新聞集成昭和史の証言 第17巻
皇室 天皇・皇后・皇族・宮中行事・宮内省関係・関連話題
昭和十八年
決戦の春・陸軍始に御親閲
点字も交る歌御会始
山本五十六大将に国葬を賜ふ
駅頭に勅使御差遣・山本元帥国葬の盛儀
永野・寺内・杉山三大将に元帥の称号を賜はる
アッツ玉砕勇士に破格の恩命・輝く感状天聴に達す
伏見博英海軍少佐・南西太平洋の空に御散華
大正天皇御生母柳原二位局薨去破格の恩賞賜ふ
勅題「海上日出」戦果に示し給ふ大御心
敵艦隊撃滅を御嘉賞・連合艦隊司会長官に勅語
相浦男は爵位返上・蜂須賀候と間部子に礼遇停止
久迩宮大妃殿下を奉戴・大日本母子愛育会が発会式
政治 議会・政党・行放・財政・法令選挙・関連話題
「非常時宰相論」(中野正剛)
学制改革七勅令案決る
臨時租税措置法の改正へ・初年度十億円増収見込む
特別行為税創設(増税案内容)
労務・資材・動力・資金を首相の職権に・劃期的法案提出へ
戦時行政職権特例法案内容
都市町村制法改正案提出へ
徴用制度を刷新・動労緊急対策要綱決る
学制改革の五勅令公布
決戦議会・日清戦争物語
決戦議会・日露戦争当時を偲ぶ
陪審裁判は一時停止・経費手数の節約へ
東条首相「勝ち抜く増産」を議会で名答
東条首相「陣頭指揮」で熱弁
安藤正純氏「大学院問題」で質問
臨時軍事費二百七十億円案提出
対敵放送は男に限る・日曜議会に熱弁
農地問題は漸進・論議は米価に集中・決戦議会の方向
臨時軍事費二七〇億円成立
南太平洋作戦全貌・議会で説明
議会審議・次は所得税増徴・国家目的主義へ転換
物品・遊興飲食・入場三税改正実施・増収見込五億七千万円
「国政変乱」の疑義で法相答弁
戦争死亡傷害保険来月から実施
戦刑法繞り両院で白熱論議
東京都実現近し・四十六年の市政を回顧
内閣に戦力増強の三機関・内閣顧問に七氏任命
参議制廃止・銓衡事情
内閣七顧問の横顔
「適材」の士気昂揚・更迭を抑制・官吏優遇令公布さる
ビルマ独立の基本要領・東条首相が両院で闡明
樺太の内地編入実施・湯沢内相談発表
標準農村建設要綱決る・初年度は全国で三百村設定へ
翼壮、本部機構を拡充・首脳人事発表
外相重光・内相安藤中将・東条内閣大改造の意義
翼賛会副総裁に後藤文夫氏・官氏融合を推進
内務次官に唐沢・警視総監ら三役の更迭発表
内政運営に迫力・銓衡評
情報局次長に村田群馬県知事
専任文相に岡部長景・東条内閣の改造完了と政治的意義
翼賛政治会改組の横断面・重点は衆議院の活用・三閣僚送出の意義
国民的繋りへの機会
枢密顧問官に平生釟三郎氏新任
大東亜の自主性確立に必勝物資の確保へ・本年度動員計画成る
交通動員計画内容
新物動計画の性格(社説)
一般民需の圧縮に国民の全幅的協力を要望
勅選議員に湯沢三千男氏
生産拡充・電力・国民動員の三計画本年度分成る
企画院総裁談
資金と必需物資の動員計画発表さる・両計画大綱
総務会長に前田米蔵氏 改組翼政会の人事発表
興亜運動の一元的強化へ・興亜同盟を解消し中枢機関設置
翼賛会総裁に直属
後藤翼賛会副総裁を国務大臣に親任・政治力結集に手腕期待
決戦地方自治の新発足・自治の真髄顕現へ・内相が国民の協力要望
具体的運営方針・次官通牒と内務省訓令
旧体制と新体制(社説)
翼賛会事務総長後任に丸山鶴吉氏起用
就業時間制限廃止と工場法戦時特例・二勅令案要綱閣議決定
第一回行政査察で多大な成果収む・鈴木査察使が談発表
比島民に年内独立許与・東条首相が両院本会議で大東亜神速建設の施策闡明
供米に報奨制考慮・農相、議会で「全村一体」を強調
東京都初代長官に大達茂雄氏・昭南市建設の手腕に期待
「炭山製鉄」に藤原銀次郎氏任命・第二回行政査察を実施
戦力増強に学徒を総動員・要綱を決定発表
全国九地区に「協議会」創設・地方行政の戦時改編方針決る
九州に大宰府庁再現
北方綜合行政確立へ・北海道樺太の一体化
会長は大臣級の人物・地方行政協議会
東京「都」の出発・内相が訓令
東京都の発足(社説)
地方行政協議会長決定と知事級大異動発表・異動評
東京都長官親任式
商工省も大異動
地方行政協議会・新長官に抱負をきく
永田秀次郎氏戦病死
地方行政新構想の神髄発揮・地方長官議会開く
国民学校職員の待遇改善・官等給与を根本刷新・関係勅令公布
在来の“会社観念”を払拭へ・統制会社令を制定
半島学生を各省官吏に登用・高文パス本年は卅七名
銅鉄鉛の回収令を全面改正・八十二業種を指定
日発総裁を更迭
人口疎散と応急事前措置・国土計画に基づく綜合的処置が必要
鉱物南方依存を一擲・地下資源緊急開発要綱決る
自発的供米に表彰制・米穀の新供出方法決る・帝農側の見解
中央農業会設立、五団体に一切を吸収・農業団体法愈よ施行
永田秀次郎氏逝去・略歴と横顔
女子動員、男子に代替・都市施設を地方分散・国内態勢強化方策決る
行政、企業、労務を軍需増産に凝集・国内態勢強化の核心
