図書ショウワ エイガ セソウシ000038303

昭和映画世相史

サブタイトル1~10
編著者名
児玉 数夫 共著者/吉田 智恵男 著者
出版者
社会思想社
出版年月
1982年(昭和57年)10月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
350p
ISBN
NDC(分類)
778
請求記号
778/Ko18
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
和書
目次

昭和二年(一九二七)
「鳴門秘帖」は三社競作
美文、名調の謳い文句、ここにあり―「紅顔の侠児」
「大帝の密使」と山中峰太郎
駆落ちした「椿姫」(岡田嘉子、竹内良一)
嵐長三郎(寛寿郎)“鞍馬天狗”登場
ムサシノとエノケン

昭和三年(一九二八)
安兵衛とサデイ・トンプスン
アメリカ評判作の無断翻案、頬かぶり映画―「天恵」
空中戦映画流行をもたらす空の名作―「つばさ」
銀幕に地下鉄映画登場―「地下鉄三吉」
大河内伝次郎“丹下佐膳”初見参
サイレント最後のスウェーデン映画―「情火の渦巻」

昭和四年(一九二九)
クララ・ボウはモガの代名詞
円タク、銀幕を走る―「円タク稼業」
神秘性輝くガルボの「肉体と悪魔」
“カルメン”から“シラノ”まで翻案時代劇流行
トーキー最初の「四枚の羽根」

昭和五年(一九三〇)
最後の“ヴァンプ”女優―ベテイ・アーマン
ミュージカル映画の先駆―RKO「リオ・リタ」
小笠原子爵子息兄弟の「撃滅」の講堂のゴザの感触
マリリン・ミラーを、美文、名調子で紹介―「恋の花園」
トーキーは空も海も征服した―「暁の偵察」「海の巨人」
警察弾圧の下で“傾向映画”とプロキノの運動活発

昭和六年(一九三一)
和洋(日本映画と洋画)番組のはしり
「モロッコ」―日本版・初お目見得
映画館争議頻発
南海映画の名作「タブウ」
「唐人お吉」映画の競作

昭和七年(一九三二)
SP系vs独立連盟映画サーキット
「トレイダ・ホーン」大当り
松竹vs不二映画―「金色夜叉」競作
日活vs松竹、トーキー合戦
ジーン・ハーロウ売り出す
「太平洋爆撃隊」―非常時日本で大当り
「類猿人ターザン」誕生

昭和八年(一九三三)
「マルガ」大当り
石油成金ヒューズが作った航空喜劇―「天国爆撃隊」
エノケン新宿進出大当り
SY系vs日活洋画チェーン―説明部の廃止
「キング・コング」登場!
「東京音頭」と「あめりか祭」

昭和九年(一九三四)
アメリカ、イタリアの軍備デモンストレーション映画
エノケン映画進出
クララ・ボウ引退
飛行船爆破事故と飛行船映画
「隣りの八重ちゃん」は二番館でも大好評
軍国色濃いご時世と「生きとし生けるもの」

昭和十年(一九三五)
「未完成交響楽」の反響
「外人部隊」銀幕を行く
PCLの傑作「放浪記」
検閲でズタズタ「春の調べ」
セシル・B・デミル、大戦を予言?―「十字軍」

昭和十一年(一九三六)
喜劇王、東と西の顔合せ―日劇の“ニコニコ大会”
“あーのねェー”のおっつぁん売り出す―「怪盗白頭巾」
メエ・ウエスト、銀幕に君臨―「美しき野獣」
ヨーロッパ映画の人気、急上昇
日本語版騒ぎおさまる

昭和十二年(一九三七)
流行語とPCL―東宝映画
ハヤブサ・ヒデト、トーキーに挑戦
洋画輸入不許可
ニュース映画の専門館続出
林長二郎(長谷川一夫)顔を切られる
テムプルvs悦ちゃん

昭和十三年(一九三八)
「オーケストラの少女」大当り
検閲の鋏乱れ飛ぶ―「南海征服」ほか
エノケン東宝入り
東宝のお笑い・新二人組

昭和十四年(一九三九)
南明座の初春番組―キートン喜劇と連続活劇
高杉早苗引退
洋画は解禁になったけれどさらに検閲の鋏乱れ飛ぶ
事変下、三社三様の番組
「愛染かつら」は続篇・続々篇
ふえるナチス宣伝短篇と減る“B”西部劇
検閲恐怖、ためらう「スエズ」

昭和十五年(一九四〇)
初春は“弥次喜多”合戦
傑作「コンドル」―その邦題名の周辺
ダグラスよ、永遠に
大陸シーンの処理、鮮やかな「妻の場合」
排日気運のハリウッド映画に芸者ガール登場
李香蘭の人気爆発
日活、異色の空とぶ時代劇
アメリカ映画、いまだ健在なり

