高島屋135年史
はじめに(取締役会長・飯田慶三)
序にかえて(取締役社長・飯田新一)
高島屋135年のあゆみ
創業からの100年
創業の頃 その後継者たち はじめての外国人客
四代新七 大阪進出 京都府下印紙元販売所
第5回内閣勧業博覧会 高島屋飯田合名会社設立
京都店の新築 わが国の百貨店─そのおいたち
が国の百貨店─その発展 新柄流行品百選会
大正・昭和の御大典御用 高島屋飯田株式会社設立
南伝馬町店新築 大阪店の火災 株式会社高島屋呉服店設立
長堀店開店 関東大震災と当社 下足預り制廃止
京都店の火災 東京店仮店舗 四代新七社長就任
緊縮政策の影響 社名変更 10銭ストアーの開設
岸和田・和歌山両店開店 創業100年
その後の35年(前編)終戦までの15年
大阪・東京両店磐石の基礎なる 南海店全館開店
均一チェーンストアの経営 東京店新築竣工
日本百貨店協会の自制声明 天下茶屋食料品工場
戦時経済体制へ移行 京都四条店の地鎮祭 東京店の増築
百貨店法施行 東洋一の大食堂街 戦時体制次第に強化される
9・18価格停止令 フーバー号船備品の売立て
大陸進出と商事部の活躍 南海・長堀両店の統合
株式会社設立20周年 戦時色次第に濃くなる 太平洋戦争起る
米の通帳配給制と衣料切符 技品と芸品
不要品交換会から中古品売場の設置 防空用品と刀剣売場の開設
飯田直次郎社長就任 代用品と代用食 売場の供出
戦時下の機構改革 終戦一年目の様相 外地発展の成果
応召・徴用・雇入の制限等 高島屋電気製作所
東西両店の空襲被害 終戦を迎える
その後の35年(後編)戦後の20年
復興に立ちあがる インフレと新円発行 卸部開設
従業員組合結成 京都四条河原町の仮店舗
百貨店法の廃止と集排法指定 戦後の売場
絹展の開催とエキスポートバザー開設 朝鮮動乱と特需ブーム
京都四条店本建築一部竣工 大阪店のニューブロード・フロア
労働運動の活発化 飯田直次郎社長急逝 飯田慶三社長就任
労使紛争 合成繊維革命 テレビ番組提供
営業店の増築ちづいて竣工 新宿進出計画
高島屋飯田、丸紅と合併 神武景気と電化ブーム
婦人服装界の流行 業界の設備拡張競争 新百貨店法制定
大阪店新館増築完成 大阪百貨店連盟(IGDS)に加盟
ナベ底不況 ニューヨーク高島屋 美術部創設50年記念展
横浜高島屋 飯田新一社長就任 倍増景気と百貨店
第一次五ヵ年計画 大阪百貨店連盟第16回東京総会
戦後の催物 東京店増築竣工と新売場配置 商品本部の設置
支店組織機構の設置 支店組織機構の改革 米子高島屋
堺支店開店 京都支店増築新装完成 東京支店全館増築新装完成
皇居新宮殿御造営 飯田新一社長の栄誉 第2次五ヵ年計画
現況
資料
定款
資本金・営業成績推移表
株券
経営管理機構
役員任期表
役員・顧問略歴
従業員数の推移
店舗の所在地
記録写真35年
特集 第一篇
特集 第二篇
店舗の変遷と発展
余禄
年表
第1篇 天保2年創業より大正8年まで
第2篇 大正8年株式会社設立より昭和20年まで
第3篇 昭和20年終戦より昭和42年まで
催事録