図書アサヒ シンブン ノ クジュウネン000034943

朝日新聞の九十年

サブタイトル1~10
編著者名
朝日新聞社 編者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1969年(昭和44年)3月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
492,92p 図版
ISBN
NDC(分類)
070
請求記号
070/A82
保管場所
閉架一般
内容注記
巻末:年表(92p)
和書
目次

序(社長・廣岡知男)

一 創業期 たちまち関西を制圧
明治十二年一月二十五日
木村父子、村山と結ぶ
はやばやと小新聞の殻を破る
苦境下に村山・上野コンビ誕生
十六年から部数全国一
全社一丸、大洪水と闘う
韓国・清国へ特派員飛ぶ
代表的な「中新聞」に成長
念願達成へまず東京支局
編集を支えた経営の努力

二 東京へ進出 東西で躍進
当時言論界苦難の一断面(「めさまし新聞」盛衰記)
「めさまし新聞」買収成る
明治二一年七月十日
付録にさし絵に欧風木版画
「東朝」部数たちまち倍増
新聞界最初の欧米特派員
「東京公論」と「大阪公論」
憲法全文を大阪へ電報送り
一転機─東海道線の全通
意表つくマリノニ輪転機輸入
「東朝」、十六社の販売攻勢と戦う
手さぐりの第一回総選挙報道
第一議会にマリノニの威力
「国会」新聞五年の足跡
全日本を衝動した大津事件
濃尾大地震に東西から特派員
東西本紙の呼びもの小説
「東朝」、十九社の再攻勢を乗切る
西に高橋健三・東に杉浦重剛
福島中佐の欧亜「単騎遠征録」
郡司大尉の千島探検も独占

三 戦火をくぐって 日本の代表紙となる
「振子未曽有」の日清戦争
池辺三山・鳥居素川の登場
村井の「北京籠城記」各国で転載
「大朝」「大毎」事ごとに対立
連勝して講和に敗れる─日露戦争
通信網充実・紙面改革進む
夏目漱石と二葉亭四迷
「大朝」の紙齡一万号に達す
白瀬中尉の南極探検を援助
三山突然の退社と意外な急死
明治天皇の崩御で大報道戦

四 大正新時代 デモクラシーを推進
憲政擁護運動の先頭に
飛行機の将来性に注目
第一次大戦─特派員を世界へ
即位式を前に「大朝」夕刊発行
全国中等野球大会のうぶ声
最新設備の新大阪本社落成
「明暗」に心残して漱石死去

五 「白虹事件」 本社存亡の危機
寺内「閥族官僚内閣」へ総反撃
問題の一句「白虹日を貫けり」
立会検事、発行禁止を求める
村山社長、暴漢に覆われて負傷
社長更迭・社内に大変動
「造化精妙」の上野理一を失う
普選・軍縮へ不屈の闘志

六 風雪期 暗い言論の谷間
東西一体の関東大震災報道
東京─大阪定期航空を開始
東朝、有楽町の新社屋へ
即位の大礼に電送写真登場
創刊五十周年記念に「朝日賞」
ツェペリン伯号を迎えて
じわじわとファッショの圧力
敢然と闘う「大朝」高原論説
ついに満州に戦火あがる
栄光に包まれ村山龍平逝く
言論抑制化、筆政を一元化
銃剣、東朝を襲う─二・二六事件
小倉と名古屋でも印刷開始
「神風」機、亜欧連絡新記録を樹立
A26機で航続距離の世界新記録
日中全面戦争のどろ沼へ
総力結集へ社内新体制
破滅の太平洋戦争に突入
軍部・官僚による統制の実体
相次ぐ新聞界の非常態勢
ジャワとボルネオで新聞発行

七 平和とともに “世界の朝日”へ
戦争責任負い役員・幹部総辞職
宣言「国民と共に起たん」
占領下に初の公選役員苦悶
精根尽した連合軍との均衡
長谷部・インボデン、緊迫の会見
再起ようやく軌道に乗る
村山長挙と上野精一復社
南極学術観測事業を推進
ファクシミリで北海道印刷
論説貫く民主主義
異例の株主総会から首脳更送
詳細な社主規定を制定
四原則を軸に経営近代化
着々あがる技術開発の成果
障害乗越え乗越え社業進展
秋風に映える新大阪本社ビル

八 本社の諸事情 出版・放送・スポーツ
成長を続ける出版活動
ラジオとテレビへも進出
文化とスポーツの先導者

年表

写真ページ
第一部
第二部