朝日新聞に見る日本の歩み 大正8年-10年(屈折のデモクラシー3)
大正8年
1月
松井須磨子自殺
スパルタクス団決起
自動車取締令を公布
西園寺講和全権ら出発
ベルリン騒動鎮圧
選挙法改正が問題化
原首相、四大政綱を掲げる
講和会議副議長に西園寺侯
ベルサイユ講和会議開会
幽閉の李太王ご死去
国際連盟創立を決議
2月
普選運動起こる
人種差別廃止運動
スペインかぜまた猛威
山東問題で日中衝突
東京の朝鮮人学生検挙
普選要求の学生デモ
上海で南北和平会議
人種差別撤廃は通らず
クレマンソー首相襲われる
3月
普選要求の大デモ
全滅した田中支隊
朝鮮各地で万歳事件起こる
選挙法改正政府案通る
普選運動の六代議士除名
激しい万歳事件弾圧
米上院に国際連盟反対論
コミンテルン創立
4月
朝鮮騒動鎮圧に兵力増派
関東庁官制きまる
押される在露連合軍
国際労働法規を採択
混乱続くドイツ
アムリッツァーで虐殺事件
横浜で三千戸焼失
5月
中国に五・四運動起こる
朝鮮人、日本総領事館襲撃
日本、山東還付を声明
講和条約文を独に手交
南洋諸島は日本の委任統治
上海・南京でも排日大会
対独講和条約草案
中国の和平会談決裂
独代表、講和条件に抵抗
上海で排日の学生スト
6月
またも上昇の米価
ますます広がる貧富の差
中国各市の商店も排日スト
山憲の鈴弁殺し
独の修正要求通らず
独、講和条件をのむ
窮迫の小中学教師
ベルサイユ講和条約調印
7月
講和条約調印まで
戦後体制審議の両官制公布
板垣退助伯爵死去
寛城子で日華両軍衝突
独国民議会、講和条約批准
節米運動を通達
博文館などでスト続発
8月
東京の各新聞社が一斉スト
四日間の休刊明け紙面
小石川労働会発足
朝鮮・台湾総督府官制改正
協調会設立計画
ワイマール憲法発効
中等野球に神戸一中優勝
東京砲兵工廠でスト
労働総同盟友愛会が発足
9月
斎藤朝鮮総督に投弾
帝国美術院を創設
サンジェルマン条約調印
ILO労働代表選びで紛糾
伊義勇兵、フィウメ占領
英仏、シリア問題で協定
労働代表官選反対の気勢
サボ戦術で要求貫徹
10月
マルクスもの流行
朝鮮総督襲撃犯を逮捕
大学の男女共学に難色
貴族院、物価問題で警告
桝本代表反対の葬式デモ
初の郵便飛行に成功
講和条約批准を可決
白衛軍、赤軍と激戦
最初の文官総督任命
11月
米で禁酒法成立
第一回国際労働会議開く
八八艦隊の予算で妥協
侠客達が国粋会組織
大豆などの輸入税免除
『官を辞するに際して』
福州事件起こる
ああ松本訓導
米上院、講和条約批准拒否
脱出の李コウ公殿下ら逮捕
足尾銅山険悪化
12月
初の国際労働会議閉幕
三鉱山の争議弾圧
『地の果まで』が当選
普選を叫ぶ労働者
インド統治法成立
反革命軍、オムスク撤退
第一次大戦の総決算
大正9年
1月
原首相、労資に警告
平和克復の大詔発布
シベリア増兵を決定
森戸助教授、筆禍で休職
森戸事件で学生大会
初の国際連盟理事会
失意のクレマンソー氏
東西で普選要求大会
実証された相対性原理
2月
赤軍、ウラジオストク掌握
八幡製鉄所スト
八幡の職工大弾圧
延々、普選要求の大デモ
普選案、衆院に上程
普選絶叫の民衆検束
八幡製鉄所、再びスト
普選案討議中の衆院解散
3月
惨敗の八幡争議
森戸氏に禁固二月
独極右派がクーデター
ソビエト、対日国交を提議
株も米も暴落
カラハン宣言発表
新婦人協会が発足
ニコライエフスクで交戦
4月
シベリア撤兵保留声明
株式市場再び混乱
沿海州全赤軍の武装解除
底なしの恐慌相場
閣議、財界救済を決定
東京市電スト
5月
トルコの分割きまる
ポーランドとソビエト衝突
日本最初のメーデー
新対華借款団組織に合意
恐慌で下落した日用品
政友会が再び圧勝
鉄道省が発足
相次ぐ銀行取り付け
遊興税・観覧税などを指定
6月
ソビエト、極東共和国承認
ニコライエフスクの惨劇
パルチザンの焦土戦術
夕張炭鉱で大爆発
尼港事件の経緯発表
両院が尼港殉難者追悼会
尼港三月事件の詳報
7月
政府、サガレン占領声明
永井柳太郎氏演説が問題化
