昭和61年(1986年)伊豆大島噴火災害活動誌
第1部 伊豆大島噴火災害の概要
伊豆大島噴火災害の概要
伊豆大島の噴火状況
伊豆大島の被害状況
伊豆大島の概要
昭和62年11月16日の伊豆大島再噴火
第2部 災害応急対策活動
災害対策本部の設置及び活動体制
避難
災害情報活動
災害警備活動
救援・救護活動
10特別区の救援・救護活動
東京消防庁の支援活動
動物保護・生業維持及び高圧ガス等の安全対策
住民の日帰り帰島
全員帰島の実施
緊急輸送活動
総合生活相談の実施
生活援助のための諸制度の運用
産業対策
公共施設等の応急対策
応急教育活動
その他の本部支援活動
災害対策経費
東京都各局(庁)の災害対策活動経過
第3部 各機関の災害対策活動
国の伊豆大島噴火対策本部の活動
防災関係機関の活動
大島現地機関の活動
静岡県及び静岡県各市町の協力
第4部 議会の災害対策活動
東京都都議会の活動
大島町議会の活動
関係区議会の活動
衆議院の活動
参議院の活動
第5部 噴火災害の復旧・復興対策
緊急観測監視体制の整備
活動火山対策の推進
公共施設等の復旧対策
産業復旧・復興対策
局地激甚災害の指定
伊豆諸島の火山噴火の特質等に関する調査研究
伊豆大島噴火対策会議
国及び知事への要望
第6部 災害見舞金・義援金
災害見舞金・義援金の受付状況
災害見舞金の配分積立状況
第7部 伊豆大島噴火災害の反省と教訓
伊豆大島噴火災害の教訓(総括)
東京都各局
10特別区
防災関係機関
大島現地機関
第8部 私にとっての噴火災害(体験記)
“三原山大噴火”-そのときわたしは-
目前のカルデラ内割れ目噴火を見て(大島町御神火茶屋・高木勲)
火山活動監視中に割れ目噴火発見(大島町役場・宮本謹治)
暗闇に光る火山弾(警視庁大島警察署・田中栄次)
伊豆大島噴火と偵察活動(航空自衛隊偵察航空隊・溝上良一)
伊豆大島火山1986年11月21日(工業技術院地質調査所・曾屋竜典)
決死の脱出(警視庁大島警察署・杉原正己)
御神火様よ、静まれ!(警視庁大島警察署・鈴木かな江)
明け方まで続いた住民の避難誘導(都家畜保健衛生所大島支所・中村博)
大島町消防団を指揮して(大島町消防団長・柳瀬源二郎)
一人の死傷者も出なかった住民避難(大島町消防団北の山分団長・佐々木幹男)
予想していた三原山大噴火(大島町消防団泉津分団長・武田与志男)
大島三原山噴火を経験して(大島町北の山・青木昭南)
消防団員の住民避難誘導(大島町消防団副団長・芳賀芳昭)
ゲートボール(スケッチ)(大島町泉津・戸沼武弥)
Oshimas' Great Fire Spirit(大島町北の山・ThomasCook)
昭和61年伊豆大島大噴火の体験(前気象庁大島測候所調査官・田沢堅太郎)
噴火当時を省みて(前気象庁大島測候所長・百瀬秀雄)
上空から見た割れ目噴火(気象庁大島測候所・安藤邦彦)
災害対策!―その最前線で―
大島における通信確保の活動(伊豆大島電報電話局・北村文昭)
大噴火―電力の灯を守り通して(東京電力(株)大島事務所・米本晋之介)
大爆音と火柱(警視庁大島警察署・館悟)
自衛鑑による住民避難(海上自衛隊「あつみ」艦長・松井貞之)
故郷大島で溶岩流に挑む(東京消防庁渋谷消防署・坂上多門)
溶岩流との闘い(東京消防庁特殊災害課・長島敏昭)
全員避難と陸上自衛隊(陸上自衛隊第1師団・柳沢徳昭)
海の安全を守って(伊豆大島航路標識事務所長・小滝恒夫)
伊豆大島での水準測量(建設省国土地理院・菅富美男)
御神火を逃れて
御神火を逃れて(伊豆大島簡易裁判所庶務課長・藤井善郎)
避難に際して、持ち出した身の回り品(大島町岡田・藤井三枝)
私にとっての「全島避難」(大島町岡田・竹中康太郎)
大島老人ホームと全島避難(伊豆大島老人ホーム施設長・原タツ)
お年寄りと一緒に逃げた我が噴火体験(伊豆大島老人ホーム・山本すみ江)
気にかかった家族の安否(大島町差木地・三辻房子)
人皆心あり(大島保護司会・阿部小苗)
避難所生活(大島町元町・山田一蔵)
消防団員の活動の陰で家族は(大島民生委員協議会・高梨悦三)
園児と全島避難(元町保育園長・橋本光)
児童・生徒の避難で最も心配りをしたこと(大島第一中学校教諭・増木米孝)
児童・生徒の避難と災害教育
児童生徒の避難・最も心に残ったこと―京橋小での生活―(波浮小学校教諭・五十嵐仁美)
波浮地区と三原山の噴火(大島町波浮港・沼田里代)
先祖等からの言い伝え(大島町泉津郵便局長・浜田正勝)
鎮めの森とバータゴ様(大島町差木地・高田三喜治)
古来より伝え聞く御神火(大島町消防団元町分団長・藤井森之助)
避難所の訪問(警視庁大島警察署・田中清)
思い出話になるべ(警視庁築地警察署・牛島幸二)
