図書アキタ サキガケ シンポウ ヒャクニジュウネンシ000034923

秋田魁新報百二十年史

サブタイトル1~10
編著者名
秋田魁新報社 編者
出版者
秋田魁新報社
出版年月
1995年(平成7年)2月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
1冊
ISBN
NDC(分類)
070
請求記号
070/A37
保管場所
閉架一般
内容注記
付:年表
和書
目次

口絵
発刊の言葉(秋田魁新報社代表取締役社長 林善次郎)
凡例

明治
遐邇新聞を創刊
秋田遐邇新聞と改題
橋本仮編集長が獄死全国初の犠牲者
秋田日報に改題
犬養木堂が主筆就任
秋田青森函館新報発行
秋田新報を発行
秋田魁新報を創刊
身代わりの秋田民報
画期的な紙面改革
魁の三大柱石
日露戦争とその前後
自前で社屋を建築
記念号、記者団来県など
団体旅行を主催
安藤主筆が選挙違反に
明治の終焉

大正
本誌の「五大主張」
強首大地震と本紙報道
輪転機を初めて導入
選挙と本社幹部
創立30年と一万号
主催事業にも力
熱入れたキャンペーン
株式会社に組織替え
企画シリーズ盛ん
関東大震災と本紙
海外への派遣増える
社内と記者生活
大正の終焉

昭和戦前
御大礼と記念行事
伝書バトで原稿運ぶ
力入れたスポーツ行事
飛躍の基礎、新社屋
農村の窮状を訴える
大陸の郷土部隊に従軍
次々に紙面飾る新企画
十七連隊の横暴に抵抗
仁別へ婦人ピクニック
二つの社葬・・・昭十一年
書道展と短歌大会
観光座談会とルポ連載
大陸の郷土部隊を映画に
大災害の激甚地へ行く
蹉跌することなく五十年
戦時統制下の新聞制作
大変革呼んだ新聞統制
学芸係が「文化部」に
昭和戦前の検閲
社内の戦時生活
空襲対策に分工場など
東京三紙と持分合同
戦時報道隊と記者会

昭和戦後
大東亜戦争終わる
救援米キャンペーン
米軍の秋田進駐と本紙
戦争責任と社長の交代
終戦前後の社員たち
スポーツで県民を鼓舞
文化復興のリード役
混乱の中での取材
民主制度下の選挙報道
終戦直後の用紙不足
活気取り戻す文芸
夕刊や月刊誌を発行
工務部が工務局に
専用線引き写真電送機
新聞週間に多彩な催し
中・高校生とさきがけ
意欲的な文化事業
紙面刷新の急展開
コラムの変遷
労組誕生とその略史
広告活動を再開
共同販売から専売へ
反響呼んだ観光三十景
初の公募で記者試験
積極的に民報を育成
秋田美術展から県展へ
囲碁・将棋大会を拡充
ロケット、県庁火災
「自習室」と高校入試
文化功労者五人を推奨
海外取材が始まる
広告の発展を目指して
団体旅行も復活
飛躍台となった秋田国体
号外発行の復活
社報、局報など発行
電話・無線・FAX
制作の機械化が始まる
整理の手引きをつくる
新工場建てて新輪転機
一貫した「農」への姿勢
凸版カラーで名上げる
戦後の主柱・人見誠治
電算製作に備えて別館
特徴生かして事業展開
十和田マリア園訴訟
多ページ時代に入る
トップを走る正月号
息長く出稼ぎ報道
“おばこ天使”を生む
石油危機で減ページ
配置換え、編集は三階
その時々の社員生活
四人目の秋田市長
横手で移動編集局
創刊百年・・・多彩な事業
新聞協会賞に輝く
二十万部へ、ひた走る
東京紙が青森で印刷
底力見せた五輪報道
鉛が消えた日
創刊記念章と文学賞
あすの郷土を読者と
ブラウン管編集へ
文字の拡大化進む
日本海中部地震報道
秋田インタハイの夏
岩城ゴルフ場問題
昭和から平成へ
時代を載せて・・・魁百年
二十五万部への長い道
定年延長と休日百四日
事務部門の電算化
南米から記者修業に
英知を集め経営計画
待望の新社屋に着工
二十一世紀の情報拠点

資料編
年表
執筆担当
編修委員会 編集後記
人名索引