起て皇國農村米英撃滅に體當り
目次なし
[1] 創業から創立40周年まで―明治43年~昭和57年―
日野自動車工業の創立までの沿革(明治43年~昭和17年)
東京瓦斯工業の自動車製作への意欲
日野製造所設立までの紆余曲折
日野重工業の設立(昭和17年~昭和24年)
軍需産業の中核を担って
終戦時の危機
動きだした平和産業への挑戦
賠償工場指定解除と新たな門出
飛躍・発展の時代(昭和25年~昭和29年)
朝鮮戦争下での自動車業界の伸長
ルノー公団との提携で小型乗用車へ進出
大型部門充実で高まった評価
総合自動車メーカーとしての確立(昭和30年~昭和35年)
現実化していった輸出戦略
“モータリゼーション”の幕開け
国際化への対応と販売戦略の一本化
本格的モータリゼーションの到来(昭和36年~昭和38年)
「コンテッサ」「ブリスカ」の誕生
会社をあげて輸出に邁進
第1回日本グランプリレースでの快挙
新型車発表とルノーの生産打ち切り
国際化時代を迎えて(昭和39年~昭和44年)
世界に羽ばたくコンテサテッサ1300
トヨタグループとの全面提携
新型車開発と輸出増強を柱に
経済激変のなかでの挑戦(昭和45年~昭和49年)
ワンナップ“赤いエンジン”の登場
「D号作戦」の推進と輸出戦略の展開
オイルショックを乗り越えて
“世界の日野”へ(昭和50年~昭和54年)
輸出企業への変貌を企図した新戦略
トータルパワーを発揮して海外へ
1980年代への大いなる挑戦(昭和55年~昭和57年)
年間輸出3万台の目標達成へ
スーパードルフィンの登場
創立40周年を迎えて
[2] “世界の日野”を目指して―昭和57年~平成4年―
経営
経営環境の変化と日野自動車
昭和57年度―商品力強化に全力投球
昭和58年度―品質保証体制確立の年に
昭和59年度―間接部門業務の効率化を図る
昭和60年度―全社を挙げてコスト低減を推進
昭和61年度―環境悪化に対応して原価低減活動
昭和62年度―トヨタとの業務提携20周年
昭和63年度―中期的視点に立った体質強化策
平成元年度―経営の基盤固めと企業イメージの向上
平成2年度―開かれた発想、開かれた組織を目指す
平成3年度―1990年代幕開けの年
トータルパワー体制の展開
トータルパワー思想誕生
トータルパワーの源流、C・C・T
利益計画委員会とD・L運動
TP-R2スタート
自販でもTP作戦フェーズ2展開
キャッチ21活動
イキイキ21運動を展開
QC活動の発展と情報システムのハイテク化
10年目にデミング賞受賞
改善を主体にした問題解決型からの脱皮
海外QCサークル活動の発展
提案は質的に向上
社内システムのハイテク化
中期構造改善計画を軸とした企業経営へ
中期構造改善計画
1991~1995中期経営計画(略称「91中計」)
21世紀ビジョン正式制定
創造的人間集団を目指して
パラダイムの変革のために
福利厚生の諸制度・施設
社会貢献活動への積極的参加
開発
開発力増強3ヵ年計画
経営戦略の基盤づくりを目指す
高い評価を獲得した若手エンジニアたちのアイディア
特別報奨制度の実施
国際企業へ、大きく評価された長年の研究
御前山テストコースの建設
開発力増強のシンボルに
北海道芽室町に寒冷地テストコースを建設
新技術の開発と実用化
排ガス・騒音規制に敏感に対処
急速に進むエレクトロニクスを採用
ディーゼルの3冠王「ドルフィンターボ8.8」
権威ある賞を次々と獲得
新時代に対応する車種拡大
先進技術を満載した「スーパードルフィン」
スーパードルフィン・シリーズの開発
人と社会に調和するトラックをつくる
21世紀の物流をリードする「スーパードルフィン・プロフィア」誕生
急速に多様化する「レンジャー」シリーズ
高性能化を目指して、脱皮を繰り返す「レンジャー」シリーズ
90年代を先取りし、中型トラックの代名詞に
機動性を高めた小型部門
ゆとりと安らぎを与える観光・路線バス
従来のバスのイメージを一新した「ブルーリボン」
客を楽しませる豪華な設備を実現
美しく魅力的な観光バス「セレガ」登場
中型・小型バスに生きる新技術
世界初リア・エンジン方式小型バス登場
乗客サービス向上を図る細かな配慮
環境を守るために、未来へ走る新技術
