朝日新聞名古屋本社五十年史
序(朝日新聞社社長 一柳東一郎)
(名古屋本社代表 伊東邦男)
口絵
名古屋朝日印刷開始からCTSまで
写真が語る朝日人活躍の跡
序章 名古屋朝日の誕生
待望の朝夕刊印刷
名古屋進出の背景
朝日ビルを新築
名古屋支社が発足
朝夕刊発行は直前に決まる
盛大な完工式と披露
初刷りは11月25日夕刊
朝毎の“敵前上陸”と地元紙
販売網の拡充と整備
活発な号外戦と企画事業
発刊時の思い出
第二章 地元紙の興亡と「大朝」進出 前史
近代の幕開け 明治時代
地方紙、相次いで刊行
「朝日」創刊早々、東海にも読者
村山・上野体制の確立
部数日本一 隆盛の道
「板垣遭難」と朝日の詳報
18年から名古屋に通信員
東京進出と松坂の即日配達
大阪事件公判などで活躍
混戦の地元新聞界
東海道線全通と郵便条例改正
岐阜消ゆ 濃尾大地震
建軍以来の陸海軍連合大演習
日清戦争と戦後の中京
通信部・販売局を設置
日露戦争と名古屋外
明治末期に名古屋附録
両紙との競り合い、頂点に 大正時代
地元紙の進展
大戦勃発 夕刊・地方版発行
「東海朝日」で大拡張戦
夏の甲子園野球大会を主催
少数精鋭の名古屋通信部
困難乗り越え社業発展
関東大震災の報道で活躍
通信部・販売局の変遷
訪欧飛行とラジオ欄登場
着々と全国紙態勢 昭和初期
御大典報道、機械化で勝負
天皇直訴と原稿つり上げ
名古屋印刷の基礎固め
創刊五〇周年を迎える
夕刊三版制と一県一版制確立
満州事変起こる
暗い谷間 テロ・猟奇殺人
第三章 風雪期・敗戦への道 昭和10年代
伸びゆく中部本社に暗雲
二・二六事件と支社
発刊一周年で増築
「金鯱怪盗」「行李詰め」 二つのスクープ
神風号の成功
専売化と朝日非買事件
宣戦なき戦い 日中戦争始まる
用紙統制・減ページ
中部本社に昇格
太平洋戦争に突入
痛恨、中部本社の撤退
一億総哭の秋
第四章 虚脱感・解放感、そして復興 昭和20年代
再び輪転機の轟音響く
役員・幹部総辞職
紙面改革の第一号
暗い世相と“朝鮮特需”
混乱の時代、事件相次ぐ
全国中等野球大会の復活
「中京」「新東海」の創刊
中部支社に昇格、印刷を再開
本格的な自由競争時代
“自前の紙面”に精彩
大須事件 騒乱罪確定
カラー登場 親しまれる紙面に
第五章 高度成長期・社業伸びる 昭和30年代
再び四本社体制整う
名古屋本社に昇格
販売倫理化・専売網手直し
報道の機械化、急ピッチ
読者に密着した紙面
泥と水と汗との報道戦 伊勢湾台風
相次いだ大事件・事故
発展する中部経済圏
部数30万・文化センター誕生
電波報道に進出
第六章 情報化社会、部数も急増 昭和40年代
時代に対応、画期的紙面改革
世界的な記録、五〇〇万部
新聞製作専門の新館完成
「東名ファクシミリ」スタート
高速漢電など次々導入
一面に「ニュース抄録」掲載
待望の重ね刷り
飛騨川事故の教訓
成長のかげり、四日市大気汚染
ピンポン外交と横井庄一さん帰郷
石油ショックと新聞界
企画行事も活発に
第七章 新たな飛躍へ足固め 昭和50年代
七〇〇万部達成と創刊百周年
スリムな経営体質へ
中部読売の進出
進まぬ販売正常化
購読料改定と広告費
読み易い文字「N字」登場
ためになる、役に立つ紙面
多様化する経済ニュース
高度情報化社会と事件
ネッシー。ニューネッシーの威力
CTS動き出す
美術展と幅広い福祉事業
ひと・機構・すうじ
年表
あとがき