図書目録ミヤガワ カセイ コウギョウ ゴジュウネンシ資料番号:000034914

宮川化成工業50年史

サブタイトル
編著者名
宮川化成工業 編者
出版者
宮川化成工業
出版年月
1988年(昭和63年)8月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
327p
ISBN
NDC(分類)
578
請求記号
578/Mi72
保管場所
閉架一般
内容注記
背の書名:宮川化成工業五十年史 年表(宮川化成のあゆみ):p311~327
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

会長あいさつ
社長あいさつ
社是・社章/宮川化成のプロフィール
会社紹介
■本社・本社工場
■千里丘工場
■滋賀工場
■広島工場
会社役員
写真で見る宮川化成50年のあゆみ
はじめに

第1部

昭和9年まで
四郎の生い立ちと宮川家の人たち
/少年から青年へ/創業前夜
□誕生
昭和9年
電槽との出会い/産みの苦しみ
災いを乗り越え、工場建設へ/特許第1号と納品第1号
宮川丸の船出
昭和10年
当時のセルロイド業界/多忙な毎日/
“大将”の奮闘/ナショナル蓄電池との取引始まる/
販路の拡大へ/各社の売り込み続く
昭和11年
新規受注への努力が次第に実る/国鉄合図灯用電槽の製作/
得意先が増えて事業が安定
昭和12年
四郎の結婚と武田茂の入社/日本蓄電池との取引始まる
昭和13年
思いがけない集団退職/新方式のセル電槽が登場/
ミヤノ商会を通じて古河電池と取引開始/職場リーダーの裏切り
□揺藍
昭和14年
台湾から技術提供の要請を受ける
/戦争の影/さまざまな戦時統制
昭和15年
神戸電気との取引
昭和16年
突然の召集/錦生コロイド商会から大口の引き合い
昭和17年
四郎、工場に帰る
昭和18年
企業整備基準に合格し、転廃業を免れる/再び召集
昭和19年
国鉄との直接取引始まる
昭和20年
カゾクブジコウジョウモミナブジ
□成長
昭和21年
工場が全焼/再建に向かって/心機一転/
「むつみ会」の発足
昭和22年
SM式合図灯用電槽を開発/新工場の建設に着手
□新生
昭和23年
株式会社宮川セルロイド工場所/創業15周年記念式典/
合図灯用電槽のシェア伸びる/国鉄の全国車電会議に出席/
売りも買いもお客様
昭和24年
ドッジ旋風吹き荒れる/工場閉鎖を決意/
尾灯用電槽の開発に着手/パス入れの意外なヒット/
「送電を御断り申上候」セルロイド製ラジオケース
昭和25年
電話用の新型電池部品を製造/
「誠に悲惨なる状態にて・・・」/
ドッジ旋風を乗り越えて

第2部
□転生
昭和26年
プラスチック化への模索/プラスチック成形機の確保/
三洋電気にラジオケースを納入/プラスチック成形機を導入/
試験段階から生産段階へ/売上高、利益とも過去最高を記録
昭和27年
SM式小型蓄電池充電棚の開発/プラスチック部門の創設/
樹脂製品の売上が伸びる/手作りの樹脂電槽
昭和28年
射出成形機の導入を決意/異彩を放つHPM機/
プラスチックの原料5倍に
昭和29年
労働組合結成される/雨降って地固まる/電槽の樹脂化に成功/
商売の引き際/研究室を開設/
売上、利益とも大きく伸びる/射出成形機の導入拡大
昭和30年
ポリ袋の製造を始める/売上高1億円を突破/
ポニーマークの乾電池ジャケット
□拡大
昭和31年
安全と健康への配慮/自社金型工場を開設/
樹脂電槽の受注相次ぐ/蓄電池部門の比率92.5%に
昭和32年
コロイド電池の樹脂電槽/2輪車用のSMB電槽を市販/
関連機械の開発・導入/樹脂電槽の出荷数26万個/
家電部品の注文が相次ぐ
昭和33年
国内最大の28オンス成形機を導入/不必要なお金は借りない会社
昭和34年
東京営業所開設/オールプラスチックのミキサーを共同開発/
創業25周年を迎える/蓄電池、家電とも1.7倍に急増/
倒産企業に学ぶ
昭和35年
経営方針の発表/第2工場の建設に着手/210オンス成形機を導入/
自動車部品の成形を始める/資本金を3000万円に増資
□発展
昭和36年
三島工場完成/電槽から家電製品へシフト/社員400人を超える/
売上高、前期の1.5倍となる/接着剤の開発/
芸術品のセルロイド電槽/わが社の10大ニュース
昭和37年
トヨタ自工のお墨付/220万個中セル電槽4000個/
社名を「宮川化成工業株式会社」に変更/「むつみ会」の活動
昭和38年
「宮川化成協力会」発足/新型コロナに樹脂電槽搭載/
多様化する樹脂製品/若葉寮、技術センターを建設
昭和39年
不審火が相次ぐ/創業30周年記念の多彩な行事/
建築物の不燃化に着手/売上高10億円を突破/
資本金を5000万円に増資
昭和40年
社歌「今日も謳わん」完成/東洋工業との取引始まる/
掃除機のボディーが主力製品に/新材料「強化AS」を開発/
機械工作課の充実