昭和十六年(一九四一)
生めよ殖せよ政策「子宝夫婦」
「偉人エーリッヒ博士」と秦佐八郎博士
アルゼンチン映画・初登場
メロドラマ「桜の国」も国策映画
「青春乱舞」に鋏も乱舞
開戦の前夜と直後の映画界

昭和十七年(一九四二)
名説明三人会
大映の創立と第一回作「維新の曲」
十年ぶりに現れた「靴屋の大将」
最後の日活映画「海の豪族」
横浜に現れた「鞍馬天狗」
ご禁制のはずのアメリカ映画を堂々上映

昭和十八年(一九四三)
“戦ふ映画界”
日本、イタリア、幽霊喜劇が鉢合せ
スペクタクル「阿片戦争」
黒沢明第一回作「姿三四郎」登場
Uボート再び浮上―「潜水艦西へ!」
木下恵介第一回作「花咲く港」登場
日本映画のアメリカ調
文化映画製作会社、映画雑誌の統合

昭和十九年(一九四四)
もはや映画どころではない
日比合作「あの旗を撃て」
舞台人の銀幕登場
中聯・中華・満映・第一回共同作品「万世流芳」
洋画はドイツ映画四本
映画題名も決戦型

昭和二十年(一九四五)
笑いの爆弾―「勝利の日まで」ほか
大顔合せ異色作―「必勝歌」ほか
終戦を迎えるまでの227日
戦い敗れて―軍国主議の鉄鎖から解放される!
「リンゴの歌」誕生
新生日本映画界、松竹の「天国の花嫁」
アメリカ画映「ユーコンの叫び」封切
日劇はグランド・ショウ開演
名門シネマパレス再出発

昭和二十一(一九四六)
新作「グランド・ショウ1946年」
トレイド・マークも変貌
平和初春の日本映画
接吻映画第一回作「はたちの青春」
ターザン帰る!熱烈なターザン・ファン、全国に
CMPE「我が道を行く」
戦後初の『キネマ旬報』誌 ベスト・テン

昭和二十二年(一九四七)
東宝争議から新東宝誕生
スターとスター、顔合せ映画の流行―「大江戸の鬼」など
CMPEの異色作「我等の町」
ロッパvsエノケン
日米合作映画の第一作か?
終戦二年目の映画館

昭和二十三年(一九四八)
“アメリカ映画は文化の泉・娯楽の王者”
テクニカラー映画初登場
戦後“弥次喜多”初登場
工都川崎の映画熱―『川崎映画評論』創刊
飢餓、インフレ最悪の年に「我等の生涯の最良の年」
“母もの”―大映で大当り
イギリス映画、フランス映画も新作登場

昭和二十四年(一九四九)
アメリカ映画雑誌PHOTOPLAY日本語版発刊
美空ひばり、銀幕デビュー
東宝「青い山脈」ヒット
ジョン・ウェインのリパブリック西部劇初登場
反共映画、早くも登場
活弁による無声映画大会
戦後の東京を描いたアメリカ映画TOKYO JOE
早川雪洲、日本に帰る

昭和二十五年(一九五〇)
“腰抜け”ホープ売り出す
“プロンディ”銀幕に登場
連続活劇「竜眼島の秘密」
アクロバティック・ダンサーの映画出演
流行語と映画題名
黒沢「羅生門」との反響
漫画王ディズニイ、最初の長篇「白雪姫」登場
「エデンの海」―舞台と映画

昭和二十六年(一九五一)
松竹の正月映画「情熱のルンバ」
ハリウッド・ロケ隊で活題騒熱の「東京ファイル212」
ススウェーデン映画の訪れ―「シンゴアラ」
色彩の美しい「黒水仙」
戦後最初のSF映画「月世界征服」
日本最初の総天然色映画「カルメン故郷へ帰る」というのは誤り
トリッパー、合作映画に出演
CMPE幕を引く

昭和二十七年(一九五二)
アメリカ各社自社配給開始、MGMは「二世部隊」
ドイツ映画初登場、ヨーロッパ映画活況
山口淑子の“日本の戦争花嫁”
新邦人俳優レーン・中野、紹介
ヴァレンチノの伝記映画、登場
アニメの人気者ウッデイ、日本では不発に終る
秋シーズンはチャップリンと「風と共に去りぬ」
京マチ子、大映スターに輝く

昭和二十八年(一九五三)
時代劇は次郎長ブーム
遠征ロケの「ハワイの夜」
「ひめゆりの塔」クランク・インのあとさき
松竹は総天然色「夏子の冒険」
ベスト・セラー「千羽鶴」の映画化
映画で性教育を―「十代の性典」ヒット
山下将軍は雪洲か阪妻か―「山下奉文」
立体映画の登場
シネマスコープ「聖衣」で初登場
アメリカ映画の当り女、当り男

