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朝日新聞に見る日本の歩み 大正11年-12年(屈折のデモクラシー4)

サブタイトル1~10
編著者名
朝日新聞社 編者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1975年(昭和50年)7月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
271p
ISBN
NDC(分類)
210.6
請求記号
210.6/A82/1922-23
保管場所
閉架一般
内容注記
大正11年-12年の『朝日新聞』(大阪本社および東京本社発行最終版)から255面を選び,縮刷したもの
和書
目次

大正11年
1月
軍縮機運に哀愁の軍港
大量の郵便物焼失
シベリア問題で外交戦
大隈重信侯爵死去
ジョッフル元帥来日
普選断行要求の叫び
猛吹雪で列車埋没
2月
山県有朋公爵も死去
対華要求の一部撤回
北陸線の列車埋没惨事
臭気ただよう列車埋没現場
妥結した山東条約の内容
海軍制限条約など調印
九ヵ国条約の内容
過激社会運動取締法を立案
海軍制限条約の内容
普選促進記者大会
差別撤廃の叫び
普選法案討議で大混乱
『旬刊朝日』を創刊
衆院、普選法案を否決
3月
石井商店破局で市場混乱
学校昇格で高橋内閣混乱
水平社が発足
横浜船渠職工がスト
片山潜氏らモスクワ入り
東京で平和博覧会
サンガー夫人が再来日
二重橋で爆弾自殺男
衆院、陸軍縮小を可決
4月
未成年者に禁酒法
日本農民組合結成
常用漢字二千字を選定
ガンジー氏逮捕される
ジェノバ国際会議開く
英皇太子が来日
健康保険法うぶ声
大連会議ついに決裂
帝国ホテル本館全焼
独ソ、ラパロ条約調印
車夫になられた英皇太子
5月
中国で第一次奉直戦争
大荒れのメーデー
列車内にピストル強盗
山東駐屯軍撤退終わる
直隷軍、奉天軍を圧倒
活発化した小作争議
東三省の独立を宣言
初の婦人政談演説会
成果なくジェノバ会議閉幕
全国青年連合団成る
6月
大阪労働学校開設
ふえる失業者
高橋内閣総辞職
憲政擁護運動が活発化
加藤友三郎内閣成立
左側通行とハエとりの宣伝
孫文氏、広東から逃亡
レーニン氏引退
摂政宮のご結婚勅許
第一次奉直戦争終わる
監獄部屋の惨状
シベリア派遣軍撤退声明
7月
海軍軍備縮限計画を発表
陸軍も縮小計画
造船界の不況深刻
森鴎外氏死去
小野訓導の殉職
欧州で活躍の藤原義江
旗艦三笠を永久保存に
米の鉄道・炭坑の大スト
初任給引き上げ要求スト
8月
日本経済連盟創立
節約運動など実施
ファシスト、ミラノ占拠
うだる日本列島
台風で汕頭に大被害
国鉄電化に乗り出す
米鉄道ストで交通まひ
ロンドン会議決裂
陸軍、軍縮異動を発表
和歌山中学、再び優勝
物価引き下げの大警鐘
御料地内で小作争議
警備艦新高が沈没
本格化した節約運動
9月
立憲国民党が解党
舞姫パブロワ来日
ケマル軍、ギリシャ軍撃破
日ソ両国が長春会議
外交調査会を廃止
米の長期鉄道スト解決
トルコ情勢さらに緊迫
金不解禁の声明
長春会議もついに決裂
10月
労組総連合結成に失敗
シベリアで武器紛失事件
総同盟、ソビエト承認決議
映写中の火事で学童ら死傷
広がるコレラとペスト
連合国とトルコの休戦決定
武器紛失に軍法会議判決
ロイド・ジョージ内閣倒壊
普通選挙調査会を設置
沿海州派遣軍の撤兵完了
11月
ムソリーニ内閣成立
郵便飛行のテスト
オスマン帝国滅亡
在米日本人の帰化認めず
英労働党躍進、自由党敗北
極東共和国が解散
アインシュタイン博士来日
ローザンヌ会議開く
積善銀行など取り付け
ムソリーニ首相に独裁権
12月
海軍も軍縮異動発表
山東撤兵の細目協定成る
島原半島に大地震
中国との郵便協定も成立
海賊船大輝丸事件が発覚
亡命のセミョーノフ将軍
金融混乱に救済援助
多様化した小作争議戦術
枢密院、対華外交で上奏文
難航のローザンヌ会議
大正12年
1月
日華郵便条約公布