水素エンジンの実用化へ向けて研究進む
NOx、黒煙の2割低減を実現した夢の「HIMR」エンジン
生産
主力3工場の増強
日野工場、羽村工場、新田工場
ディーゼル車生産累計150万台達成
羽村工場での小型車生産
内製化の推進
技術の内製化
樹脂の内製化
アルミ鋳物と機械加工の内製化
見直されたロボットの利用
エンジン製造設備の内製化によるコストダウン
多様化する仕様に即応できるFMS生産ラインの出現
エンジンのFMS生産ライン完成
シャシ生産技術におけるFMS
CAD/CAMシステムのボディ生産ラインへの導入
治具設計・製作技術におけるCAM化と生産準備への寄与
ボディ生産設備の今後の姿
組立て
小型車組立てラインとロボットの導入
大型車組立ての自動化
工機の自動化
工機のこの10年
工機の今後
錆との戦い
電着塗装のフルディップ・カチオン化
プラント
国内販売
セールス活動の新しい波
お客様の満足度向上のためのCS活動の展開
コンサルティング・セールス活動スタート
コンピュータの活用により販売活動をバックアップ
「日高配車センター」で配車が効率的に
アフターサービス向上へ、全社を挙げて取り組む
多彩なCF展開で日野自動車の企業イメージアップを図る
印象的なテレビ・コマーシャルで日野のイメージを広く浸透させる
ダイアン・レイン起用でトラックのイメージを一新
お茶の間に定着する「日野」のイメージ
積極的な拡販キャンペーンでシェアアップを図る
ドライバーの心をつかむ「ドライブイン・レポート」
レンジャーシリーズ50万台達成で営業に自信
新統一看板のもと「クルージングレンジャー」の新発売キャンペーンを大々的に展開
先進技術に注目が集まる東京モーターショー
東京モーターショーで注目された日野
地球との調和へ、日野の姿勢をアピール
世界のラリーに挑戦
日野レンジャー、パリ・ダカール・ラリーへ初挑戦
'92パリ・ル・カップで日野車は全車完走
第1回パリ~モスクワ~北京マラソンレイドで6位完走
至るとこで活躍する特装車と応用車
多様な産業分野で活躍する日野の特装車
ニーズの多様化に応え、特装車部門を強化
ユニークな発想も多い応用車の世界
産業界に浸透する日野汎用エンジン
期待が高まりつつある汎用エンジン分野
多岐にわたる需要を協力にバックアップ
新分野へも応用を広げる
海外事業
海外事業の方向と趨勢
アジア市場偏重からアメリカ市場進出へ
円高下での輸出展開
「駐在員会議」から「海外事業全体会議」へ
新たな事業展開
累計輸出台数50万台突破
海外サービス体制の充実
海外サービス理念の確立
H.Q.S.の確立
海外への技術指導・支援の促進
海外派遣員(FM)、創始から30年
海外派遣員制度の確立
FMの活躍
アジア(1)―技術援助が進む中国・台湾
「技貿結合」による中国への技術援助の進展
国産化要請に応え、台湾に合弁生産会社「国瑞汽車」設立
アジア(2)―市場拡大を続ける東南アジア諸国
ミャンマーに東南アジア初のディーゼルエンジン工場建設
タイ日野工業、日野車・トヨタ車の生産累計10万台突破
マレーシア、インドネシアで地歩を固める
パキスタンで合弁会社「日野パック社」設立
アメリカ―念願のアメリカ進出
アメリカ進出の第一歩
HDTによる全米の販売体制確立
その他(ヨーロッパ、中近東、アフリカ、オセアニア)
ヨーロッパ市場における日野
中東に広がる日野の販売網
南アフリカ共和国にスーパードルフィン参入
オーストラリアでC.M.I.HINO社が販売累計1000台突破
創立50周年記念行事
[3] 21世紀ビジョンの構築―豊かで住みよい地球をめざして―
21世紀に向けての新たなる歩み
「企業イメージ向上」の課題に向かって
動きだしたワーキング・グループ
日野の現状が見えてきた
日野自動車のあるべき姿を求めて
浮かび上がる日野の未来像
変わらぬ「日野の心」を求めて
メンバーが語る活動の思い出
21世紀に向かっての第一歩
歩み始めた21世紀ビジョン
全社一丸となっての取り組み
ビジョン具現化への情熱
アクション・プログラム研究会発足
企業風土分科会の活動状況
事業構造分科会の取り組み
企業イメージ分科会の取り組み
21世紀ビジョンの発表