図書センキュウヒャク シジュウイチネン ノ ニチベイ コウショウ000037436

一九四一年の日米交渉

サブタイトル1~10
編著者名
奥田 正彦 著者
出版者
奥田正彦
出版年月
1997年(平成9年)8月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
497p
ISBN
NDC(分類)
319
請求記号
319/O54
保管場所
閉架一般
内容注記
編集・制作:朝日新聞東京本社,朝日新聞出版サービス 著者ほかの肖像あり 文献あり 年表あり
和書
目次

「日米関係」を考える貴重な資料(波多野敬雄)
戦争と平和の岐路を追って(細川洋一)

第1章 日米交渉が「日米了解案」で開始されてよいものか
ハル・ノート「ひどいことが書いてある」
日本がひたすら譲歩
「日米了解案」は誰がつくったか
野村大使の報告の仕方
松岡外相と野村特使
ハルの言う「米国の自衛権」
英米不可分・三国同盟下で日米交渉は成立する筈がない
松岡・ハル共に「了解案」を否定

第2章 「南仏印進駐」が日米戦の直接原因となった
オタワ協定と日米経済力比較
南進の動機
仮想敵は英仏米
援蒋ルート
日米通商航海条約の破棄
経済制裁
油、蘭印、船舶輸送力
南仏印進駐・幣原「これは大きな戦いになる」「ナァーニ」
在米日本資産凍結
禁油
日米の開戦決意ポイント
首脳会談も拒否

第3章 「日独伊三国同盟」に何の意味があると思ったのか
薄墨色の協定・最初は防共協定
防共協定の変質
七十回の五相会議
「複雑怪奇」
独の電撃的勝利に眩惑
バトル・オブ・ブリテン
松岡・スターマー会談
西園寺「これでもう畳の上で死ねない」
独の背信・独ソ戦

第4章 「日中戦争」が「日米関係の悪化」を決定的にした
ハル四原則
中国をめぐっての日米関係
当時の満州と日本の動機
田中外交と東方会議
反帝運動は抗日運動に集中
張作霖爆殺・済南事件
柳条湖
塘沽停戦は満州事変の終了か
満州建国
東三省の民心
リットン報告
済南・上海・西安事件
盧溝橋
事件不拡大方針から暴支膺懲へ
日中和平工作の背景
親しみの反面、嫌われた日本
日中和平工作
汪工作・桐工作
列強の中国侵略方式
中国をめぐっての対英米関係
国共対立と国共合作
東条「中国撤兵に絶対反対」

第5章 「軍閥」が国政の主役となった過程
軍人が小さくなっていた時代
満州事変以後、軍人の発言が始まる
農村問題
財界・政党・重臣
軍の派閥の形成と大政翼賛会
一部青年将校
前兆
二・二六事件直後の軍上層部
天皇の態度・陸軍の無反省
軍人が威張った時代
軍部大臣現役制
統帥権
帷幄上奏権

第6章 日本がおさえこまれた「ワシントン体制」
中国分割に出遅れたアメリカと日本
日本軍の中国主要都市占領と英米の権益擁護
ヴェルサイユでは片づいていない極東問題
軍縮と日英同盟併立せず
アメリカ主導の世界のはじまり
何故ワシントンで海軍の軍縮か
戦艦の軍縮・ワシントン
太平洋防備制限
巡洋艦の軍縮・ロンドン
統帥権干犯
連盟討議と日本の脱退

第7章 「決裂」
最終案「乙案」
ハル・ノートで日本遂に決意
海軍迷いに迷う、然しやるなら今しかない

年表、参考文献