図書アサヒ シンブン ショウシ000034940

朝日新聞小史

サブタイトル1~10
編著者名
朝日新聞社 著者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1961年(昭和36年)3月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
144p
ISBN
NDC(分類)
070
請求記号
070/A82
保管場所
閉架一般
内容注記
「朝日人」の別冊附録 朝日新聞小史年表:p121~141
和書
目次

写真
村山龍平 上野理一
社長 村山長挙 取締役社長 上野精一
小西勝一 高橋健三 西村天囚 辰井梅吉
池辺三山 鳥居素川 二葉亭四迷 夏目漱石
下村海南 緒方竹虎 漱石の絶筆原稿
落成当時の大阪本社 新社屋上棟式の日の村
山龍平、上野理一両翁
本社社屋の変遷と創刊当時の印刷機
中之島旧社屋時代の編集室 新館工事のため
建てられた中之島の仮社屋 マリノニ輪転機
大阪知事に出した新聞発行願 女子行員
の解版作業 グラビア輪転機 滝山町時代の
東京朝日社屋 東京朝日創刊号と三政論紙
濃尾大地震の写真木版 大正六年ごろの大阪
本社印刷工場 夕刊発行祝賀の旗行列 半井桃
水の「戦場片信」 磐梯山噴火図 火事場
号外 新聞発送用の手車 創刊当時の新聞配達
人と配達箱
朝日ユニバーサル超高速輪転機 キャスター
本社主催のスポーツ行事の中から
米人マースの飛行から「神風」機の記録飛行
完成へ
現在の四本社と一支社
北海道支社とファクシミリ

創業期 創刊から東京進出まで
八十二年・切りひらいた苦難の道
明治十二年一月十数人でスタート
適切だった新時代への編集方針
大新聞と小新聞の特色折衷に成功
ゆるがぬ伝統「不偏不党」の社是
デモクラシー時代への先駆的役割
最初の発行停止と思いきった企画
「営業」を考えた村山龍平の先見
村山、上野が業務の先頭に立つ
初期販売躍進の苦心─小西の回想
印刷─おたふくの能力一時間三百
ショウチュウのまして印刷機を運転
江戸堀、京都堀から中之島社屋へ
一年交代制の「村山、上野社長」
「造花精妙」の標本─如是閑の追想
特徴をもった新聞事業家の結合
協同精神の伝統、小西・辰井にも
厳父と慈母の感じ─美土路の追憶
明治30年、新聞界最初の十万突破
東京へ進出、めさまし新聞を買収
大阪新聞界に新興紙、毎日の出現

発展期 東西で躍進、満州事変まで
東朝の発展─報道第一と戸別配達
憲法発布で圧勝、全文電報の新手
画期的な輪転機輸入で印刷を改革
国会開設を前に大新聞発刊を断行
クオリティー・ペーパーへ発展
東洋のタイムズ・「国会」を発行
近代的ナショナリズムの伝統築く
高橋健三入社、朝日の面目を一新
日清戦争─平静な社説と電報合戦
光彩をはなった大阪朝日の論説欄
海外ニュースを拡充、外電特約
日露開戦前夜─最悪時の対策急ぐ
大がかりな従軍記者・まず若手派遣
通信船撃沈・ロシア軍に捕えられる
報道写真が出現、スケッチに代る
商社の協力で「敵艦見ゆ」の第一報
講和反対で三十五日間の発行停止
新聞小説雑報から文芸作品へ
二葉亭─「其面影」「平凡」、露都へ特派
漱石を入社にふみきらしたもの
先輩紙のしにせ相手に東朝の苦闘
社会面のうつりかわり─近代化へ
企画が流行した日露戦後の新聞界
白瀬南極探検隊・後援に慎重な態度
広告面の改革と成長─世相に合う
外電面も強化、国際的記者の出現
明治の終わりを飾った天囚の名文
大正の初期─「憲政擁護」運動立つ
第一次大戦─写真号外が威力示す
夕刊発行はじまる─大阪は大正四年
速報性・「時間」から「分」単位の活動へ
地方版を拡充、全国紙の機構整う
大正デモクラシーの先頭に立つ
米騒動─白虹事件で存亡の危機に
幹部更送、上野社長から重大訓示
組織の変化─「合名」・「合資」・株式会社へ
大発展をもたらした新機械の採用
定期刊行物─マスコミの多角経営
関東大震災─紛失・孤立の東京朝日
総合編集へふみきる、整理部拡大
普選と軍縮へプレス・キャンペーン
軍発勢力の打倒をめざした社論
世界新聞大会・朝日代表の提議採択
「言論の自由」にせまる不吉のかげ
台頭するファシズム運動に反撃

風雪期 言論統制下、終戦を迎えるまで
朝日打倒へ・軍部、攻撃を集中す
東京朝日襲撃さる─テロ続出時代
日華事変─飛行機と無電が活躍
東京、大阪を一本化の主筆制実施
九州、名古屋に支柱─本紙を印刷
用紙も制限、夕刊廃止・紙面を縮小
総動員法下の記事制限・査閥生れる
「指導記事」・紙面にふえる説教調
共販制・一県一紙へ、疎開工場作る
併読禁止、県紙へ中央紙の持分合同
強化された地方紙、面目を一新す
近づく敗戦、記事より防空と食糧
平和かえる─新しい日本の建設へ

朝日新聞がほこる三大企画
航空
高校野球
ファクシミリ

年表
あとがき