男子就業禁止と女子勤労促進要綱
国内防衛態勢完備に人口疎開を徹底
本年度標準農村決る・三百三箇町村を指定・当局と一問一答
企画院と商工省廃止・軍需省創設に決る
戦争経済の中核体・商工省と企画院の足跡
官庁の地方疎開方針決る・現存建物を極力利用へ
決戦輸送と民需確保に「農商省」と「運輸通信省」創設
両省の機構内容
東条首相が商相兼任・次官に岸国務相・行政能率低下予防策
官吏減員率二割五分・一万五千九十三名を決定
第一次の疎開官庁決る
第八十三議会成立す・あす全法案委付託
応召の三議員失格
勝利は断じて我等に・臨時議会で東条首相が信念披瀝
中野正剛氏自刃
やまれぬ非常措置・法文系軽視せず・学徒出陣に首文両相答弁
女子の徴用はない・東条首相答弁
工場人口の疎開地区は京浜、阪神、北九州・上田防空局長答弁
国民学校高学年に軍事教練強化・那須兵務局長答弁
軍需相は首相兼任・三省大臣の親任式御挙行
軍需省三羽鳥に岸・椎名・遠藤
軍需次官に岸兼任発令
軍需監理官設置、重要工場事業場に配置
首相権限を画期的強化・職権移動の範囲拡大
四省一院十九局所廃止・新設省官制等公布
軍需省官制にみる特色
外局に防空総本部・内務省に誕生
健民局を新設・厚生省官制改正の要点
外務省に戦時経済局登場
印刷局を所管・大蔵省の機構改革内容
立案と実行の一体化確立・文部省の機構改革
決戦科学技術の中枢へ・技術院に期待
交易局を移管・大東亜省の新官制
刑政局を新設・司法省の新機構
省官制通則の改正要点
共同の目標五大原則・大東亜会議帝都で開会・東条首相と汪院長声明
各国代表と列席者名
大東亜会議の開催(社説)
大東亜共同宣言を中外に宣明
この人々にして生く・大東亜会議の巨跡
大東亜建設への実践(社説)
東条内閣に藤原銀次郎顧問が入閣・生産増強推進の支柱
内閣顧問を三名に増員
大山公(貴院)松岡代議士が応召
青壮年国民登録改正・四十五歳まで引上げて航空機生産増強へ
会社を指定・生産責任者を選任・軍需会社法を公布
官民とも頭の切換が必要
初年度増収二十二億円・分類所得税五分引上・画期的大増税案内容
補助費の活用が緊要・決戦下の地方財政方策
戦時農業要員は徴用を除外・食糧自給態勢強化対策要綱決る
自作農創設も促進
町内会や部落会単位に人口“敵前調査”要綱決る
軍事外交 対外交渉・軍部の動き・関連話題
海鷲ニューギニア敵基地粉砕
塚田中将と藤原大佐進級発令・中支戦線に散る
陸軍始は明治天皇の御創意・陸軍省当局談
軍機漏洩はビルマ人でも処罰
決戦の春輝く陸軍始観兵式
日華新協定調印・租界還付と治法撤癈
日独・日伊の経済協定成る
日独伊経済協定の経緯と展望
南方軍政の基本方策と現状・陸軍が全貌を明示
レンネル島沖海戦の戦果発表
材銑十郎大将逝く・略歴・叙位勲章加授の御沙汰
南太平洋新作戦の基礎確立・陸海軍局発表
南太平洋作戦の転進(社説)
臨時軍事費二七〇億円成立
山下、岡部、藤江三大将親任・略歴・銓衡評
南太平洋作戦の全貌・孤軍猛攻、米軍釘付け
陸海協同・雷州半島上陸・仏諒解の下広州湾租借地進駐
決戦標語「撃ちてし止まむ」陸軍記念日期し大運動
ビルマ両国境の重慶軍を制圧
陸軍人事異動で次官更迭
東条首相が南京訪問・汪主席らと懇談
バーモ長官一行が来朝・日緬紐帯を強化
日本へ絶対の信頼協力
中南支軍票を儲備券と置換え・大蔵省の方針
対支通貨戦に凱歌・中南支軍票の果した役割を回顧
高千穂丸が台湾沖で撃沈さる・二将校の壮烈な最期
海軍第二次突撃隊に二階級特進の栄誉発表・戦闘内容
中学生の徴兵延期は廃止
印緬国境に大包囲作戦・英印軍二個師を撃滅・最高指揮官は河辺中将
英のビルマ奪回失敗の意義
大学は二十四歳まで・在学徴兵延期の改正で軍当局の放送
大東亜戦初の功一は山口多聞中将に・加来少将は特旨功二
近藤提督が大将に
阿南今村両中将が大将に・東部軍司令官に土肥原大将
航空部隊大飛躍へ
国民学校卒業で採用・陸軍諸学校少年兵採用年齢を低下
東条首相が比島軍政を現地視察・バルガス長官と懇談
津軽海峡に敵潜艦・北海道幌別を砲撃・我方被害なし
海軍が朝鮮台湾に特別志願兵制度を新設・情報局長談発表
有力な米軍上陸・アッツ島で激戦・猛然わが守備隊が邀撃
海洋発展こそ肇国の精神・帝国海軍発展の跡を回顧
鎖国から海軍国へ
海軍々縮会議に悲憤の涙
米軍がアッツ島で毒ガス使用
米わが病院船あらびや丸を爆撃
山本連合艦隊司令長官空に散華・後任は古賀峰一中将
元帥称号・国葬を賜ふ
信濃と海軍魂(山口菊十郎)
アッツ島守備隊玉砕す・傷病者は悉く自決
キスカ島は依然確保・ア島守備隊の戦闘詳報・山崎部隊長略歴
護国の英魂二千数百
心うつ最後の逆襲・富永次官談
アッツ島の英霊に応へよ(社説)
防衛参謀総長に佐野中将任命
海鷲ルンガ沖で敵船団強襲・駆艦、輸送船八隻撃沈
チヤンドラ・ボース氏来る・東条首相らと会談
独立に支援惜まず
