図書目録トウオウ ニッポウ ト ショウワ ジダイ資料番号:000037176

東奥日報と昭和時代 前期

サブタイトル
編著者名
東奥日報社 著者
出版者
東奥日報社
出版年月
1979年(昭和54年)3月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
423p
ISBN
NDC(分類)
070
請求記号
070/To64/1
保管場所
閉架一般
内容注記
非売品 「東奥日報」年表:p323~419
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

序文(楠美鉄二)
昭和二年
概観
憲政会、奈須川翁を党葬で追悼
鋳造部を新設
奥丹後震災へ義援金を募る
弘前市の大火にも義援金
東奥会を組織
「青森報知」「青森日々」の発刊
昭和三年
概観
「東奥年鑑」と「青森県総覧」
「総覧」と「年鑑」販売の苦心
「社内通信」を発行
伝書鳩班を新設
御大典と創刊40周年記念事業
物故社員慰霊祭と勤続表彰式
事業の完遂祝い28人を表彰
古い東奥日報寄贈者へ感謝状
昭和四年
概観
資本金4万円の増資決定
新職制と陣容
好評を得た「サンデー東奥」
八戸支局事務所を新設
新輪転機の運転を開始
県水稲増収競技会を主催
創刊号からの本紙を製本
新植字工場が落成
昭和五年
概観
水稲増収競技会入賞者を発表
盛大に褒賞授与式
本社の新陣容
「タコマ市号」報道戦に栄冠
離陸速報へ万全の態勢
米国新聞連合社より感謝状
「日本新聞史」の本社速報評価
百羽の伝書鳩飼育を計画
本社、新聞定価値下げ見送る
職制一部を改正
この年の主催事業
昭和六年
概観
青森新聞協会が誕生
「パシフィック号」報道戦秘話
三度目のニュース戦にも勝利
「横断報道戦」とどめの大勝利
遂に両勇士によって成就
“速報”成功までの経過
八甲田分水嶺の探勝
「言論圧迫」不当の決議
盛田記者を東京支局常置に
この年の主催事業
関係人物
昭和七年
概観
社長、全従業員の決意促し告示
編集上の諸原則を示す
退職給与金規定など改正
本社の伝書鳩が優勝
竹内記者の小説を連載
県相撲大会で桟敷が倒壊
弘前支局を新築
本社火防班が発足
出版物いずれも好評
この年の主催事業
関係人物
昭和八年
概観
大異動と職制改正を実施
社員信条など制定
不法な差し押えに社説で抗議
待望の十三段制を実施
十三段制の収容字数
十三段制実施記念拡張を実施
十三段制記念の読者サービス
「青森県画譜」を製作配布
竹内記者が第二作を連載
海軍へ「報国青森号」を献納
郷土部隊凱旋歌詞を募集
菊池九郎碑の基金募集
この年の主催事業
関係人物
昭和九年
概観
「サンデー東奥」が終刊
「新聞記事切抜分類表」を作成
目標達成した水稲増収競技会
郷土軍歓迎に竹内部長を派遣
郷土部隊凱旋の記念事業
本社と三従軍記者に大臣表彰
「県営電気」祝い論文募集
ついに一万五千号に到達
三階建ての新社屋設計案募る
一万五千号祝い多彩な事業
火防標語を募集
菊池六郎記念碑が完成
三災害に義援金を募集
人事異動
関係人物
昭和十年
概観
「菊池九郎小伝」を発行
青森県飛行奨励会を組織
選挙粛正に在青記者団が決議
秩父宮奉迎歌を募集
県下に未曾有の大水害
「遭難実記」
竹内整理部長、県議選に出馬
欠食児童救済金を募る
支局新築と移転
この年の主催事業
関係人物
昭和十一年
概観
二・二六事件報道の苦心
「青森県八景」を選定
凶作地児童を童話で慰問
県相撲大会を打ち切り
二ページ増頁し紙面を刷新