第3部
□躍進
昭和41年
松田社長と松下会長の言葉/社長、欧米視察旅行に発つ/
売上目標13億円を大きく超える/家電部品の出荷が増える
昭和42年
積極的な設備投資/売上高20億円を突破/
第3工場への始動/福利厚生の充実
昭和43年
「むつみ会」の活発な活動/滋賀工場が完成/
MC-1000Cの爆発的なヒット/税引後利益1億円を突破/
厚生施設「小松寮」が完成
昭和44年
創業35周年を迎える/各部門とも好調を堅持/
滋賀工場竣工披露と35周年記念パーティー
昭和45年
フラットヤーン分野に進出/QCサークル活動が始まる/
自動車部門が急激に伸びる/ダブルインジェクション法の特許出願
□成熟
昭和46年
フォークリフト用電槽の樹脂化進む/
商標登録/省力化運動が実を結ぶ
昭和47年
各工場に省力機械係を設置/広島への工場進出決まる/
景気賃貸の中でも業績が拡大/
掃除機ボディーに陰り
昭和48年
原料の確保が難しくなる/
売上目標を突破して60億円を記録/
オイルショックの影響/材料切符制度を採用
昭和49年
耐乏あるのみ/社外研修活発化する/
売上高、利益にも石油ショックの影/
省力化大いに進む
昭和50年
広島工場ようやく稼動/3150万円の赤字を記録/
米国ストークス社から金型を受注
□安定
昭和51年
透視液口栓の開発に成功/
ダブルインジェクション法が公告となる/
さんざんな海外出張/回復の兆しが見える/
千里丘工場の騒音問題
昭和52年
財形制度を導入/売上の伸びが鈍化する
昭和53年
技術交流委員会が発足/BP計画の推進/
電槽のシェア70%を占める/数々の省力機械を開発
昭和54年
創業45周年記念式典/武田茂相談役が急逝/
海外との技術交流深まる/
自動車、家電の両部門が伸びる/
宮川恒雄相談役が逝去
昭和55年
省力会議が始まる/「規定集」完成する/
売上高100億円を突破
□飛翔
昭和56年
本社「本館」が竣工/FRP電槽を試作/
家電部門ダウン、自動車部門大幅アップ/
史料室の開設と「帳票集」の刊行/特殊機器の設置が相次ぐ
昭和57年
社長、黄綬褒章を受章/自動車部門が大健闘/
ハーディッグ式電槽の受注増加
昭和58年
サイドターミナル電槽の開発に成功/
東洋工業の「常務会」広島工場で開催/
社長、東南アジアの成形業界を視察/
自動車部門の躍進が続く/クレームへの対策/工作機器の充実
昭和59年
創業50周年を迎える/マツダの品質保証認定会社となる/
蓄電池、自動車の両部門が急伸/超大型据置用電槽の樹脂化/

昭和60年
関東工場の用地確保/売上高、過去最高の153億円円を記録/
新しい時代に向かって

当時をふりかえって
■大将の思い出(浜 純)
■停電の中での作業(松岡久雄)
■統制時代の資源再利用
■宮川化成工業の思い出(加藤長治)
■宮川セルロイド入社当時の思い出(小西善庸)
■事業は人なり(奥村美都雄)
■ポット成形を始めたころ(里見英一)
■宮川四郎会長との出会いのころ(浜崎幸吉)
■セパレーターの思い出(高見沢和夫)
■宮川四郎会長のこと(石坂一朗)
■入社当時の思い出(俵 省蔵)
■宮川セルロイド卒業生の手記(島田友喜)
■機械修正の思い出(加治正方)
■技術の道、30年(田中謙二)
■宮川化成工業㈱の思い出(清川敏孝)
■㈱コンピューターブレーン設立のころ(青木紀秋)

資料目次
定款
役員就任退任一覧
組織の変遷
資本金の推移
売上高の推移利益金・配当率の推移
財務諸表(貸借対照表・損益計算書)
資産の推移
負債・資本の推移
従業員数の推移
電槽販売個数の推移
材料購入量の推移・購入比率
電力使用量の推移
成形機保有台数・総型締トン数・総射出量
工業所有権出願・登録件数の推移
社歌
年表(宮川化成のあゆみ)

図書目録のお問い合わせ

資料の利用については4階 図書室のご利用にあたってをご覧ください。

担当:
図書情報部 図書係
電話番号:
03-3222-2573
FAX:
03-3222-2626