良兵教育に徹せよ・谷萩報道部長が信濃教育会で強調
永野・寺内・杉山三大将に元帥の称号を賜はる
元帥府とは
上海共同租界を国府へ返還・八月一日実施・歴史的調印式
仏租界も返還
東条首相談発表
壮丁全員甲種へ・陸軍が体質向上へ指導員を錬成計画
応召中は休学扱ひ・学徒海鷲に朗報
巡艦等十四隻屠る・海鷲レンドバ島に血戦続行
東条首相が泰国訪問ピブン首相と懇談・泰新領土で意見一致
在支皇軍一ケ年綜合戦果・遺屍四十五万突破・俘虜帰順二十四万五千
海軍甲種飛行予科練習生の試験科目に英語を廃止
上陸企図の敵粉砕・ソロモン群島わが有利態勢不動
大和丸撃沈の敵潜艦捕捉撃沈・船客船員千六十五名救助
決戦外交に鉄壁陣・顧問に有田山川両氏任命
高鳴る台湾の決戦調・海軍志願三十万を突破
伊国の戦争方針不変・伊大使が重光外相に表明
朝鮮に徴兵令実施さる
ビルマの独立承認・同盟条約を締結
首脳陣決定・帝国政府声明
竹槍持参で馳せ参ず・決戦完勝郷軍大会開く
松木率道陸軍中将逝去
敵艦船十五隻血祭り・ソロモン海空日夜の激闘
儼たり北辺の鎮護・北千島に敵八機来襲し三機血祭り
キスカ島の全兵力撤収・陸海一体の妙を発揮
日独海軍は緊密協力・独巡洋艦が日本で休養
日米第二次交換の帰朝邦人千五百名・日英交渉も進む
山崎部隊長が中将に特進・アッツ玉砕勇士に破格の恩命
アッツ島決戦の記録詳報
敵死傷五千六百以上・撃墜機三百五十六・ニューギニア激闘戦果
日中静壱中将が大将に進級
バドリオ伊政権の背信許さず・帝国が抗議通告
パドリオ政府の背信も三国条約に影響なし・日独が共同宣言
三国条約文内容
第二国民兵の再検査強化・四十歳以下にも適用・兵役法施規則を改正
学生の徴兵猶予を停止・国内態勢強化方策発表
台湾同胞に徴兵制・閣議決定・二十年度から実施
義勇軍の功績
日緬領土条約に調印・帝国が永遠の繁栄を助成
対日協力の成果
新伊共和政府主班にムソリーニ氏就任・帝国も承認通告
国際条約は全部継承
ラウレル氏一行入京・比島独立を東条首相らと協議
陸軍教育総監部本部長更迭・野田謙吾中将が新任
敵三百五十機を撃墜破・ソロモン血戦熾烈化
比島特命全権大使に村田最高顧問を起用
兵站基地へ躍進・比島軍政の成果
北支共産軍覆滅の鋭鋒・敵屍捕虜一万三千余
比島軍政の撤廃宣言
比島の独立承認・同盟条約に調印
朝鮮台湾人学徒に特別志願の途・内地人と同様の取扱い
中薗航空兵団長が機上で壮烈な戦死
呉鎮長官に野村中将・南雲前長官は海上要職に
日華同盟条約締結・南京で谷・汪両代表の歴史的調印式
日本政府声明・条約内容
国府の宿望結実・両国関係の進展に照応
日華同盟条約成る(社説)
真珠湾以来の大戦果・第二次ブーゲンビル島沖航空戦々果発表
ソロモン戦局に新段階・敵一万五千海底の藻屑
連合艦隊司令長官に勅語・敵艦隊撃破を御嘉賞
モスクワ共同宣言の狙いと弱点
富永中将が戦病死・大将に親任
半島の学徒兵志願九割を突破
敵は一挙に我本土狙う・今ぞ鞘走る錬磨の剣
マキン、タラワ両島に上陸の敵と激戦中
米英は断乎撃滅あるのみ・井口情報官が談話発表
わが新領土を剥奪・カイロ会談の決議
支那艦隊長官に近藤大将親補・異動評
マーシヤル来襲の敵潰滅・空母巡艦四隻を撃沈破
米軍二十七万英軍十二万・敵二箇年の人的損害・わが方十五万
重慶地区要衝常徳掃蕩戦・敵屍俘虜二万一千余
病院船ぶえのすあいれす丸の不法撃沈で米国へ厳重抗議
タワラ・マキン両島の陸戦隊玉砕・寡兵三千で血闘五日
当局の詳報放送内容
マーカス岬敵増援軍輸送船団を痛撃・四十八隻余を撃沈破
満十九歳で徴兵検査・関係法令公布即日実施決る
満二十歳組さきに検査
経済産業 経済一般・産業・交通・通信・運輸・社会福祉・労働・関連話題
大原孫三郎氏逝去
日独伊経済協定の経緯と展望
電力消費規制更に強化・最高は五割・住宅用二割
海軍企業合同へ・五十八社を五班に編成
蚕糸業者を一丸・蚕糸製造会社を設立
重点輸送強化で旅客列車を減少
機械の計画生産実施決る
航空機の計画生産へ・規模と機構
造船産業の拡充へ・規模と機構
産業応召に総力発揮・社長の徴用制実施へ協力要望
中南支の軍票引揚げ・漸次に儲備券と置換え・大蔵当局談
中南支軍票の役割を回顧
北海道派遣の労働隊・学生報国隊等約一万七千名
十七年度産米実収高六六七七万石・前年比一一六八万余石増
金鉱山の整備断行・資材設備を重要鉱山へ転用・当局談
「電信協会」が政府移管に・輝く歴史を回顧
二百卅億円の目標突破・銃後の貯蓄戦果
観光潮来の水郷地を穀倉に・五ケ年計画の工事完成
蘭の耕地一万数千町歩を食糧増産に・植物学者が軍に申告
二百万町歩を自作農化・二十五年計画の第一歩に着手
国鉄収入が予算五分減の十四億円
超重点産業増強へ・大東亜資源の急速戦力化の意図
軍需生産に集中・電力動員計画の内容
製糸が精密工場へ・岡谷市招致工場決る