あこがれの“文化村”
パリ賠償会議も意見対立
マンガに見る正月の世相
ソビエト連邦成立
藤田農場の小作争議
東京・大阪間に定期航空
お相撲さんのスト
仏軍、ルール地方占領
独、ルール占領に抵抗
記者同盟が普選要求
ヒトラー、活発な動き
蔵相、予算一割縮減を強調
孫・ヨッフェ共同宣言
2月
ヨッフェ氏来日
婦人参政権獲得運動
京漢鉄道労働者を弾圧
普選要求デモで大荒れ
五たび上程の普選案
孫文氏、大元帥に
乗馬隊先頭に普選即行デモ
3月
またも葬られた普選案
中国が21ヵ条条約廃棄通告
尼僧の“禁制”解く
朝鮮義烈団事件が発覚
野田醤油のスト
水平社と国粋会が大乱闘
双方とも発砲して乱戦
砲兵工廠の大整理
陪審法が成立
高雄と台南で大火
4月
野田醤油争議で学童盟休
義烈団事件の続報
北京の学生らが排日運動
クルップも反仏スト
石井・ランシング協定廃棄
摂政宮、台湾ご視察
参宮線で転覆事故
全購連の創立
“商工党”の旗上げ
5月
赤旗奪われたメーデー
常用漢字と略字を採用
後藤・ヨッフェ会談続く
ネップの成果報告
土匪、列車襲い略奪
ソ領沿岸出漁が一応妥結
荒れた早大軍事研究団結成
軍事研究是非で流血騒ぎ
大阪で極東競技大会
6月
長沙で排日運動激化
第一次共産党事件
ブルガリア国王クーデター
銀行の整理合同進む
社会主義者が射殺される
日ソ予備交渉開始
7月
東京・下関間に三等特急
有島武郎氏が心中
農場を解放した有島氏
脱出の大杉栄氏帰国
有島氏の「恋愛と死」
中国の排日に抗議の大会
宣統帝、宦官を廃止
ローザンヌ会議妥結
日ソ予備交渉打ち切り
8月
波紋よぶ米大統領の急死
日ソ予備交渉の摘要録
マルクの暴落新記録
ゼネストで独政府倒れる
恩給該当者を拡張
新潟鉄工の争議団多数検挙
甲陽、和歌山中を破り優勝
潜水艦沈没し全員死亡
馬券の発売許可
加藤友三郎首相死去
後継首班に山本権兵衛伯
9月
難航の組閣工作
関東大震災の第一報
東京大混乱の第一報
東京壊滅、津波も襲来
猛火の中の親任式
まひした経済機能
東京に戒厳令
あび叫喚の東京市
非常徴発令を公布
「朝鮮人暴動」騒ぎ
ガリ版の特報・号外
「地震は止んだ」
「朝鮮人をいじめるな」
東京脱出者の語る惨状
兼任の多い新内閣
「食糧が来るぞ」
横浜の惨害詳報
惨たんたる鎌倉地方
大震災初日の写真
救援対策動き出す
皇室などから救済金
無残なきず跡
騎馬・機関銃の警戒
猛火中の青空閣議
政府の緊急対策
壊滅状態の箱根地方
荒野の首都と避難民
三緊急勅令を公布施行
陸から海から関西へ避難民
被服廠跡などで大量の死者
市電動き電灯つく
震災地に伝染病の恐怖
被服廠跡の生き残り
列車や床下へ避難民
東大の図書七十万巻が灰に
生命保険支払い申し合わせ
帝都復興の詔書発布
関東の震害概況
よみがえる街の表情
馬でご視察の摂政宮
暴騰の生糸取引
帝都復興審議会委員きまる
甘粕事件で戒厳司令官更迭
ソ連の救助船を追い返す
臨時物資供給令を公布
殺された大杉栄氏夫妻
三つのひつぎ
震災手形に補償措置
山の手の映画館開館
10月
混迷続く東京
モラトリアム明けまず平穏
震災が響き地方も物不足
亀戸でも社会主義者殺害
六万人の死体処理
普選具体案きまる
沢正一座が野外劇
救援推進の全関西婦連
惨虐行為を生んだ流言
『正チャン』登場
各地で虐殺された朝鮮人
“丸ブラ”にぎわう
院展、大阪でふた開け
東京市電百余台焼ける
収容所で親子の再会
11月
トルコ共和国誕生
記録破りの失業者
ミュンヘン一揆失敗
国民精神作興の詔書発布
焼け跡の露天学校
日本郵船の停船スト
戒厳令を廃止
レンテンマルク発行
帝都復興法の政府原案成る
火災保険支払いは一割に
毛布に殺到の被災者
東京再建に五基準
12月
築地に新魚市場
“震災議会”に復興諸法案
甘粕大尉に懲役十年
東大セツルメント組織
被服廠跡の追悼法要
一挙に百万人減の東京市
“震災議会”大ゆれ
大杉夫妻の遺骨奪われる
政友、復興費削減を決定
復興予算は結局骨抜き
火災保険問題で農商相辞職
摂政宮の車に発砲
虎の門事件で内閣総辞職
年表あり