図書セイカ テンドウ サンジュウネン000034801

製菓展道三十年

サブタイトル1~10
亀田製菓30年史
編著者名
亀田製菓 編者
出版者
亀田製菓
出版年月
1987年(昭和62年)11月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
253p
ISBN
NDC(分類)
588
請求記号
588/Ka33
保管場所
閉架一般
内容注記
30年。その年表:p229~253
和書
目次

社是・製菓展道立己のもとに
会長古泉榮治ご挨拶
社長古泉肇ご挨拶

亀田製菓―いま
会社現況
亀田製菓株式会社組織図
亀田工場
水原工場
白根工場
亀田第二工場
あられ・おせんべいの製造工程
17支店・98営業所
亀田グループ、いま総勢約3,900人
米菓の輪を広げます!(商品群)その1
米菓の輪を広げます!(商品群)その2
明日の亀田を担います(商品群)

第1章 30年のあゆみ
ふりかえれば
あのこと、このこと(黎明のころ)
あのこと、このこと(揺籃そして希望)
あのこと、このこと(伸び行く日々)
あのこと、このこと(たしかなみのり)
あのこと、このこと(大いなる羽ばたき)

第2章 黎明のころ(昭和21年~32年)
煙が立ちのぼった日(21年)
事件!亀田駅頭(22年)
ふたたび共同化の道へ(23年)
大いなる誤算(24年)
サンカー号活躍す(25年)
戦士よ、眠れ(26~27年)
億の大台にのせた日(28~30年)
戦後は終った(31年)
その前夜(31~32年)
明日への待望(32年)
座談会

第3章 揺籃そして希望(昭和32年~40年)
その名も亀田(32年)
社是は「製菓展道立己」(32年)
〝初穂〟が金賞を受賞した(32年)
斉藤昭三博士との出会い(33年)
マスプロ・マスセールへ(33~34年)
無から有を生み出す(35年)
善戦!東京営業所(36年)
サラダホープ物語(36年)
油断大敵(37年)
雪、降りやまず(38年)
赤旗が立った(38年)
FBD出現!(38年)
大都市攻略第2弾(38年)
販売が生産に追いつかない(39年)
明るい話題・その1(39年)
明るい話題・その2(40年)
生販一体の努力(40年)
座談会

第4章 伸び行く日々(昭和41年~48年)
晴れか雨か設立10周年(41年)
しかしカベは厚かった(41年)
雨のち曇、のち快晴(42年)
〝サラダうす焼〟とは?(42年)
千歳一遇のチャンス到来!(43年)
ロケットに点火、発進!(43年)
ブランド化を急げ(44年)
強力な代打が登場(44年)
♪カメダのあられ、おせんべい(44年)
規模拡大へ一直線(44年)
100億円企業が出現する(45年)
セールス健闘!(45年)
日本一になるのだ!(45年)
順風満帆、規模拡大(46年)
本社ビルの建設(47年)
100億円企業へあと一歩(48年)
座談会

第5章 たしかなみのり(昭和49年~54年)
マイウェイ、製菓展道が往く(49年)
オンラインが東海道をつなぐ(49年)
苦闘!米菓日本一が見えた(49年)
遂にわれ、米菓日本一を獲得(50年)
初体験、低迷のカベは厚かった(50年)
ほんとうの勝負はこれからだ(51年)
白根工場への厚い眼差し(51年)
マーケティングの幕開け(51年)
輸入あられの問題(51年)
檄が飛んだ日(52年)
おにぎりが米菓になった(52年)
ひろげよう!米菓の輪(53年)
思わぬ伏兵!カラ梅雨がきた(53年)
人は石垣、人は城(54年)
正にハッピーターン(54年)
たしかなみのり(54年)
大いなる展望(54年)
座談会

第6章 大いなる羽ばたき(昭和55年~62年)
健在なり亀田スピリット(55年)
トップセラーは梅の香港(55年)
もうひとつ、大きな花が(55年)
あと一歩のカベは厚かった(56年)
アトは売るだけだ!(56年)
400億円に到達!されど…(57年)
創業の精神に帰れ(57年)
〝白い風船〟から〝カリンポップ〟へ(57年)
脱出へ向けて(58年)
米菓を育てて40年(58年)
第3次創業を宣言(58年)
ここにも世代交代が(58年)
遂に足踏脱出!(59年)
ジャンプ10!(59年)
念願の株式上場成る(59年)
500億円企業へあと一歩(60年)
前半好調、後半やや苦戦(60年)
米菓、その新しい夜明け(60年)
遂に達成!500億円(61年)
米菓が変る!(61年)
1,000億円企業へ(61年)
座談会
古泉榮治会長、勲四等瑞宝章を受章
水口健次先生 寄稿文
斎藤昭三博士 寄稿文

第7章 明日の亀田製菓を語る
座談会 第1部
「500億円から1,000億円へ!夢は実現するためにある」
座談会 第2部
「日本の米、新潟の米、そして亀田製菓の明日」

附帯資料
1 米菓むかし物語
2 30年、その年表