図書タイケンテキ センゴ エイゾウロン000033268
体験的戦後映像論
サブタイトル1~10
朝日選書 38
編著者名
大島 渚 著者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1975年(昭和50年)5月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
298p
ISBN
NDC(分類)
778
請求記号
778/O77
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
和書
目次
敗者は映像を持たない
■もし終戦時にテレビがあったら
廃墟の中で
■すべての日本人がすべての映画を好きだった
『我が青春に悔なし』
■滝川事件にあこがれて私は京大に入ったのだったが
戦後の少年たちとアメリカ映画
■ガムやチョコレートと同じだった
東宝争議への疑問
■組合はなぜ論争を映像で記録しなかったのか
『青い山脈』
■小説から映画への二年間に学制改革があった
シベリヤは赤旗がよく似合う
■ソルジェニツィンも同じ思いか
レジスタンスとは
■ネオ・リアリズムの無惨さに無限に耐えることだった
日本映画の曲がり角
■なぜ私は撮影所の試験を受けたか
『女の園』の禁じられた女たち
■私も恋い焦がれたひとりだった
太陽族映画
■それは日本映画に制と暴力の表現をもたらしたか
表現の自由
■「映画監督は芸術化とは思うとらん」
ジェームス・ディーンよ
■君は戦後青春のすべての祖型だった
さらばプロマイドスター
■私にとって小山明子とは何であったか
テレビの出現
■夢見る時代を過ごしてきた映像は覚醒の時を迎える
力道山から美智子さんまで
■私は撮影所のそばの食堂でそれを見ていた
私のなかのスターリン批判
■だまされるのもまた悪である
ある映画監督の出発
■安保闘争の前夜、『愛と希望の街』とともに
あとがき