内閣弾劾国民大会
普通選挙法案を否決
安直両派の確執
安直戦争不干渉を声明
独賠償の配分きまる
安徽派敗れ段氏下野
日本、極東共和国と協定
団結権で協調会と対立
「三相不正容疑」で騒然
会社は重く個人は軽い税金
8月
危機深まるポーランド
赤露踏査の報告
アントワープ五輪開幕
大本教取り締まり
中等野球に関西学院優勝
五輪に熊谷選手が初入賞
9月
伊労働者、工場占領
東大文学部、女性に開放
蚕糸救済策きまる
カリフォルニア州で排日
イタリアの労資紛争解決
10月
初の国勢調査
京浜に水禍
琿春日本領事館襲われる
間島事件の主役は朝鮮人
東京で世界日曜学校大会
間島出兵を声明
英、炭坑夫争議で騒然
和歌と信仰の九条武子さん
11月
明治神宮鎮座祭
排日土地法が通過
米大統領にハーディング氏
森戸氏が入獄
製糸業休止を決議
第一回国際連盟総会開く
戦艦長門が完成
12月
宜昌の邦人襲われる
孫文氏、国民党を組織
ヤップ島管理で日米対立
社会主義者を弾圧
排日土地法に抗議大会
国際司法裁判所創設きまる
左側通行の道路取締令公布
東京市長に後藤新平氏
日本の人口は七千七百万人
伊軍、フィウメ包囲
大正10年
1月
初のグラビア版写真付録
日本兵、米将校を射殺
憲政会、シベリア撤兵要求
中橋文相の二枚舌事件
アヘン密売事件発生
日華軍事協定を廃止
議員動かした新婦人協会
2月
満鉄背任事件が問題化
普選法案またも否決
伊労働者、ファシスト攻撃
軍備制限案を上程
東宮妃内定の不変更発表
関東州アヘン事件追究
軍備制限演説会
お米に本格的国家干渉
3月
皇太子、欧州へご出発
クロンシュタット水兵反乱
文相二枚舌に問責案
貴族院応援の国民大会
加藤憲政会総裁へ公開状
「珍品五個」で政界騒然
レーニン氏、ネップ提唱
英ソ通商協定成立
郡制廃止きまる
4月
丹那トンネル崩壊
英炭坑の大ストライキ
足尾銅山の全山怠業
浅草で大火
帝国蚕糸会社を救済
丹那トンネルの十七人救出
深刻化した足尾争議
メートル法採用
英炭坑夫に失望感
足尾争議、全山ストに発展
函館で二千二百戸焼失
足尾争議ようやく決着
5月
二つに割れたメーデー
独の賠償額きまる
上シレジアで反乱
孫文氏、大総統に就任
大本教第一次弾圧
大阪電灯ストで送電止まる
社会主義者を検挙
皇太子、ロンドンご到着
山県有朋公の辞表却下
東方会議を開催
団体交渉の道開く
6月
宜昌でまたも兵変
パリの皇太子殿下
大阪友愛会の幹部検挙
アヘン事件の取り調べ進展
団交権要求の争議続発
九州北部で大水害
英炭坑スト、結局失敗
7月
三菱・川崎両造船所も怠業
日英同盟を延期
川崎争議団、工場管理宣言
造船争議に陸海軍出動
米、軍縮会議を非公式提議
ラッセル博士来日
警官隊、争議団に切り込み
恋の石原博士、教壇を去る
造船争議の二百四十人検挙
8月
続発する小作争議
造船争議ついに敗北
ワシントン会議正式招請
中等野球に和歌山中優勝
極東共和国と大連会議
米独講和条約成立
9月
デビスカップ争奪戦に出場
皇太子殿下ご帰国
アイガーで槙有恒氏の快挙
山東還付条件を提示
ワシントン会議全権きまる
近畿・北陸に台風禍
初の海外飛行に出発
安田善次郎翁惨殺される
安田翁暗殺犯は国粋主義者
10月
友愛会、総同盟と改称
海外飛行成功は一機だけ
「一太郎ヤーイ」その後
大本教の神殿破壊
柳原白蓮の絶縁状
白蓮夫人絶縁の反響
11月
原敬首相、暗殺される
内閣総辞職
原敬氏の遺言状
左翼大検挙を開始
ワシントン会議開く
後継首班は高橋是清蔵相
修正つきで海軍制限受諾
難航の大連会議
主力艦十対七を主張
皇太子、摂政にご就任
戦艦陸奥の存置を主張
12月
山東問題で日華会談
暁民共産党員起訴を発表
電車、ホームに乗り上げ
アイルランド自治領承認
五・五・三受諾を閣議決定
太平洋問題で四国条約
失業恐れ官業労働者大会
日米間でヤップ問題妥結
『新しき生へ』が当選
陸奥保有で海軍制限妥結
原首相暗殺の動機
貧民くつへ女学生も
野党、普選統一案を作る
年表あり