毎日新聞販売史 戦前・大阪編
- サブタイトル
- 編著者名
- 川上 富蔵 編著
- 出版者
- 毎日新聞大阪開発
- 出版年月
- 1979年(昭和54年)6月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 629,22p
- ISBN
- NDC(分類)
- 070
- 請求記号
- 070/Ka94
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 限定版 販売史年表:p605~629
- 昭和館デジタルアーカイブ
序(阪大名誉教授・宮本又次)
明治編
前史時代 ~明治4年
かわら版の販売
文明開化の新聞
原始販売時代
東京日日新聞の創刊
戸別配達の始まり
販売契約の第一号 明治5年~8年
日本最初の契約書
配達は町の人気者
中継ぎ販売時代 明治9年~11年
書店主が発行兼販売人
商都初の日刊・大阪日報
西南の役で部数ふえる
販売空白の時代 明治12年~14年
お家騒動でピンチ
政論にゆれる大新聞
政党新聞の全盛時代 明治15年~19年
日本立憲政党新聞の創刊
ふたたび大阪日報へ
実業新聞への転換 明治20年~21年
政党新聞からの脱出
大阪毎日の誕生
新聞の半営業時代 明治21年~22年
無競争の取り次ぎ
わらじがけの輸送と配達
本山彦一の登場
対立時代の芽ばえ 明治22年~23年
事業は人材なり
初代社長に渡辺治
ライバルの妨害
販売の組織づくり 明治24年~26年
社内にみなぎる闘志
岡島と市内一手契約
地方の大毎ご三家
要衝に信望あつい販売店
二代社長に高木喜一郎
日清戦争の販売戦 明治27年~30年
発展の基礎を固める
新聞王を売るほこり
無冠の帝王と商人 明治30年~32年
新聞は商品なり
原敬が三代社長に
大川町時代の幕あけ
鳴りもの入り宣伝戦 明治32年~34年
人気の中心になろう
爆発的人気呼ぶ
四代社長に小松原英太郎
専売化へ火ぶた 明治34年~35年
共存共栄の理念
20世紀初頭の販売情勢
寒村に文化の息吹き
初の乱売協定
日露戦前の販売施策 明治36年~37年
勧業博でリハーサル
本山彦一が五代社長に
大阪市の劣勢挽回へ
上町ら四連合店できる
日露戦争の販売競争 明治37年~38年
追いつけ追い越せ
足から血、声をからして
専売めざして直営店
懇話会の創設 明治38年~40年
勝利の喜びとねたみ
共存共栄の健全経営
難局が結束をうながす
独創的な事業や催し
世紀の東京進出劇 明治40年~42年
難行苦行の連続
タナボタ式の東日合併
金沢で大毎ボイコット事件
カツドウ写真班を創設
明治末期の販売地図 明治42年~45年
一万号記念に百ページ記念号
大阪市の専属化なる
系統店を津々浦々に
大正編
北摂の大毎非買事件 大正1年~2年
火花散る報道・販売戦
突如、ご大葬直前に
競争する、協調もする
本山の担当員心得帳
二足のわらじははけぬ
ご大典記念に夕刊 大正3年~5年
第一次大戦でシェア拡大
夕刊を全地域で発行
他紙非売協定を結ぶ
京都に初の連合専売店
第一次世界大戦下の販売地図 大正5年~6年
本山の陣頭指揮で店づくり
朝日と同数ではダメだよ
地方でも優勢店ぞくぞく
東西で日本一の栄光 大正6年~7年
ついに朝日を追い越す
岡島と市内一手契約復活
学問に精を出すのだよ
神戸市専売に布石
経営競争の時代へ 大正7年~9年
大正デモクラシーと販売界
白虹事件と大正日日
配る組織からふやす組織へ
不況期に三割の高配当
神戸市を専売へ
黄金時代の幕開く 大正9年~11年
本山社長の戦略戦術
五割増紙三カ年計画
各社をふり回す
宣伝活動と組織の充実
大毎会を各地で結成
西と東に大社屋を完成 大正11年
開館披露にわき立つ
百万突破へたぎる闘志
本山に感謝の贈りもの
サンデー毎日など創刊
上町・毎日舎の直接契約なる
関東大震災で大躍進
ブラジル移民などで快打
炎の使命感が奇跡生む
余じんくぐって店づくり
編集・販売の死闘みのる
史上初の百万突破 大正12年~13年
グローバルな金字塔
歓喜のどよめき海越えて
大阪市の専売と輸送改善
紙面と事業の競争本格化
前田と入江の一騎打ち
一万五千号記念に博覧会 大正14年~15年
組織を刺激する
年三回の休刊が実現
神戸三店が連合する
大毎販売部長に鹿倉吉次
崩御号外戦に圧勝
大正期の販売情勢 大正15年
