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朝日新聞に見る日本の歩み 昭和26年-27年(安保体制下の国造り1)

サブタイトル1~10
編著者名
朝日新聞社 編者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1976年(昭和51年)3月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
271p
ISBN
NDC(分類)
210.6
請求記号
210.6/A82/1951-52
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和26,27年の『朝日新聞』(東京本社発行最終版)から253面を選び、縮刷したもの
和書
目次

昭和26年
1月
安全保障と講和を強調
新聞の十五段制復活
世相を映す新春漫画
共産軍、再びソウル占領
自由党、三原則宣言
自立経済計画を答申
社会党、平和三原則を決議
民営米屋の客争奪戦
ストマイ大増産計画
講和問題でダレス特使来日
2月
中国を「侵略者」と非難
吉田・ダレス会談終わる
道徳教育の基本方策きまる
学生の体位回復
天皇の著書が評判に
「日本を反共の防壁に」
地方公務員法施行
国会、講和問題で論戦
東京地方に猛吹雪
八宝亭殺人事件
3月
「歯舞諸島は千島でない」
幣原喜重郎氏死去
ユーゴ、ソ連を非難
八宝亭犯人が留置場で自殺
初のアジア競技大会
総評が平和四原則決定
日本開発銀行を創設
イラン、石油を国有化
シューマン・プラン成立
「中国本土攻撃も辞せず」
日本初のカラー劇映画
元校長らがにせ千円札作り
もめた電力人事
4月
対日講和草案の概要発表
マッカーサー元帥解任
波紋ひろがる解任の報道
リッジウェイ中将着任声明
マッカーサー元帥離日
講和問題で三者会談
ボストン・マラソンに優勝
商店街にアーケード
民間放送十六社に予備免許
桜木町駅で国電焼失惨事
市長選に保守系圧勝
地獄絵の桜木町事件
皇居前メーデー禁止
5月
占領法規再審査権を日本に
都道府県選挙も保守圧勝
原子病の永井博士死去
武藤総評議長ら検挙
児童憲章を宣言
ソ連の対日講和提案拒否
オリンピック参加正式決定
対日援助削減声明
「日本人は十二歳の少年」
国連で対中禁輸決議
日米経済協力策など示す
皇太后崩御
学童ら三十九人焼死
6月
株式売買に信用取引
日立製作所に新特需
総同盟が再建大会
国宝を再審査
メモランダム・ケース撤回
第一次追放解除者きまる
ドゴール派が第一党
日本のILO復帰承認
持株会社整理委員会は解散
日本のユネスコ加盟承認
ソ連、朝鮮停戦交渉を提案
文庫本合戦とゾッキ本
7月
元山港での交渉を提案
共産軍、休戦交渉を受諾
官僚進出の改造内閣
開城休戦会談きまる
初のオールスター戦
アナタハンから二十人帰国
学徒兵死刑囚の祈る平和
開城休戦会談始まる
米の対日講和草案
韓国入り特派員の第一報
朝鮮戦争と日本経済
国鉄バス、天竜川に水没
米英、講和会議を招請
初の農業委員選挙
さまよう韓国の避難民
留守家族が集団断食
恐慌状態の“糸へん”
日本航空スタート
“チャタレイ裁判”の波紋
8月
講和白書を発表
鳩山氏らの追放解除発表
休戦会談に中立地侵犯事件
講和条約最終草案発表
旧正規将校も追放解除
米比相互防衛条約成る
講和条約の問題点
講和全権きまる
講和条約と中ソの態度
のさばる“社用族”
国鉄民同右派が再建計画
満員の中日球場で火災
高校野球に平安高優勝
こじれた朝鮮休戦会談
インド、講和会議に不参加
9月
講和全権団が出発
太平洋三国が安全保障条約
共産党首脳部を逮捕
対日講和会議開く
ソ連の大幅修正案通らず
講和条約に四十九ヶ国調印
吉田全権の条約受諾演説
日米安保条約にも調印
日米安保条約の全文
対外交渉権、大幅に回復
西欧統一軍を審議
『羅生門』にグランプリ
メニューヒンに酔う
接収不動産の補償要求
講和条約の世論調査
板門店で連絡将校会見
論議よぶ米穀統制撤廃
朝夕刊セットを社告
10月
当日付のセットの夕刊
出足まずまずの民間放送
日本復帰願う奄美大島
全国的な電力危機
エジプト、対英条約を破棄
ルース台風あばれる
国会、両条約で論戦
“陸の孤島”など救援
両条約への賛否で社党分裂
朝鮮戦線にミグ出撃
わが道を行く社党両派
休戦会談、板門店で再開
衆院、両条約を承認
英総選挙で保守党大勝
11月
健康優良学校も表彰
観菊会の取材拒否
満員バス火だるま
米の統制撤廃を断念
総評が非常事態宣言
パチンコ大はやり
日教組が初の教研集会
天皇の車を囲んで騒ぐ
参院も両条約承認
南北朝鮮の軍事境界きまる