昭和二十九年(一九五四)
アジャパー、伴淳の活躍―「お役者変化」
モンロー、デマジオ、新婚旅行は日本に
戦争映画の変容「さらばラバウル」
文芸映画ブームと「或る女」
“真知子巻き”を流行させた「君の名は」第三部
スターは“八頭身美人”から
新顔怪物罷り通る―「大アマゾンの半魚人」
感涙「二十四の瞳」
ヘップバーン・カット流行―「ローマの休日」
「ゴジラ」は強い

昭和三十年(一九五五)
超巨人スクリーン時代来る―シネラマ誕生
製作再開して迎える日活の初春
時代劇三羽烏、錦之助、千代之介、扇雀、売り出す
日本映画界・活況―秋の陣

昭和三十一年(一九五六)
グレイス・ケリイ銀幕を引退、王妃の座へ
TVから銀幕へ、“プロ・レス”ブーム輸入、国際女優谷洋子が大もて
“太陽族”映画売り出しの秘策
デンスケ、銀幕に飛びだす
SF、怪獣映画の流行

昭和三十二年(一九五七)
皇太子の学友を描いた「孤独の人」
美空ひばり塩酸事件
ジミーは天国に去ったが、ディーン人気は地上をおおう
プレスリイの指南番はヌード・ダンサー
羽仁進監督の野心作「動物園日記」
木下一家「喜びも悲しみも幾歳月」
“いかす”の典型、裕次郎売り出す
ハリウッドの豪勢なオカネの話

昭和三十三年(一九五八)
日本映画界もワイド・スクリーン時代
日本のハリウッド人、ハリウッドの日本人
映画館の濫立による不況
セシル・カット流行
映画づいた石原慎太郎
海を越えた道中熱
東映動画最初の長編色彩漫画映画
「白蛇伝」登場
仲間を肴に―「FBIモスクワへ潜行せ」

昭和三十四年(一九五九)
MMに対抗、フランスのBB
裕次郎を追う“渡り鳥”旭の人気
フアッション・モデルの渥美延、“底抜け”ルイスと共演
ピンク映画のはしり、新東宝大蔵イズム
「嘆きの天使」―30年版、59年版を対比すれば
ヌーヴェル・ヴァーグ、日本の銀幕に匂う映画出現、ただし日本は匂いなし

昭和三十五年(一九六〇)
正月映画の顔ぶれ
日本のヌーヴェル・ヴァーグ
映画業界凋落の兆し
東映アニメにグランプリ
小津安二郎の世界は続く

昭和三十六年(一九六一)
シナリオ作家松山善三、監督業で成功―「名もなく貧しく美しく」
赤木圭一郎の死
ゲイリー・クーパーの死
大映映画「釈迦」
映画による国際交流―「価値ある上」など
「ウェスト・サイド物語」大ヒット

昭和三十七年(一九六二)
正月映画の顔ぶれ
新手の殺陣場面―黒沢明「椿三十郎」
映画界の悪あがき―五社協定
ATGの誕生
勝新太郎の変貌―“座頭市シリーズ”スタート
マリリン・モンロー、ノーリターン
「太陽はひとりぼっち」―画面に飛びかう“白い蝶”

昭和三十八年(一九六三)
極め付き、長谷川“雪之丞”
山本富士子、五社の妨害?に泣く
「天国の地獄」と吉展ちゃん事件
「地下室のメロディ」をめぐるアラン・ドロンの商魂
「切腹」ハラキリ場面、カンヌで注目を浴びる
喜劇王ロイドの来日
小津安二郎の死―映画界への弔鐘

昭和三十九年(一九六四)
「砂の女」の一本立興行成功
劇場用映画のテレビ放映はじまる
名門松竹ついてにピンク映画を製作「白日夢」の評判
セックス路線と純愛路線
市川崑監督「東京オリンピック」

昭和四十年(一九六五)
もう一本のオリンピック映画
東宝映画の旧作、連続公開
007ものに人気沸騰
日本テレビ「ベトナム海兵大隊戦記」始末記
「黒い雪」事件
ベルリン映画祭でピンク映画上映
松竹京都撮影所閉鎖
マカロニウェスタンの人気あがる

昭和四十一年(一九六六)
三島由紀夫監督、主演「憂国」
“番外地もの”東映を救う
ソウル、アジア映画祭執行委員長、出頭を命ぜられる
ソ連映画「戦争と平和」封切
深夜興行の隆盛
インド映画「大地のうち」封切
世界のミフネ面目をほどこす

