愛媛新聞・百二十年史
愛媛新聞社・社是
地域と共に
発刊に寄せて(愛媛新聞社会長 松下巧)
発刊のことば(愛媛新聞社社長 今井琉瑠男)
■グラビア
■通史 愛媛新聞百二十年の歩み
序章 黎明期 わが国新聞界の勃興
幕末から明治初期の新聞
「本県御用 愛媛新聞」発刊当時の新聞
第一章 草創期 「本県御用 愛媛新聞」創刊
現存地方紙では七番目の誕生
第二章 春秋期 「海南新聞」の誕生
発行八カ月で題字を改題
草間時福と西河通徹
愛香社から公共社へ
第三章 発展期 弾圧に抵抗して
擁護者・岩村の離県
相次ぐ罰金・禁獄
戦争報道、部数増にも貢献
紙面改革に大きな前進
社長が次々と交代
第四章 激動期 競争紙が台頭する
政党新聞への歩み
三紙が競合の時代
正岡子規と「海南新聞」
警察権力に挑戦 -太白樹事件
活発化するイベント開催
石鎚山や面河渓を紹介
南堀端に新築移転
第五章 雌伏期 高まる軍靴の響き
戦時色濃くなる紙面
強まる言語統制
成田栄信、新聞経営に乗り出す
経済人・香川熊太郎の登場
新渡戸稲造への糾弾事件
社歴刻む周年・記念紙面
名だたる主筆たち
発行部数と経営難
印刷機と活字の変遷
南予の新聞黎明期
「南予時事新聞」の歩み
政友会が参画し会社改革
社業飛躍、隆盛期迎える
社主・山村豊次郎逝く
新社屋建設へ増資
多彩に記念・周年行事
「伊予新聞」の歩み
創業期の苦難脱す
愛媛合同新聞社の発足
第六章 暗雲期 戦時下の新聞発行
統合の苦難を克服
戦局悪化でページ減
検閲厳しく“物言えぬ”状況
空襲で社屋焼失、樽味へ
第七章 復興期 戦災を克服して
戦後復興へ一直線
新しい経営者の誕生
レッドパージで追放者
悲願の本社社屋再建
輪転機導入の変遷
「南海タイムス」の発刊
用紙不足と建てページ
“持分合同”を解除
樽味で戦後初の採用試験
全国に先駆け「新聞週間」
多彩で充実した紙面展開
引き揚げ情報を積極報道
代議士の記者暴行事件
取材網拡大へ支社局整備
共同の専用線が開通
盛んな出版活動
多彩な事業で文化に貢献
梅津寺で水泳学校開く
地域見直しへ学術調査
社是と編集網領を制定
社歌と社章を決める
民放・南海放送を開局
第八章 安定期 県紙の地着々と
近代的な社屋建築へ
機械化時代の幕開け
輪転機増設し増ページ
活気に満ちた紙面展開
反響呼んだ“愛媛シリーズ”
大事件や事故が続発
紙面保存へマイクロ化
充実する送受信設備
夕刊の配布地域を拡大
経済成長期、伸びる広告
南予で「新愛媛」発刊
平田社長が知事選出馬
第九章 風雲期 激烈な新聞戦争
「日刊新愛媛」との競合十年
共同通信社加盟に講義
不当発売との戦い続く
取材拒否事件と「愛媛新聞」
不正競争訴訟起こす
「夕刊うわじま」の発行
坪内グループの衰退
“苦闘十年”の努力実る
競合時代における社業
経営トップの交代
二つの「経営計画」
鉛活字からCTSへ
編集紙面の改革
夕刊改革を断行
次々に支社・支局整備
二つの博覧会を開催
地域活性化へシンポ開催
出版活動も本格化
各地にクラブや研究会
経営トップが販売店訪問
広告に力そそぐ
第十章 興隆期 総合情報センターを構築
情報拠点発進基地へ
人材確保へ積極採用
社員処遇の見直し進む
“新聞戦争”後の新体制
新しい経営計画を策定
社是・編集信条を衣替え
盛大に松山で新聞大会
電子編集システム稼動
印刷センターが完成
マルチメディアへの展開
県内民放への参入
データベースの構築
たゆみなき紙面改革
週刊誌と月刊誌を発行
本格的な出版活動へ
地域社会へ貢献目指す
四万号の紙令を刻む
夕刊休刊に踏み切る
部数伸び三十万部達成
NIEに取り組む
広告掲載基準見直す
近隣紙と緊急援助協定
終章 飛翔期 二一世紀へ向けて
創刊百二十年新しい世紀へ
盛大に百二十周年祝う
周年記念する企画・事業
「ニューエンゼル事業」へ
番外編 偉大なるライバル紙
愛媛新報
伊予日日新聞
■資料
■年表