遠謀
1 建国より大東亜戦争の初期まで
建国
独ソ作戦方針
独ソ開戦と関特演
兵力の増強
静謐保持
2 作戦構想の大転換
兵力の抽出と戦力の低下
持久への構想
兵力の充足補強
3 収縮配備
転換への苦悩
移駐
陣地構築
4 開戦
ソ軍侵攻
開戦時における関東軍兵力概況
ソ連軍の兵力
侵攻の大要
5 停戦
6 抑留、労働、帰還
7 世紀の悲劇
第1部 創設編成(綏陽編)
沿革
第八師団
第百十一師団
第百二十四師団の創設、編成
創設
完結時の駐屯地
戦闘序列の改編
師団関係幹部の横顔
第百二十四師団に転入して
東京から綏陽へ
東満から南満、そして東満
第十一国境守備隊から師団司令部へ
椎名閣下との出会い
国境守備隊から師団司令部へ
綏西台地の師団司令部
移転先は綏西台地だった
綏西と綏陽間を往復する
軍旗の親授と軍旗祭
軍旗拝受者の上京
親授
軍旗祭
師団司令部綏陽に帰る
女子も甲斐甲斐しい司令部
整備された庁舎
副官部での断片
司令部の高等官食堂
司令部の若き乙女たち
第二国境守備隊から司令部暗号班へ
兵器弾薬の後送とソ連機の越境偵察
弾薬の後送
静謐保持
ソ連軍の状況
国境のソ連軍
綏陽師団司令部の情報班で
ソ連軍の動向
軍司令官等の巡視
軍司令官等を迎えて
綏陽街のこと
国境の町綏陽
第2部 戦闘(穆稜編)
新陣地の構築
穆稜の新陣地
穆稜地区築城
築城資材の卸下集積
築城は昼夜兼行で遂行さる
残留部隊の状況
綏陽の師団司令部にて
師団長官舎
別れと再開
ソ連軍侵攻
牡丹江から急遽穆稜へ
兵力充足状況
一国山へ進出
深夜の道を一国山へ
小豆山陣地へ進出
小豆山戦闘司令所
駐屯地穆稜を撤収
八月七日の視察情報
八月八日の状況
ソ軍機越境の報
九日払暁の一斉視察情報
穆稜街の状況
綏芬河情報
一国山に出発
陣地進入
留守部隊の撤収
綏陽及び綏芬河地区の撤退概況
綏陽留守司令部情報班
綏陽留守司令部副官部
師団各陣地の死闘
全般経過の概要
国境守備隊の玉砕
穆稜主陣地に於ける決戦
師団突撃
敵の侵攻状況
軍命令
師団司令部
中止命令
終戦の報を聞く
通信隊、国際放送を傍受
代馬溝、磨刀石間を南下
師団鏡泊湖方面へ南下
牡丹江街道を越へて南下
寧安目指して街道突破
穆稜から寧安へ
南下転進
第3部 終戦抑留
武装解除
椎名師団長と私
住田中尉とソ軍に接触
ソ軍と接触
軍使行
ソ連領内へ
コムソモリスク収容所
バイカル湖を越へて
雑記帳より
欧露の収容所
第4部 鎮魂
椎名閣下のこと
椎名師団長の想い出
師団司令部の乗馬訓練
護国の部隊長
石川大佐
安士大佐
瀬尾大佐
中園少佐
中島少佐
纐纈大佐
その他の戦死された独立団隊長
第5部 私の体験
国境視察班員の感慨
暗号書を受領に第五軍司令部へ
心に残る想い出
重要人物に指定
諜報関係者調べに連行さる
月岡参謀と中島隊長
第6部 戦後の集い
第百二十四師団司令部会同(第一回)
案内状
黙祷の辞
会同の概要
中島正彦君御遺族訪問
第百二十四師団司令部会同(第二回)
案内状
祭文
会同概要
付・資料あり