昭和四十二年(一九六七)
アングラ映画の隆盛
韓国一般公開「忘れ得ぬ慕情」のカット部分
三船プロ「黒部の太陽」始末記
今村昌平監督「人間蒸発」のハプニング
占領軍没収の原爆フィルム、返還
占領軍接収フィルム返還

昭和四十三年(一九六八)
映画俳優の後進性、テレビアレルギーをおこす
三十年の歴史をもつ『映画の友』廃刊
アメリカ返還原爆記録映画テレビ放映
カンヌ映画祭、続行不可能となり中止
返還映画、国立近代美術館での公開はじまる
田宮二郎大映をクビになる
加藤剛、名誉毀損による慰謝料請求の訴訟を起こす

昭和四十四年(一九六九)
「心中天網島」の試み
ピンク映画「ナオミ」イタリアで上映禁止
寅さんシリーズ「男はつらいよ」スタート
時代劇復興

昭和四十五年(一九七〇)
アメリン・ニューシネマ人気を呼ぶ神近市子、「エロス+虐殺」を名誉毀損で告訴
国立フィルム・センター開館―そのお役所仕事振り
『映画芸術』休刊
パラマウント、ユニヴァーサル両日本支社閉鎖、CIC発足
作業三島由紀夫の割復演技と自決

昭和四十六年(一九七一)
カンヌ映画祭当局に大島渚が公開状
ATG映画繁盛記
モデルガン規制、映画にも適用?
フランス製サムライの登場―「レッドサン」
大映倒産
黒沢明自殺未遂

昭和四十七年(一九七二)
日活ロマンポルノ騒動
緋牡丹お竜、藤純子の引退
映画関係出版の隆盛
映倫の新審査基準
映画館数の激減
ロマンポルノ、『キネマ旬報』ベスト・テン入り
『キネ旬』ベスト・テン、選考者の対立

昭和四十八年(一九七三)
東映やくざ映画余談
高峰秀子「恍惚の人」出演にまつわる風聞
立体ポルノ映画登場
大島渚「創造社」を解散
「山口組三代目」上映反対抗議
「人間革命」ヒット

昭和四十九年(一九七四)
カラテ映画「燃えよドラゴン」ヒット
後続カラテ映画
フランス映画女優、フランソワーズ・ロゼーの死
オカルト映画「エクソシスト」ヒット
「氷雪の門」のトラブル
センサラウンド方式採用―「大地震」
“エマニエル”ブーム

昭和五十年(一九七五)
阪妻映画祭成功
世論調査、ポルノ全面解禁に賛成は二十パーセント
大島渚「愛のコリーダ」製作のゲリラ戦術
東映映画村開村
映画スター出演料
洋高邦低の配給収入

昭和五十一年(一九七六)
テレビ映画の監督料
「愛のコリーダ」日仏で大当り
唐十郎、安藤昇、銃砲刀剣等不法所持容疑で逮捕
MGM争議妥結
ユナイト本社「ソドムの市」で猥褻物陳列罪容疑でガサ入れ
「エンテベの勝利」の敗北

昭和五十二年(一九七七)
松竹、大船撮影所の独立を発表
田中絹代の死
城戸四郎死す
宮城まり子の壮挙―「ねむの木の詩がきこえる」
「ブラック・サンデー」上映中止となる
「愛のコリーダ」起訴
チャップリン死す

昭和五十三年(一九七八)
矮体短足組よ悲観するなかれ―武田鉄矢の人気上昇
「人間の証明」「八つ墓村」と角川商法
和製SF「宇宙からのメッセージ」のお手並
「ベルサイユのばら」フランスの評判

昭和五十四年(一九七九)
「影武者」芸能ジャーナリズムを仏かす
「愛のコリーダ」裁判第一回判決
テレビ局による映画製作―「象物語」「将軍」
アメリカ映画「仁川」、日本での反対運動
チラシ集め、ブーム

昭和五十五年(一九八〇)
興行成績一位は「銀河鉄道999」
家庭崩壊の見本「クレイマー、クレイマー」大当り
パリに映画博物館開館
「影武者」カンヌ・グランプリ受賞、興行も当る
「スター・ウォーズ」ヒット、入場料一五〇〇円にアップ
「カリギュラ」グアムで試写会
「将軍」テレビ放映前に劇場でダイジェスト版封切

昭和五十六年(一九八一)
女流シナリオ・ライ辺ーの進出と定着
国際障害者年と三本の身体障害者映画
「一条さゆり・漏れた欲情」アメリカに輸出決定
戦争映画陸続大当り―「連合艦隊」
映画の日は入場料半額!
黒柳徹子〈トット基金〉設立
映画の先覚、相ついで世を去る

記録・人名索引