教科書が教えない歴史 2
事件の真相
対馬を基地にしようとしたロシア
近代的土地政策に反発した秩父事件
ロシアへの脅威で「八甲田山雪中行軍」
征韓論唱えていなかった西郷隆盛
銅山か農漁業か悩んだ政府―足尾鉱毒事件
罪の範囲を拡大した大逆事件の判決
薩摩閥と長州閥の争いが背景に シーメンス事件
「成功」への嫉妬もあった鈴木商店焼き打ち
関東大震災後すばやく勅令戒厳
軍部の発言強めた暴力への恐怖 2・26事件
日中全面戦争のきっかけになった通州事件
日本軍を「南進」に転換させたゾルゲ事件
ソ連軍が迫る中、9人が集団自決した真岡事件
非武装で避難中に襲われた葛根廟事件
いまだにナゾに包まれている松川事件
共産革命への幻想を潰したあさま山荘事件
検証・東京裁判
抹殺された日本人の歴史観
復讐劇だった山下・本間裁判
突如持ち出された虚報の「南京虐殺」
裁判批判を封じ込めた検閲
日本に有利な証拠次々と却下
事後法の裁きに反対したパール判事
原爆投下を告発した米国人
裁判の違法性をついた清瀬弁護人
「自衛戦争」と主張した東条元首相
日中友好論者だった松井司令官
10万超えた広田元首相助命嘆願
満州事変の正当性を主張した石原莞爾元中将
国際法違反と批判した米国人たち
釈放要求という形の異議申し立て
社会党も熱心だった批判決議
後で決めたルールで裁いた
ナチスと同じ罪にしたかった連合国
経済成長
ペリー来航2年後に初の蒸気船
近代的工場目指した横須賀製鉄所
努力が実を結ぶ社会求めた福沢諭吉
七つの海航行が夢だった岩崎弥太郎
金本位制により国際経済にデビュー
綿紡績成功を導いた“幸運”
重工業発展の起点となった八幡製鉄所
名古屋―大阪間輸送で官民競争
80年前にもバブル経済があった
宝塚歌劇など沿線を開発した小林一三
タイミングが悪かった金解禁
借金財政で景気を回復させた高橋是清
経済統制を強めた近衛内閣
自由化路線進めたドッジと吉田茂
国民的合意を実現した所得倍増論
マイカー時代開いたサニーとカローラ
急速な円高が生んだバブル経済
生活文化の変遷
大変だった肉食の始め
大歓迎された人力車の秘密
明治初期には新聞を読む習慣
大磯で始まった海水浴
日露戦争から生まれた「正露丸」
日露戦争で活気づいた映画
西洋音楽に歌詞をつけ唱歌に
唱歌から始まった「洋風軍歌」
家庭での電灯普及は日本橋から
『赤い鳥』の10倍売れた『少年倶楽部』
モボ・モガ生んだ大正エネルギー
自動改札もあった創業時の地下鉄
少年たちのあこがれだった「のらくろ」
選手を公募した最初のプロ野球
J・ディーンに触発されたジーンズ
「変化対応業」として登場したコンビニ
インベーダーのヒットからファミコンへ
異文化のはざまを生きた人々
朝鮮文化の理解に努めた雨森芳洲
わずか4年で『解体新書』を訳した杉田玄白ら
ロシアの事情に翻弄された大黒屋光太夫
捕えられて外交に目覚めた高田屋嘉兵衛
米国で国家・国民優先を学んだ勝海舟
日米の橋渡しをした中浜万次郎
英国で郵便制度を“体験”した前島密
初めてアメリカ人になった浜田彦蔵
上海を見て開国論者になった高杉晋作
米国でも「日本人」を考え続けた新島襄
ドイツに騎士道精神を見いだした青木周蔵
直訴してフランス留学を果たした中江兆民
英国で問答方式を学んだ南方熊楠
日米の懸け橋を目指した新渡戸稲造
留学で“愛国心”を育てた森鴎外
二つの「J」に生きた内村鑑三
「東洋の精神」を訴えた岡倉天心
チベット経験から在家仏教を始めた河口慧海