外務省の百年 上巻
『外務省の百年』に寄す (愛知揆一)
序 (斉藤鎮男)
例言
第一編 (明治二年〔一八六九〕より
明治二十五年〔一八九二〕まで)
外務省の前史
外国事務掛(慶応四年〔一八六八〕正月九日)
外国事務課(慶応四年〔一八六八〕正月十七日)
外国事務局(慶応四年〔一八六八〕二月三日)
外国官(政体書七官官制による
慶応四年〔一八六八〕閏四月二十一日)
明治元年(一八六八)の渉外機関
職員令による外務省の創設と澤外務卿
外務省の創設
(職員令による明治二年〔一八六九〕七月八日)
「霞ヶ関」
外務省諸規則の制定
弁務使・全権公使の派遣
語学所の顛末
延遼館・外人接遇所・横浜出張所
イギリス王子の来日
日墺条約の締結
外務省の形成
岩倉外務卿の就任と太政官職制の発布
副島外務卿の外務省体制の確立
寺島外務卿の機構改革と
明治十年(一八七七)の外務省の火災
井上外務卿の登場と鹿鳴館時代の開幕
外務省の発展(内閣制度による)
井上大臣の誕生と条約改正事業の挫折
大隈外務大臣の登場とその遭難
青木外務大臣の就任と大津事件の突発
榎本外務大臣の任命と条約改正案調査委員会
第二編 (明治二十六年〔一八九三〕より
大正二年〔一九一三〕まで)
外務省機構の改正と整備
明治二十六年外務省官制改正と分課規程改正
在外公館官制の改正
外交官及領事館試験規則、留学生規定及書記生試験規則
原敬通商局長口述「外務省所管官制改革始末」
明治三十一年より大正二年に至る機構の変遷
陸奥外務大臣の登場と活躍
陸奥外務大臣の就任と主要人事
陸奥外務大臣の『蹇蹇録(けんけんろく)』
改正条約成る
開戦外交
李鴻章の遭難
三国干渉
陸奥外務大臣と青木公使
『蹇蹇録』出版問題
中田敬義の「陸奥伯の追憶」
日清戦争後から日英同盟まで
明治二十九年大隈外務大臣就任時の訓示と
在外使臣の外政拡張意見
加藤、小村両外務大臣とその主要人事
日英同盟と伊藤博文
日英同盟交渉時の「二六新報」事件
日露戦争前後
明治三十六年対露交渉開始の頃
日露講和会議とポーツマスの今昔
大使館設置―在外公館の昇格―
加藤外務大臣の辞職と「満州問題協議会」
明治外交官人物評―雑誌『太陽』記事
小村、牧野両外務大臣の演説
明治の過去帳から
第三編 (大正三年〔一九一四〕より
昭和五年〔一九三〇〕まで)
第一次世界大戦の勃発から休戦まで
第一次世界大戦
満蒙独立運動
臨時外交調査委員会
シベリア出兵
パリ平和会議前後
パリ平和会議
外務省革新運動
皇太子の御渡欧と英国皇太子の御来訪
ワシントン会議から満州事変まで
ワシントン会議
日ソ国交回復への交渉
日米移民問題
枢密院と不戦条約
佐分利公使の死と小幡公使のアグレマン問題
幣原外交と田中外交
国際連盟
パリ平和会議と連盟の誕生
国際連盟の組織および活動と日本の寄与
連盟の諸問題
満州事変と日本の連盟脱退
連盟諸機関との協力停止
大正期より満州事変にいたる外務省機構の変遷と主要人事
概観
条約局と立作太郎博士
情報部の設置
文化事業部の設置
大正後期の行政整理
拓務省設置と外務省