二事故に義援金募る
この年の主催事業
昭和十二年
概観
「秩父宮御高徳録」を発行
本社九社員が勤続表彰
停年規定を新設
鉛かすから地金再製に成功
「月刊東奥」創刊を無期延期
仙台・板柳にも支局開設
出動将士遺家族へ慰問金
従軍記者を続々特派
下風呂災害へ義援金
東奥婦人会を結成
東奥防護団を組織
十三年当時の締め切り時間
創刊記念日に十四段制を実施
この年の主催事業
昭和十三年
概観
常任監査役を設ける
従軍記者第十三陣まで派遣
定価を改定、月一円十銭に
販売・納金優良店を表彰
郷土将兵へ慰問の蓄音機
「支那事変郷土部隊画報」を発刊
「東奥年鑑」十周年を迎える
悲喜こもごもの販売合戦
「東奥年鑑」十周年販売二十傑
週二回二ページ減を実施
創刊五十周年を迎える
この年の主催事業
昭和十四年
概観
新雑誌「月刊東奥」を創刊
発刊の経過と配布状況
株式組織二十周年の記念式
郷土兵慰問に山田社長も
帰還の社長へ社員感謝状
従軍六記者へ感状と金一封
好評の「陣中民謡慰問」を継続
東奥産業報国会を結成
欧洲戦争に同盟特派員
国策に添い減頁を実施
この年の主催事業
関係人物
昭和十五年
概観
本社より事変参戦の従業員
さらに四従軍記者を派遣
山本、日野両記者へ感状
産業戦士の慰問激励も
二つの建碑計画に募金
二軍用機の献納を提唱
非常時に対処、新体制実施
この年の主催事業
昭和十六年
概観
軍用機、陸・海へ二機ずつ献納
献納機命名式の模様
食糧増産の競技会開催
南従軍記者が戦死
社葬で南記者を弔う
新たに三従軍記者を派遣
用紙制限強まり対策に苦慮
共同販売制度を実施
「対米英宣戦布告」社説
「一県一紙」、本県は東奥日報に
この年の主催事業
関係人物
昭和十七年
概観
二十年来の無休刊に終止符
竹内取締役、翼賛総選挙で当選
全国主要新聞の統合決定
「東奥社」の創立
「東奥印刷」も独立
この年の主催事業
昭和十八年
概観
毎朝、朝礼を実施
「東奥報国隊」を結成
「東奥社」を改称
輪転機三台の献納決定
青森県編集部会が発足
建艦献金へ率先寄託
空襲に備え二社と援助協定
全従業員で勤労報国隊
地方版の名称と締め切り変更
六ページ建てを維持
山崎、川崎従軍記者帰る
山田社長、病いえ出社
この年の主催事業
関係人物
昭和十九年
概観
編集局の新機構成る
全国いっせいに夕刊廃止
夕刊廃止へ本社の対策
広告料、全国いっせいに改定
本社の非常時対策
編集局へ工務部を吸収
新聞用紙、一連八円五十銭に
五所川原大火で支局全焼
この年の主催事業
関係人物
昭和二十年
概観
臨戦事務規程を制定
日本新聞公社が発足
戦時第二条指定工場となる
本紙題号に東京三紙を併記
読売新聞から十社員が出向
「保有年鑑」編さん内容
資本金全額を払い込む
“鳩班長”柿崎部長を表彰
戦時防衛室規程を作成
東奥国民義勇隊を編成
防衛隊も編成
用紙減のなか十二万部発行
“運命の日”―7月28日夜
戦災死者を合同社葬
本社の戦災損害
私の思い出
校正で社長からおしかり(山内しげ)
調査部の主“ハド柿”として(柿崎勇治)
紙型作りに苦労(川田忠司)
木炭火鉢と工務作業(白取秀弘)
入社から退社まで(峰正太郎)
東奥印刷株式会社の創業(相馬賢司)
“東奥案内”を発案(工藤哲郎)
津軽―南部に思う(制野政一)
津軽偏重是正につとめる(鳴海万次郎)
鬼門といわれた鋳造部(葛西廿五郎)
交換十年表彰に感無量(鎌田ツナ)
東奥日報社陣容
年表あり

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