「製糸信州」も大転換・釜数を九千程に圧縮か
中京―阪神間に二十二間道路・高速自動車路計画具体化
“電話会議”完成・近く実用化
セレベスに大紡績工場計画
土地所有権返上し農地の交換分合を断行・長野県下に画期的試み
短期廃止と場外制限・証券売買取引刷新案成る
企業整備の新段階・急転の情勢に即応・辿る迂余曲節の運命
日雇労務者を一元的に統轄指導へ・大日本労務報国会誕生
少年女子の入坑許可・工場深夜作業にも特例
企業整備推進の中核体・転廃業者に資金援助・軌道に乗る更生金庫の成果
今後の役割と業種別引受額
造船と生産拡充に活用・産業設備営団の成果と今後の方針
全国初の「酒屋さん企業合同」長野県に「下伊那酒造会社」設立
長野県の銀行統合完了・飯田銀行と上田殖産を「八十二」に合併
富士登山も割当制・急行料金も一率に改正・国鉄の決戦態勢
女の着物は年令別四種に限定・繊維産業協議会が答申
不在地主の土地開放・自作農創設に協力機運
需給新体制を往く統制会社の足跡・関係各社の成績打診
十和田湖の水面を低下・戦時下電力増強に即応
金属回収令を全面改正・八十二業種を指定
日本発送電総裁後任に新井章治氏を起用
学徒勤労の戦果・工場は数倍の増産で永続出動を望む
農村へ五十万人・幕舎を携えて増産援兵
徴用社長へ令書伝達式・決戦完逐の宣誓
株主の支援要望・首相訓示
働き抜かう二十四時間・八幡製鉄所が三交替八時間制で凱歌
地下資源開発に十原鉱を探る・調査に鉱工系学徒を動員
自発的供米の表彰制に帝農側の見解
早期供出米に奨励金・今年は地域を限定せず
商工組合第一次整備・三千組合を九百に統合
軽金属の王者アルミ・世界を挙げ増産競争
会長に藤山愛一郎氏・全国商工経済会が創立総会
辰馬吉左衛門氏逝去
工場人口の疎開地区は京浜、阪神、北九州・議会で当局が答弁
損害保険会社さらに合同・十四社に内認可
本年度麦実収高千八百五十三万石
物産を分離独立・三井大改組案成る
産業界の“癌”切り役・七十五歳の藤原銀次郎
青壮年登録を四十五歳まで引上げる・翼の増産へ戦闘配置
関門トンネル第二線逐に貫通
文化 学術・科学・教育・宗教・思想・芸術・出版・報道・関連話題
皇国の勝利へ神武国家体制
光輝ある決戦の新春(社説)
何時まで続くか義理人情・浪花節気質物語
滑空九時間・中級機で世界新
文化映画を統合・二十余社を三社に
共栄圏からの留学生三千・六割は科学系志望
米英音盤一千余を回収
中学から英語追放・女学校は家政に重点
学制改革の七勅令案決る・学科課程を重点的に再編
李香蘭が共栄圏を馳け廻る
学制改革の五勅令公布
学制改革の意義
大学高専の都市偏在是正へ
“有閑学校”が大恐慌
大学院制拡充案に早慶両大学々長の見解
黒い太陽世紀の観測に成功
大谷句仏師逝去
安藤正純氏「大学院問題」を衝く
小学校教科書を公有に・滋賀県の新しい試み
決戦下の言論指導(社説)
アチヤコと益田喜頓が一座を組織
平賀東大総長逝去・男爵授賜・無敵艦隊産みの親
女学校正科に武道・中等校教科規定公布
南限界線は線か地帯か・札幌日蝕が生んだ新問題
映画文部大臣賞・「ハウイマレー沖海戦」等七本決る
幼稚園も決戦態勢
敵性語絶対排撃・東亜医学会近く開催
東亜報道陣大講演会・陸軍記念日に開催
思想戦へ必勝の構へ・言論報国会発足
「受験型」は落第・味のある高校の入試
平田禿木氏逝去
南京へ文化の大使・各層から代表十名を派遣
盟主日本へ留学生・日緬親善の逞しき前進
藤島武二画伯逝去
高校生の落第が激増・理科は素質の低下顕著
国民校の先生にも春・中等校並に昇格
新人監督評・「姿三四郎」の黒沢君と「花咲く港」の木下君
在学者の徴兵猶予改正・中等学生の延期は廃止
「村の芸能人」を登録・増産推進に文化協会の努力
外出は週三回・全高校生に鉄の訓練決る
決戦下学徒錬成の指針(城戸幡太郎、永井柳太郎、小泉信三)
軍陣医学にまた凱歌・北満の奇病「出血熱」の病原体を発見
“落第七十二名”事件が問題化・波紋を投げる福岡高校
決戦の春に航空医学会誕生・岡山医大で晴の発会式
文学の重さ(高見順)
輝く芸術院賞内定・各界六戦士
中日文化大会の成果(武者小路実篤)
筆の戦士決戦の誓い・文学報国大会開く
各氏提案と決議要旨
芸能動員(時局新想)(高谷伸)
出版用紙割当が三割減・雑誌類は約四割減決る
買切り制に先手・「新刊弘報」を創刊
固有芸能の確立に「芸能協会」誕生・百名近い一流学者を網羅
漫画家も結束・近く「奉公会」を結成
無自覚学生は学園追放・高工校長会議へ当局の強硬指示
早大当局の見解
電信の自動式受信装置・樺太の一青年技術員が完成
昔の夢“弊衣破帽”盛上る戦ふ高校生気質
自信を語る両校長談
劇団新派遂に解散・演劇道場と芸術座が各自独立へ
美術製作用具を配給制に・作品販売も統轄・美術統制会結成さる
七民に文化勲章・各氏
不急学校整理と女子動員の積極化・国民動員計画内容