噴火・避難をふりかえって(大島藤倉学園・矢野朝則)
一時帰島(大島藤倉学園・望月政明)
住民生活相談をとおして(都情報連絡室広報広聴部・大井卓三)
全島避難を取材して(東京新聞特別報道部・上山泉)
大島の人々を東京へ迎えて
熱海市へ大島住民を迎えて(熱海市市民安全課長・加藤明)
大島噴火災害の救援活動(港区日赤奉仕団副委員長・森美代子)
日赤奉仕団の一員として(品川区日赤奉仕団八潮分団長・毛塚昭弘)
大島救護に想う(江東区城東医師会長・山崎衛)
炊きたてのご飯とあついみそ汁で(北区・伊藤百合子)
感謝の言葉に感激(警視庁東村山警察署・相原寛)
大島の住民を港区へ迎えて(港区教育委員会・塚中和夫)
橘家円蔵の「疎開」を聞く(警視庁小松川警察署・岩崎基)
岡田・元町小学校からの児童を迎えて(文京区立窪町小学校教諭・村山花子)
大島の子供達の緊急就学(千代田区立神田小学校教諭・佐々木千恵子)
被災生徒受け入れについての経過と対策(千代田区立一橋中学校教頭・渡辺光一郎)
児童生徒の避難・最も心を悩ましたこと(千代田区立九段中学校教務主任・花村重淑)
大島避難と千代田区PTA役員の対応(千代田区立九段中学校PTA会長代理・土屋健子)
児童・生徒の避難と災害時教育(千代田区立神田小学校・加部佐助)
児童生徒の避難と港区の対応(港区立芝浦小学校・仁保義和)
仮設保育所の開設(千代田区福祉部児童課・馬場勇)
避難所生活を取材して(時事通信社社会部・湯沢康介、堺祐介)
無人の島・大島を守って!
大島町役場で生活した1カ月(大島支庁前総務課長・荻田旭)
わずか30分の放馬作戦(警視庁第二交通機動隊・福井博康)
無人の大島10日間の記録(警視庁前第三機動隊・清家春夫)
体力の限りを!(警視庁大島警察署・八柳誠二)
犬とのスキンシップ作戦(警視庁警備第二課・岩原弘)
鶏の捕獲に悪戦苦闘(警視庁第六機動隊・郡司辰男)
現地における報道機関への対応(情報連絡室報道部庶務係長・清谷佳司)
大島の人たちの温かい心に接して(警視庁第五機動隊・益憲昭)
裏方に徹して
噴火災害の恐ろしさと報道対応(都情報連絡室報道部・金子務)
ホテル・シップと職員の給食(総務局勤労部・岡本次男)
防災行政無線の運用(財務局庁舎管理部・田中義美)
夜を徹しての一カ月―ボイラーの火を守りぬいて―(財務局庁舎管理部・入道定男)
被災者と災対本部とを結ぶ接点で(財務局庁舎管理部・西原州)
プロパンガスの点検に従事して((社)都プロパンガス協会・長谷川功作)
大島住民避難と都バスの運用(交通局自動車部・井上清美)
大島噴火に際し、救護班として(衛生局荏原病院看護科・近藤美恵子)
バスによる避難者の移送(福祉局・都丸繁)
大島の港湾工事事務所の責任者として(港湾局離島港湾部・徳光正徳)
噴火災害と耐震診断(都市計画局建築指導部・高橋幸治)
都本部における報道機関への対応(情報連絡室報道部・笠間七郎)
大島町防災行政無線(大島町役場・山田与志昭)
大島の明日に希望を―生活再建―
三原山噴火と農業経営(大島町間伏・笠間雅義)
農業被害と生活再建(大島町岡田・伊藤昭和二郎)
畜産被害と生活再建(大島町北の山・菊地タケ)
漁業被害と生活の再建(大島町差木地・石井譲)
本当の被害はこれから?(大島町商工会理事・原田国男)
大島の明日に希望を(大島第二中学校三年・菅野美稀)
大島は私の住むところ(七島信用組合・酒井美世子)
大島再建は「人の和」で(大島町役場・向山正弘)
報道関係者への窓口として(大島町役場・藤井一世)
三原山噴火と子供たち
こわかった(差木地小学校一年・木村はるな)
三原山のふん火(波浮小学校二年・菊地まほ)
三原山(岡田小学校三年・原沢誠)
三原山のふん火でひなんしたこと(野増小学校四年・増木佐江)
209年ぶりの大噴火(泉津小学校四年・門井洋介)
たいへんだった一カ月(北の山小学校五年・小蔦かおり)
避難のこと(元町小学校六年・高田彩)
噴火避難のこと(第三中学校一年・河野泰子)
避難生活を終えて(第二中学校二年・白井一司)
とってもうれしかった-稲取の役場の皆さんへ-(第一中学校三年・大槻京子)
三原山噴火について(都立大島高校一年・高橋一樹)
三原山大噴火を体験して(都立大島南高校二年・臼蔵祐之)
三原山噴火回想記(都立大島高校三年・小坂歩)
避難中のこと(都立大島高校四年・山中淑江)
第9部 資料
火山噴火予知連絡会及び同大島部会の統一見解及びコメント(概略)
伊豆大島噴火災害の避難時の状況調査報告(概要)
「61年(1986年)伊豆大島噴火」における(住民の避難行動に関するアンケート調査結果)
「昭和61年(1986年)伊豆大島噴火災害」に係る知事感謝状贈呈概要
東京都「61年(1986年)伊豆大島噴火」対応措置概要