12月
医師会が保険医辞退を決議
ダレス氏、中立批判の演説
日米加漁業条約妥結
日共の地下工作
北京原人のなぞ
三越で四十八時間スト
大山郁夫氏にスターリン賞
中国軍がチベット進駐
“酔度計”登場
外国たばこ販売
吉田内閣第三次改造
駐在巡査殺害の練馬事件
昭和27年
1月
ソ連首相がメッセージ
休戦会談の焦点、捕虜交換
米英巨頭会談
国連に軍縮委員会
輸入ビルマ米から黄変米
国府との講和条約確約
チャタレイ事件に判決
白鳥警部事件が発生
李承晩ライン宣言
英・エジプト紛争激化
東京の露店の衣替え
日米行政協定で公式交渉
硫黄島の白骨
インドネシア賠償中間協定
2月
防衛隊新設を発表
世界卓球団体女子に優勝
英ジョージ六世死去
改進党が発足
卓球個人三種目にも優勝
戦車の内外に散乱の遺骨
新装のピース
海上警備隊創設を発表
ポポロ劇団公演で警官摘発
警官立ち入りで対立
引きとり手のない遺骨
欧州軍創設が正式決定
オスロ冬季五輪
日米行政協定に調印
日本行政協定の全文
ビル建築ラッシュ
3月
各地で弾圧法粉砕大会
十勝沖地震
北海道東南部の惨状
「自衛戦力は違憲に非ず」
首相、自衛戦力の答弁訂正
総司令部の移転発表
兵器の製造を許可
野党の行政協定決議案否決
破防法案などの要綱発表
綿糸暴落・綿紡操短
山村工作隊を検挙
初の無形文化財選定
あふれる紡績女工員
4月
琉球中央政府が発足
官憲ねらった日共の闘争
米で人気の『羅生門』
ソ連入りの高良とみさん
『木星号』三原山に墜落
遺族ら涙の対面
破防法反対第一波スト
私鉄を含む百万人スト
鳥取市で五千二百戸焼失
トロウベル独唱会
賠償引当軍需工場を返還
独立回復の日
皇居前広場使用で訴訟
講和恩赦
両条約が発効して独立
その夜の街の表情
5月
『アカハタ』復刊
各界代表、破防法案を批判
血のメーデー
乱闘と流血の広場
全国戦没者追悼式
警官隊、早大に踏み込む
白井が世界チャンピオン
田中館愛橘博士死去
公取委、デパートに警告
西独占領終結し欧州軍創設
日中貿易協定が成立
対西独条約とソ連の反応
国際通貨基金へ加入きまる
「駐日ソ連代表部認めず」
五・三〇記念集会荒れる
6月
菅生事件の発端
メーデー事件拘留理由開示
破防法案粉砕に電源ストも
日印平和条約調印
首相側近が福永幹事長工作
改進党総裁に重光葵氏
選挙違反の投書で村八分
水豊発電所など爆撃
政府、国連加盟を申請
吹田市で人民電車事件
新宿駅周辺でも騒動
大荒れの参議院
7月
破防法ようやく成立
荒れ狂った大須事件
開花した“大賀ハス”
東京に初のジェット旅客機
将棋は大山時代へ
望郷のソ連抑留者
破壊活動防止法実施
騒然たるイラン
ザトペックにわく五輪大会
体操で活躍の三選手
レスリングで金と銀
エジプトでクーデター
エジプト国王亡命
8月
保安庁など発足
橋爪、紺野に敗れる
自由党内に育つ“反吉田”
学生運動白書を発表
人工降雨のテスト
「新国軍の土台たれ」
「取材源秘匿許さず」
モスクワで中ソ首脳会談
高校野球に芦屋高優勝
日教組に自制を要望
婦人団体の公明選挙運動
抜き打ち解散
9月
ソ連の旅順駐兵延長
海底噴火で明神礁出現
日本の国連加盟に拒否権
電産が電源スト
荒れるメーデー公判
築地で世界仏教徒会議
コルトー氏来日
明神礁調査船が沈没
英米と外貨債処理に調印
中村翫右衛門ら北京入り
混乱の“政令違反”判決
自由党、石橋・河野氏除名
10月
自由党、辛うじて過半数
吉田・鳩山両派の首班工作
全候補者の確定得票
惨敗に失望の共産党
兵器生産に動く産業界
「予備隊違憲」の訴え却下
平和会議で対日問題決議
発足した保安隊
戦後初の靖国神社ご参拝
前進座などを捜索
吉田・鳩山会談で妥協
イラン、対英断交
英国初の原爆実験発表
国連政治委に韓国招請
昭電事件一審判決の明暗
深刻化した電産・炭労スト
共産側、細菌戦を非難
第四次吉田内閣発足
11月
市町村教委が発足
朝夕刊十二ページに
アイゼンハワー元帥当選
明仁親王の立太子礼
米、世界初の水爆実験
日米艦船貸借協定に調印
行方不明の鹿地亘氏
ココムに日本加入
水爆実験で公式発表
審議進まぬ国連
住宅地の温泉マーク問題化
自立新政策を発表
ダレス国務長官など内定
失言の池田通産相不信任
12月
国立近代美術館が開館
「中国に日本人三万人」
悪化一途の電産・炭労スト
鹿地氏が突如帰宅
衆院法務委で鹿地氏ら証言
米大使館、鹿地事件で発表
党内野党に悩む自由党
石橋・河野氏の復党決定
炭労ストに緊急調整権
三橋二重スパイ事件
スト終わり、ヤマに活気
電産もスト中止
ウィーンで平和擁護決議
七年目のインドシナ戦争
名古屋でタンク爆発惨事
帰還問題で中国へ代表団
再建サイクロトロン第一号
女の髪にも復古調
年表あり