柳田・エノケン・シミ金の師弟三角関係物語
松本市開知国民学校七十周年記念式を挙行
会長に横山大観・美術報国会と統制会近く結成
無認可千校の学生・今後は徴用自由・有閑校の整理原案
学園に揚る新体操・東大生が鍛錬体育の普及へ
日婦・女子青年団の声
廻れ右“理科へ進め”日大が農学部を新設
大東亜農業の指導めざす
長唄界も協力・建艦献金運動に乗り出す
モグリ学校二千五百余に大鉈・六大府県へ「断」の指示
胸打つ感激を盛る・放送の棒読みをまづ改める
決戦学徒の卒業歌・文部省で入選二篇を発表
宮本武蔵のお通三代・轟、宮城、相馬の評判
放送の決戦態勢へ・日本放送協会の役員改選・逓相が目標示達
菊五郎と喜多村が市村座以来二十年ぶりの顔合せ
空の軍神を映画化・「加藤隼戦闘隊」の企画・山本監督抱員を語る
清元延寿太夫逝去
清元を愛し清元に死す・延寿の芸道八十年
舞踊生活五十年・藤蔭静枝が記念大会
麦ワラから人造肉を産出・京大工学部の研究成果
彩管の大東亜戦史・陸軍が現地に彫塑画家部隊を派遣
医博に贈られるゲーテ賞・第一回は足立博士
師弟結ぶ親子学園・「講議売り」を破る日大の新制度
日本流の威力・法医学界の権威小南博士が停年勇退
映画検閲を強化・“若き日の歓び”など大修正
中村不折画伯逝く
帝都だけで約二千・全国一万のインチキ校を来月から閉鎖
歌曲にうち込む米英撃滅の魂・楽壇総動員の二大運動
学園の歌も「着剣」頽廃抹消に大学と高専を調査
戦時下教育者に望む・谷萩報道部長が信濃教育会で強調
“白線浪人”を一掃・官立大学の入試改正
八十回の公演が満員・東宝舞踊隊三ケ月半ぶり帰国談
生ゴムから潤滑油・商工技師の研究稔る
学徒動員令への抱負・関係当局者の見解
文教維新の指向・学徒戦時動員体制確立要綱の目標
文士連が田植えの見学とお手伝い
モグリ学校一せいに断・二十九県が文部省へ報告
学園に“皆兵旋風”東大法文学部は殆んど全員が志願
コプラ粕から醤油・浮く小麦大豆二百数十万石・陸軍食糧技術陣に凱歌
アッツ島血戦勇士顕彰国民歌の入選作発表
召集令を手に加里製造に成功・独学青年工員が丸九年の刻苦
熱血の志願一万名・海軍予備学生へ学徒の奮起
軍医志願が九割五分・医大に漲る闘塊
マキノ三兄弟が協力、父の遺業を再興・松竹京都の新機構
レントゲンで麦の早期収穫に成功・木原均博士の研究結実
躍進の報道文学(板垣直子)
わがふるさと・祇園祭のころ(中村大三郎)
三宅花圃女史逝去
学徒陸鷲が学業半ばで決戦場へ・熱血こめて殺到の志願者
小織桂一郎氏逝く
俳優や音楽家も「芸能家勤労報国隊」を結成へ
輪血には馬の血が一番・大宮助手の研究に博士号
本土一周三千五百キロ・学生機が羽田に安着
思想戦過大評価を成しむ(社説)
アンボンで土語紙(シナル・マタハり」を発行
「土に叫ぶ」の松田甚次郎氏逝去
招待出品制の創設など・文展の新体制発表さる
決戦読書界から“きわ物”閉め出し・売切買切制が示す良書入手難
軍事援護学界生る・学者百五十名で創立創会
島崎藤村氏急逝
藤村翁“筆戦の最期”晩年を捧げた絶筆「東方の門」
全東洋新生の戦に不退転の誓い・大東亜文学者大会開く
貫徹せよ「学即戦場」文相が帝大総長会議で強調
大東亜文学賞も決定・決戦文芸へ各国代表が火の討議
噫!市原博士・車輌用特殊緩衝装置の試験中に殉職
真摯・科学に生きる
未亡人の語る博士の精進
関係者の追憶談
戦時訓練を主眼に授業は午前だけ・慶大が課目の整備断行
徳川時代初期の文献も発見・日緬文化交流に新事実
「伝統四百年」に訣別・両本願寺が一丸で必勝の大運動
女性の織手で十四年・速記原稿一万枚・秘史「園公伝」脱稿
文化学院、向島高女に閉鎖命令・生徒は分散・教職員の就職も斡旋
藤村と明治文壇・破戒の前後(鑓田研一)
不易の流行(亀井勝一郎)
三画伯脱退で二科会揺ぐ・文展出品問題の波紋
いざ空襲に随時移動・動く放送局が出現
大谷友右衛丈が圧死
“あつたぞ大鉱脈”探鉱隊が続々戦果・日本初の硅砂鉱など
千恵蔵が劇団「国声座」結成
初の大学航空講座・日大に二十日から開講
演劇演芸の興業は四時間以内・開演は午後五時以後に統一
男女中等学校生徒の動員に「報国隊本部」設置・緑地二十万坪を開墾
飛行機では断然優勢・我が科学技術陣の活躍紹介
鈴木梅太郎博逝去
全卒業生が軍医志願・大阪の大学高専卒業式
児王花外翁逝く
学生の徴兵猶予停止・理工系は延期・国内態勢強化方策決る
各研究室の壁を除き「国防」に智能の突撃・科学動員に学園の進軍
木村栄博逝去
大学法経文科生の徴兵検査開始・東慶両校の決戦表情
小泉塾長が餞の言葉
製鉄の煙から肥料・京大科学陣が増産へ凱歌
中学以上に学費を貸与・大日本育英団を創設
楽団も歌手も配給制・決戦下娯楽の戦闘態勢の内容
山本元帥の遺志を継ぎ全国で独唱会・佐藤千枝子が郷土訪問
師弟愛に薫る科学の偉業・木村栄博畢生の研究を田中館博が世に問ふ
