり」 '45・1・14
田無町長「翼で戦捷の終止符を」 '45・1・20
疎開者のためにわが家の門を開け '45・1・30
学童の集団疎開 '45・3・3
勤労動員学徒の殉職 '45・3・14
「郷土死守」の防衛精神 '45・3・25
警防団の新陣容 '45・7・27
爆死町民供養 '55・4・12
旧中島飛行機の跡に石川島重工が進出'56・9・19
戦災者慰霊塔を建立 '57・3・22
戦災者慰霊塔の除幕式 '57・4・12
空襲で生き埋めとなった遺体発見'61・5・27
戦没者慰霊の鐘楼堂を建立 '66・2・20
第2章 東大原子核研究所と田無
内閣総理大臣(原子核研究所設立趣意書提出) '53・5・6
原子力研究の原子核物理学者の意見 '54・3・20
原子力問題に関する学術会議の声明 '54・4・22
第一回核研協議会 '54・6・1
田無の東大農場が有望'54・6・30
田無の東大農場に敷地決る '54・7・16
核研八月末には着工 '54・7・17
田無町議会で設置に反対 '54・7・20
町議会、調査特別委員会初会合 '54・7・22
核研敷地の要請書、町議会 '54・7・26
反対運動の方針ねる町議会 '54・7・26
チリやホコリが問題と厚生省 '54・7・27
三ヵ年で計画完成
原子核研究所設置反対期成同盟規約案 '54・8
朝永博士らから聞く、全員協議会 '54・8・10
反対の協闘申し入れ '54・8・11
原子核研究所設置について '54・8・19
田無原子核研究所設置反対特別委員会、開催 '54・8・29
東大側二項目の訂正申入れ '54・8・30
核研設置に係る議認事項 '54・9・8
労働組合、決議文 '54・9・10
原子核研究所設置について'54・9・22
原子核研究内設置について '54・9・28
原子核研究所のめざすもの・上 '54・9・28
原子核研究所の目指すもの・下 '54・9・29
菊池正士氏より町議会への手紙 '54・9・29
朝永振一郎氏より町議会への手紙 '54・9・30
菊池博士、納得方を申入れ '54・9・30
菊池博士、納得方を申入れ '54・9・30
東大総長への確認 '54・10・12
東大、設置条件を確認 '54・10・12
設計図出来る、着工二十五日 '54・10・21
核研在京小委員会報告 '54・10・22
核研設置強行に反対する声明 '54・10・25
町民と物理学者の話し合い '54・10・25
原子核研究所、懇談会報告 '54・10・25
核研在京小委員会報告 '54・10・26
町長、議長より関係各位に意見を求める文書 '54・10
建設準備を中止 '54・10・26
学術会議の方針決定的 '54・11・4
工事再会、決る '54・11・6
本工事着手、十日から '54・11・6
東大総長へ抗議議文 '54・11・8
町議会、東大総長に抗議文 '54・11・8
東大総長へ反対委が抗議文を発送 '54・11・8
民主主議科学者協会、核研設置反対の回答 '54・11・9
「原子核研究所に関する原子核物理学者の基本的態度」'54・11・13
朝永博士が田無町へ '54・11・13
田無町民の意見、ラジオ放送 '54・11・16
原子核研究所、職員内定 '54・11・30
抗議よそに着々と進行 '54・11・30
反核同盟ビラ'54・12・12
町議会、連絡協議会設置申入れ '54・12・13
町議会、連絡協議会設置申入れ '54・12・15
核研、五年後に完成 '54・12・22
東大、必要あれば連絡機関設置と回答 '54・12・22
核研小委員会、その後の田無問題について '55・1・13
研究者の皆さんに訴える '55・1・20
原子核研究所、完成図作成 '55・2・23
中国から田無町民へ激励 '55・2・26
東大核研、三十年度予算 '55・4・14
第一期工事が完成 '55・5・7
核研監視のための反対特別委は存続 '55・6・6
ガス誘致の早急実現へ、田無町議会 '55・6・11
核研へガス引込み '55・6・17
核研所長に菊池博士 '55・7・1
本格的研究は一年後 '55・7・25
連絡協議会設置を申合せ '55・7・29
第十回核研小委員会 '55・10・31
動き出す原子核研究所 '56・1・5
連絡協議会、練直し'56・1・19
核研、連絡協議会に全面協力 '56・1・28
核研でボヤ '57・6・26
核研、完成・57・11・7
原子核研究所設置の経緯に思う '68・8・25
原子核研究所を訪れて '68・8・25
原子核研究所に於ける諸問題 '75・4
原子核研究所の設立と菊池先生 '75・12・1
核研設立のころ '75・12・1
核研、実験中に事故 '80・5・8
核研、事故の原子力安全局の調査 '80・5・11
東大核研で汚染事故 '80・5・12
田無市が監視体制強化を要望 '80・5・12
事故に対する設明会、お知らせ '80・5・12
市民等、核研に抗議 '80・5・13
迫られる核研の体制見直し '80・5・13
核研事故、住民集会の呼びかけ '80・5・13
核研事故、住民集会 '80・5・13
核研事故、住民、不安訴える '80・5・13
核研、市民監視を検討 '80・5・13
核研事故に対する田無市公害監視委員会、要望書 '80・5・16
核研事故に対する申入書(92の別紙) '80・5・16
核研事故に対する田無市議会の要望決議 '80・5・19
核研事故に対するおわび '80・5
連絡機関を常置せよ '80・5・25
核研事故に経過、市報で報告 '80・6・1
市長、東大核研などに要望書提出 '80・6・2
核研よりの事故報告書 '80・8・26
核研、実験室改修工事を完了 '80・11・20
核研、放射能汚染事故処理等について '81・3・1
核研、加速器の電源焼く '82・3・20