各地に強い人と店
躍進大毎にあこがれて
大毎・朝日の角逐戦
山越え、泥しぶきあげて
昭和編
昭和幕あけの競争 昭和1年~2年
東日で起きた光文事件
奥丹後大震災起きる
日本新八景の投票選定
治にいて乱を忘るな
富民協会を設立
ご大典で百五十万突破 昭和3年
土気のゆるみに爆弾宣言
果断と細心のカジとり
輪転機を増設し紙面改良
挙社一致の態勢ととのう
盛典を機に大増紙
金融恐慌下の販売 昭和4年~5年
配達人の質の向上へ
百五十万突破を祝う会
販売店経営の近代化
日本一の巨大資本に
“お殿さま”の座くつがえす
満州事変前後の販売 昭和5年~6年
九州に風水害襲う
虚々実々の経営戦略
デフレ下の販売・編集施策
開戦に殺気立つ販売部
昭和初年の販売地図 昭和6年
専売網の拡大へ
転売の独立をすすめる
中国に大飛躍への布石
四国、北陸に新時代の訪れ
松山で起きた間島事件 昭和6年~7年
創刊五十周年を迎える
眠る合売店をたたき起こす
信頼が憎悪に変わったとき
火吐く陸海空の輸送戦
ついに法廷闘争へ
七海式専売店づくり 昭和7年~8年
劣勢合売店に大ナタ
新聞こそ男らしい文化事業だ
優勢転換のにない手たち
懇話会の改組を断行
本山の死と城戸事件 昭和8年
44年、不滅の業績
後継社長めぐり抗争
派閥の脅威現実に
奥村・高石時代の訪れ
第一次室戸台風襲う 昭和9年~10年
鹿倉の販売第一主義
岡島が八万部の遺命達成
大風水害で電源ストップ
一部たりとも負けるな
背広をハッピに着替えて
大阪市が20万部を越す
九州と名古屋へ進出 昭和10年
西部戦線波高し
大毎に不可能なし
中部では先手取る
ついに二百万突破 昭和11年~12年
奥村が第六代社長に
時事新報を買い取る
小学生新聞を創刊
第二期黄金時代の幕あけ
三要因が相乗効果あげる
世界一の座こうして
風雲急告げ用紙制限
日中戦までの販売地図 昭和12年
劣勢地に挑む開拓者
地域に密着した店づくり
販売とは闘って勝つこと
血と汗で築いた販売網
革新販売の時代へ 昭和12年~13年
日中戦争始まる
無代紙切って大幅減量
統制ひかえ革新唱える
中坪が販売部長に就く
悔いを残した用紙実績
阪神に大水害が襲う
専売化へエキサイト 昭和13年
販売店労務に注意信号
鹿倉が常務・営業局長に
二万号で二万人表彰
巻き返し専売に突入
朝日とガップリ四つ相撲
古豪新鋭入り乱れて
ニッポン号世界一周 昭和14年
販売部長に平野太郎
不可能を可能にした負けじ魂
大飛行に勇躍する販売人
声価全世界にとどろく
飛行大拡張で紙数激増
販売競争の曲がり角 昭和15年
泥ぬまに入った日中戦争
地方紙退治と立ち入り調査
値上げストップ令
人不足で各区に欠員
販売の二千六百年事業
拡張奨励の終幕
戦前最後の販売地図 昭和15年~16年
複数大店制みごとな開花
店主株急騰し候補者厳選
大売りさばき制に時代の流れ
かけ込み専売すさまじく
宮井の57転売店を独立
必死の攻防、強い店づくり
専売の成果急ピッチで
友愛が積年の確執解く
新聞統制の幕あき 昭和16年
オニよりこわい情報局
新聞連盟の結成
全国紙封じ込め作戦
販売統制へまっしぐら
共販へ情報局の裁断
重点策のフィナーレ
共同販売制を実施
七項○の共販実行案
共販制とはどんな組織か
心まで売ってなるものか
16年12月1日実施へ
系統会解散に別離の涙
国営化の野望を粉砕 昭和16年~17年
太平洋戦争開戦日の特ダネ
まぼろしの日本新聞会社
日ごとにやせ細る紙面
共販による精神的変化
連盟改組し日本新聞会
共販組合改組し日本配給会
名古屋から涙の撤収
無競争・売り大名時代 昭和17年~18年
販売部が「普及部」となる
社外株を引きあげる
輸送連盟ができる
頭を下げるのはお客さま
戦火の東南アで新聞経営
販売人も生命かけて
「毎日新聞」と改題する
ペラ新聞の時代 昭和18年~19年
用紙底つき夕刊休止
新規購読に転居証明
人手もモノもなくなって
サーベル利用して暗躍
終戦までの販売地図
人もうらやむ販売所
血と炎の新聞販売 昭和19年~20年
「竹ヤリ」キャンペーン
窮迫、大都市の紙数カット
地方紙へ読者をあずける
大空襲で店の60パーセント焼く
五万部をヒロシマへ
帰還命令間に合わず
新しい歴史の始まり
資料、年表、索引あり
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