東条首相に応ふ・関西十一学者の第二次共同宣言
文科系私大の相当数を専門校に・入学定員も半減・教育非常措置方策決る
二千万信徒の総蹶起・東西両本願寺が全国初常会開く
暗記主義をすて試験問題を大改革・都立四中の決戦教育
「修禅寺物語」をドイツで上演・寺小屋に次ぐ二回目の日本劇
出征学徒に卒業証書の餞・本年限り国家の贈物
沸る滅敵の血潮・神宮外宛で出陣学徒の壮行大会
首相訓示・壮行の辞と答辞
九十分の通し授業で無駄省く・都下女学生の決戦教室
岡鬼太郎(嘉太郎)氏逝去
「実績」より「性格」・出版事業整備要綱の目標
演劇演芸の動態調査・興味深い全国的統計
思想戦完勝へ大東亜新聞大会・十五日から帝都に開催
徳田秋声(末雄)氏逝去・里見〓氏追憶談
大東亜新聞協議会設立・宣言を可決
落選者は資材配給なし・美術統制会が画期的な査定
型より精神・戦う茶道へ表千家の狼火
公平で明るい新入試・学区制と統合考査制
京都市の横範的制度
歌舞伎名門の子弟も工場へ・芸能界の応徴態勢進む
航空機用ガソリン生産方式に新機軸・阪大中村教室の研究結実
戦友ここに団結す(海野十三)
高校入試科目から外国語駆逐・定員は理科が激増
東北地方冷害を科学的に予測・荒川技師の画期的発表
百九十五社を残し出版業を徹底整備・四千種の雑誌は半数に
新春から全学園が「軍人勅諭」捧読式
商業校が工業校へ転換・宇治山田商業の栄光卅九年の歴史
まず文学党派の統合・対華文学の将来を語る久米正雄氏
理工科拡充・法文系三分の一に縮少・学校整備要綱成る
合成繊維「カネピヤン」に凱歌・陸軍有功章の矢沢将英氏
スポーツ体育 スポーツ一般・相撲・碁将棋・体育・関連話題
「段」に代り「等」武徳会発表
愛知県が野球排撃を決議
双葉山の念願・「研修相撲道場」を福岡に建設
「野球一概に排斥せず」文部省の回答
ラグビーは「闘球」ホッケー「抜球」ゴルフ「打球」と改名
ガンバレ根上選手・ビルマ戦線で鶏小屋のおやじ役
卒業したら即戦力の養成へ・戦時学徒体育訓練要綱を制定
関係者の見解
野球や庭球は完全に閉出し・全国高校生に鉄の訓練
決戦下・学徒錬成の指針をきく(城戸幡太郎、永井柳太郎、小泉信三)
大学野球リーグ戦を廃止・聯盟も解散・関係者談・草分け時代の回顧
各大学体育部の新針路・四十部門を一応解消・明大は新制度発表
早慶両大学の新陣容
中央大会は全廃・勤労者の軟式野球庭球は奨励・体育会の新方針
早大が十九連勝・対慶応陸上競技
相撲の教訓(室伏高信)
運動選手は空へ征け・島人にうつてつけ・星野博士の研究
双葉山十二回目の優勝
大相撲が地方巡業を中止・重点輪送に協力
試合は全て一本・学徒の柔剣道に実戦の構え
消える“早稲田名物”戸塚球場の鉄骨も応召
学徒体育大会が無期延期・勤労動員に待機
築け勝抜く心身・全国千三百箇所に健民修錬所開く
楠本拶手が北支に散る
本望遂ぐ雪中死・元早大スキー部主将岡崎大尉
十五から二十歳まで・女子四百五十万にも体力章検定制実施
球場在す「海征かば」出陣学徒壮行早慶野球戦
宮城山(元横綱)逝く
競馬は来年から停止・施設は活用・草競馬は継続
海外 海外ニュース・外地の日本人関係記事
日本海軍機ニューギニアの米基地爆撃
英機ビルマで無差別爆撃
印度ベンガル州で武器所有を禁止
米国は世界戦争の張本人・白書を批判する米記者
ドイツの統制経済・牢固たりマルクの力
ビルマ人でも軍機漏洩は処罰
中国が米英に宣戦布告
日華新協定調印・租界還付と治法撤廃
精鋭卅万・決戦に臨む国府軍隊
米、南太平洋の損害発表・空母ホーネット沈没
租界物語・漢口と天津
租界物語・上海の転変
租界物語―広東と北京
敗都・ロンドンの生活相
ビルマ全域「建国」に歓喜
日米レンネル島沖海戦々果
日本軍が雷州半島上陸
仏政府が在支四租界返還と治外法権撤廃を声明
無理な米国の労働動員六百万・半分は女子供と老人
スターリン首相が元帥に
狭い世界で米英睨み合う・台湾捕虜収容所の将軍たち
建国にたぎる熱情・愛児四人を捧げるビルマの母
宣誓も日本語でマカッサルの開校式
亡命政権哀れ当外れ・各国の憤懣ぶりをみる
生き別れのビルマ母娘が涙の再会・蔭に一司政官の手引き
全校一せい「イガ栗頭」・マカッサル海員養成所の朗話
赤軍婦人部隊を東部戦線に配属・後方補給任務に動員
ビルマ防衛軍が英兵六名を捕虜に
化けの皮を邪恋で剥ぐ・抑留者に潜つた米英兵
最高は死刑・国府が買占めに厳罰決定
委員長にバ・モー長官・ビルマ独立準備委員会発足・長官演説
生れ変るビルマ・自主経済に再編成・窮迫農村も明朗化
体操で培ふ日本規律・セレベス公学校全職員に講習会
マカッサル原住民の人材養成に特別中学校を開設
世界初の七ツ子・比島医学界で研究開始
米軍がアッツ島上陸、日本軍と激戦
街中空家だらけ・失業者は何と二十三万・暗黒の街紐育
衰れ十一歳の豆兵隊・呆れた重慶の暴虐ぶり
米機日本病院船あらびや丸を爆撃
マカッサル、メナドに大紡績工場を建設
第一次工場計画内容
比島敗残軍五千が首領と共に日本軍に投降
比島独立準備委員会の構成完結・委員長にラウレル氏
アメリカの小国民・目立つ学力低下・叫べど及ばぬ保護対策
イギリスの少国民・給食に器材難・保育所は「貰ひ子」お断り
「米国の敵は女学生」愛国看板の性病悲劇
華北政務委員会々長に再び王克敏氏任命
インド臨時政府を組織・ボース氏が昭南で宣言
戦闘的政府樹立へ
ソ連の小国民・集団的に農業労働・戦争遊戯や映画大流行
インド国民軍を新編成・ボース氏対英武力闘争へ進軍
ソロモン群島日本軍が堅守
米の学園軍隊化・大学生廿五万が既に退学
ソ聯軍が全線に攻勢・女子落下傘兵も登場
伊ムソリーニ首相辞職・後任パドリオ元帥が戦争継続声明
伊全土戒厳令・独側見解
伊国の政変とその後・徴妙な瞬間に直面した国民の表情
米の老獪な神経戦
ビルマ独立・対米英に宣戦・国家代表にバー・モウ氏
上海共同租界の歴史的返還式
国家代表にバー・モウ氏・ビルマ建国式典厳粛に挙行
原田最高指揮官声明
アンボンで土語紙(シナル・マタハリ」を発行
ソロモン海空戦々果・日本軍発表
スマトラ入植・ジャワから縁故移民三五〇戸約一千名
キスカ島の日本軍全員撤収に成功
ニユーギニア激闘続く
六十万の女子部隊を正規軍に改編・侮れぬ米国の繊手労働力
イタリア遂に米英と休戦協定・無条件降伏発表・独側報道
伊国王と会見直後に逮捕・ムソリーニ統帥下野の真相
独軍ローマ市占領、直ちに武装解除
独ムソリーニ統帥を救出・落下傘部隊が活躍・既に独へ入国か
共和ファシスト党は即時再興・ム統帥が歴史的宣言
戦ふ学生・独米英ソ各国の表情
大統領候補にラウレル氏・比島建国へ初の国民大会
対日感謝決議要旨
新伊共和国政府首班にムソリーニ氏就任
賛沢なウインザー公夫妻・米紙に散々たたかれる
ソロモン血戦で日本軍発表
輝く新国旗掲揚・比島共和国独立を宣言・ラウレル氏大統領に
独立宣言全文
日本軍が比島軍政撤廃宣言
四百年の血の鉄鎖を断つ・比島独立運動秘史
独ソ両軍の損害甚大・中部南部で未曾有の激戦
赤軍の損害三百万・一万二千余機を喪失・独軍の発表
ブーゲンビル島沖航空戦々果発表
米軍がマキン、タラワ両島に上陸
日本を三等国に・笑止なカイロ会談の決議
マーシヤル諸島来襲の米軍撃滅・日本軍発表戦果
イタリア元外相チアノ伯銃殺さる
常徳掃蕩戦々果・日本軍発表
義勇軍志願が続出・全島に勤労精神漲る・インドネシアの建設譜
タワラ・マキン両島の日本陸戦隊全滅を発表
日本海軍、マーカス岬増援の米輸送船団を空襲戦果発表
社会一般 世相・話題・天然現象・事故・犯罪・司法警察裁判・医事衛生
これなら潜艦も平気・竹で造つた不沈艦
全ビルマの反英熱沸騰・ラングーン河の病院船盲爆
陸軍始は明治天皇の御創意・陸軍当局談
租界物語・漢口と天津
租界物語・上海の転変
赤ちやん死亡率に快記録
戦う軍国の二世・沸る五万人の血潮
仲人さんも笑顔・東京府結婚奨励組合は大繁昌
租界物語―広東と比京
煙草値上げ「光」卅銭・「金鵄」十五銭
消費を抑え勝抜く生活・新増税案の内容
一円の入湯料に税金六十銭・十億円増税案内容
大原孫三郎氏逝去
法制化される“戦ふ町会隣組”都市町村制法を改正
遊休電話に召集令・軍需へ供出を全国に呼びかく
「月々火水」の由来・財部大将談
図太いロンドン市民・在英外交官の帰国談
日本語教師を南方へ・六百名を募集
待合料亭の電力は半減・電髪などは当分我慢
松の椅子で必勝審議・日清戦争当時の決戦議会
朝野一体必勝へ進軍・日露戦争当時の決戦議会
今年は十九集団・満洲へ新天地求めて転業
洋服仕立廿五円以上課税
これから外食は困難・業務用配給米を大削減
劇場は月に二回休電
上級酒は都会に重点・菓子は子供と老人だけ
白紙応召者に福音・一千万円の援護団体組織
林銃十郎大将逝く・叙位勲章加授
大谷句仏師逝去
日光杉並木も造船に応召
寝台や食堂の一部廃止
ケーブルカーや昇降機も応召
空の神兵・パレンバン降下一周年座談会
「戦ふ結婚相談所」繁昌記
平賀東大総長逝去
帝都の料理屋半減・共助金支給を考慮
何と九万五千数百字・東条さんの陣頭発言
決戦標語「撃ちてし止まむ」陸軍記念日期し大運動
神武天皇の御製・決戦標語「打ちてし止まむ」の由来
贅沢衣類に六割・歌舞伎に十二割・必勝増税内容
誰でも入れる「必勝誓ひの会」誕生
御奉公の道ふさぐ「前科」抹消法案の実現へ・当局の発言
決戦増税に寂れる花街
「同生共死」に眼ざめた周仏海氏の令息
小山銀座が満洲へ引越し・商店街五十店が移植
決意を血書に南方志願・興亜錬成院へ十倍の応募者
最下位から第一位へ・秋田県の海軍志願兵
三百余年の暖簾を捨て「茨木屋」が陸軍に家屋敷提供
散華の日まで精進・若き学徒の業蹟を友情の出版
北海道映画会で火事・二百名焼死
狭い世界で米英睨み合ふ・台湾捕虜収容所の将軍たち
東京市に近く「都制」四十六年の市制を回顧
陸海軍親睦に乃木将軍が寄金を遣言・遺徳偲び集会所にショウ像画
二万女性が黒髪献納・鳥取市の陸軍記念日
雪の占守に今なほ儼然たり郡司魂・報効義会五十周年を偲ぶ
全国の銅像応召相次ぐ・主な話題
一服も大火事のもと・街頭の喫煙にも科料を考慮
女子にも与えよ愛国の翼・全国に檄を飛ばす「紅翼会」の面々
交番に優しい街の救済資金・電車賃を貸す愛宕署
藤島武二画伯逝去
宣誓も日本語でマカッサルの中学開校式
驀進する金属の“国家回収”第一次の目標内容
銅製仏具も総動員・仏教連で代替品と取換え
“一太郎やーい”銅像も応召
お銚子一本バーで一円四十七銭・酒の新増税実施
横綱に細川幽斎・「丹州先賢」の番付成る
お宮の樹まで伐る・長野県柏原村の供出ぶり
ヤミの源・物々交換の取締り・警視庁乗り出す
上野駅は売止め・連休に遊覧客と買出し部隊が殺到
海軍「秋田県民号」献納
宴会は婚礼だけ・酔客や乗遅れは皆無・市民納税報国の足並
行き大名の帰り乞食・連休客の醜態ぶり
消える銀座の“古き殻”街路灯応召に盛んな壮行会
生き別れのビルマ母娘が涙の再会・蔭に一司政官の手引き
会長は市長承認制・東京の町会が戦ふ体制替え
赤誠の供出電話四千本に達す
全校一せいに「イガ粟頭」マカッサル海員養成所の朗話
日本語で“発車・停車”京都市営乗合から敵性語追出し
鉱山統制と劇的転進の朝・金山を下る戦士に旗の波
ヤミ売排撃に率先・酒田の一農家の心意気
畳表は菅で結構・藺の耕地一万数千町歩を食糧増進へ・軍当局へ申告
北海道が全国に率先して結婚相談所設置決める
金ボタンにも赤紙・今すぐ出そう銅や鉄
文武に生く不屈魂・是清翁令孫の純情生涯を追憶
世に捧ぐ戦ふ教室・出版された一中学生の手記
凶慌予備米を開放・秋田県の素封家が百廿年目の奇特行為
数奇な運命「雲右衛門像」古道具屋から転々応召
壮烈・山口加来両提督の最期・平出大佐が放送
ガス節約さらに強化・家庭用は五分減
文化勲章に光る母の涙・科学者兄弟湯川博士
悠々辞世の歌朗吟・平野国臣公刑死の真相
無医村解消へ進駐・日本医療団が全国に直営病院計画
勝敗は出生率で決る・戦争と人口の関連
化けの皮剥がれた米英兵・抑留者に潜つて失敗
「箱入娘は旧観念」国民動員計画を街に聴く
行け陸軍少年兵に・国民学校から一直線入学の途開く
お通し物は十銭・特別定食が二円・飲食店が自粛値を実施
外食券なし予約で食べられる・勤め人専門店が丸の内に出現
仏教徒も起つ・貯蓄目標二百七十億円達成へ
一千名が笑顔の転業・東京市洋品小売業組合がお手本
輸番制で報国隊・福岡県が国民動員計画に呼応
共栄圏から年に一万機献納・日独伊親善協会が乗出す
三台以下は一台残る・四階以下は全廃の昇降機
靴下なし半ズボン・帰還作家陣頭に夏の軽装運動
“灯火漏洩申訳なし”駅長が責任感の自殺
お風呂が八銭に値上げ・営業時間規則違反には厳罰
北海道支庁毎に修錬所・健兵保育修練計画に呼応
京都市で蝋ショク配給・電灯のない家が百八戸
比島で世界初の七ツ子誕生
一日一厘を五十年・父子相伝で銃後の貯金佳話
海軍記念日に誕生・府中町に東郷錬成道場
国鉄初の女現業員・まづ有楽町駅に配置
新婚家庭へ鍋と釜・警視庁が嬉しい特配
浴用は赤ちやんだけ・大人には椰子油だけの石鹸を配給
青壮年国民登録申告についての注意条項
必勝へ貫く山本精神・戦死の放送に心も澄む元帥夫人
冷静な令姉談・放送でも追悼
師も三嘆の神童時代
頭脳冴えわたる名将
清元延寿太夫逝去
駅頭に勅使御差遺・山本元帥国葬の盛儀
車掌・料理人・商店販売係などに女子の進出が激増
信濃と海軍魂(山口菊十郎)
無鶴が市制へ船出・海軍記念日の二重奏
まづ槍玉に算盤と糊・悪質文房具を征伐
麦ワラから人造肉・栄養分も遜色なし
決戦下の法廷争ひ減少・歓迎される戦時調停
アッツ島の忠魂に続け・大義に生く山崎部隊長の書簡
アッツ島玉砕で全日大生憤起・義勇軍志願の雄叫び
弔問実に卅余万人・自邸へ血書卅余通・山本元帥へ捧ぐ誓ひ
救はれた妻の勧告に部下五千を率ひ投降・比島残敵掃蕩戦佳話
背広も丸帯もやめだ・決戦国民服の基本要綱発表
けふ山本元帥の国葬・雄魂に誓ふ米英討滅
「山本元帥の国葬に際して」島田海相が放送
ああ限りなき荘厳・山本元帥国葬参列記(木村毅)
重囲下に拝す御言葉にただ号泣・アッツ島十八昼夜の死闘
戦時禁酒法の制定・日本禁酒国民同盟が建議
中村不折画伯逝く
胸のボタンは弾丸だ・金属類非常回収実施細目の内容
東京都物語・花のお江戸から東亜の首都へ
別荘地とゴルフ場を健民増産に明渡せ・翼壮が軽井沢に着眼
洗濯できる紙や南方紙など・増産と節約の二研究
配給米も返納・長野県下温泉旅館の決戦調
幌別砲撃に奮起の未亡人・夫の胸像を献納
夜の議事堂を発車・決戦議会バス走る
商工省燃料局長ら四名収賄罪で起訴