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朝日新聞に見る日本の歩み 大正5年-7年(屈折のデモクラシー2)

サブタイトル1~10
編著者名
朝日新聞社 編者
出版者
朝日新聞社
出版年月
1975年(昭和50年)5月
大きさ(縦×横)cm
29×
ページ
271p
ISBN
NDC(分類)
210.6
請求記号
210.6/A82/1916-18
保管場所
閉架一般
内容注記
大正5-7年の『朝日新聞』(主として大阪本社発行最終版、一部東京本社発行版)から253面を選び、縮刷したもの
和書
目次

大正5年
1月
袁世凱大総統、帝制を実施
英国で徴兵制
ロシア皇帝代理が来日
振るわぬ中国中央軍
大隈首相襲われる
貴族院、兵器売却問題追究
陸軍飛行船が長距離飛行
ロシア皇帝代理の訪日目的
ローマ法王特使来日
2月
貴族院、減債問題も追究
ロシア大蔵省証券引き受け
減債基金問題で妥協成立
ボロ・カナクソ成り金
加藤弘之氏死去
ハウス大佐、講和を打診
ベルダン攻防戦はじまる
3月
リープクネヒトの反戦演説
米軍とメキシコ軍衝突
英艦、日本船を臨検
広西も反袁独立宣言
中国の帝制取り消し
サセックス号撃沈される
4月
五島航路の若津丸沈没
広東も独立宣言
独軍、ベルダン新攻勢
朝鮮新設師団へ派兵
段祺瑞内閣成立
遊郭設置に反対の火の手
アイルランドで反英騒動
スミス氏の夜間宙返り飛行
5月
ドイツで反戦デモ
太刀山の五十七連勝成らず
張作霖氏の爆殺図る
工場法の実施延期
タゴール氏来日
6月
タゴール氏の講演
トレンチノの山岳戦
ユトランド沖海戦
議員買収事件に判決
袁世凱大総統死去
ユトランド沖海戦記
キッチナー元帥戦死
三党首が三回会談
露軍、ガリシアで大攻勢
三党首会談のねらい
日本、対華政策を切り替え
四阪島煙害に農民立つ
アラビア独立宣言
第四次日露協約成立
7月
連合軍、ソンムで大反撃
大隈首相が辞意
簡易生命保険法を公布
死刑囚が無罪に
警視庁、闘犬などを禁止
8月
工場法施行令を公布
広がるコレラの恐怖
鄭家屯で日華両軍衝突
日本守備隊十一人戦死
ソンムの仏軍前進
横浜船渠の職工スト
第二回全国中等野球大会
慶応普通部に栄冠
工場法に困惑の各工場
9月
独参謀総長更迭
朝陽坡で華蒙軍衝突
『貧乏物語』を連載
鄭家屯事件で対華要求
三党、合同に固まる
コミックオペラの初興行
10月
新兵器タンク登場
高まる寺内擁立運動
第二次大隈内閣総辞職
寺内超然官僚内閣成立
憲政会発足
大幅な輸出超過
飛田遊郭反対の母親デモ
11月
裕仁親王の立太子礼
深刻なロシアの食糧問題
葉山日蔭茶屋の凶行事件
ウィルソン氏再選
バポームの空中戦
オーストリア皇帝死去
石川県の衆院選に無効判決
12月
東北本線で入営兵多数惨死
英国債一億円引き受け
夏目漱石氏死去
大山巌元帥死去
文豪漱石氏の大脳
ロイド・ジョージ内閣発足
独の講和提議で株界混乱
カフェーに世相の縮図
大正6年
1月
独の講和提議に反論
怪僧ラスプーチン暗殺
女性の宙返り飛行
九百人入坑の炭坑密閉
巡洋戦艦筑波が爆沈
寺内首相、三党首へ工作
最初の西原借款成立
鄭家屯事件の交渉落着
両党、内閣反対決議
不信任案提出で衆院解散
2月
独、無制限の潜水艦作戦
米、ついに対独断交
工場へ流れる小作人
ラスプーチン殺害原因
欧州航路船を武装
3月
芳川伯家若夫人の情死未遂
名飛行家の惨死
中国も対独断交
ロシア革命第一報
ロシア仮政府樹立
仏大蔵省証券に応募
ロマノフ王朝滅亡
日本製鋼所のスト弾圧
ロシア仮政府を承認
請願令を制定
4月
米、ドイツに宣戦
浪花節興行で八十六人焼死
転職続出の海軍職工
中国関税引き上げ反対大会
政府の選挙干渉を暴露
ドイツ各地で罷業続発
レーニン氏帰国
政友会、第一党に返り咲き
広がるドイツのスト
5月
倉庫爆発、死体散乱
戦争遂行確認で露都は騒然
段内閣、国会を包囲
東京で極東選手権競技大会
日本駆逐艦、地中海進出
ロシア仮政府改造
米沢市大火
6月
中国各軍閥が独立宣言
外交で首相・三党首会談
臨時外交調査委が発足
地中海で日独会戦
無所属議員が維新会組織
三菱長崎造船所でスト
国民党総理に犬養毅氏
長崎造船所のスト側勝つ
7月
内閣不信任成らず
宣統帝復位を強行
段祺瑞氏、再び権力掌握
八・四艦隊の追加予算成立
独国会で講和決議
大阪鉄工所因島工場スト
ペトログラード再び騒然
ケレンスキー内閣成立
露軍、各戦線で惨敗
8月
早大、学長選任で紛争
無粋な映画取り締まり
中国も宣戦布告
ローマ法王が和平提議
中等野球に愛知一中優勝
中国と借款前貸し契約
9月
暴利取り締まり実施
広東軍大元帥に孫文氏
石井・ランシング会談
金輸出を禁止
中国の賠償延期を承認
コルニーロフ将軍反乱
決起早大生の騒動
ボルシェビキ、政府援助
学制改革審議へ調査会議
八幡製鉄所疑獄起こる
10月
本州一帯に水魔狂う
中国交通銀行へ第二次借款
水害食い物の奸商取り締まり
孫文大元帥、北伐を命令
小額紙幣の発行きまる
新政会うぶ声
裸体美術に警視庁の干渉
美女マタハリ銃殺
11月
石井・ランシング協定成立
ボルシェビキ、武装決起
中国、日米に抗議の宣言
ソビエト政権樹立
ソビエト、休戦提案
国技館全焼、回向院は類焼
ソビエト、モスクワも支配
12月
タバコ値上げ
選挙にボルシェビキ敗る
独露間に休戦条約成立
懸賞長編小説の当選発表
桐野炭坑で大爆発
無賠償・民族自決提案
大正7年
1月
ウィルソン十四ヵ条発表
雪崩で百五十七人死亡
ウラジオストクへ軍艦派遣
高文試験制度きまる
三党、三様の宣言
山形県でも雪崩で生き埋め
ロシア制憲議会解散
中国南北軍、湖南で衝突
米買い占めの仲買人戒告
各地の米穀取引所休業
2月
ソビエトが権利宣言
税制改正で政府・政友妥協
衆院で八幡製鉄所汚職追及
憲法祝賀会で警官と乱闘
八幡製鉄所長官が自殺
浦賀船渠の職工スト
生活苦の警官・教員
ソビエト、対独講和を受諾
3月
底なしの福岡県下の汚職
ソビエト、講和条約調印
シベリア出兵機運高まる
モスクワに首都移転
独軍、西部戦線で大攻勢
日米船鉄交換契約成立
シベリアの反革命軍敗る
義務教育費国庫負担法公布
4月
友愛会が創立六周年大会
日英陸戦隊、ウラジオ上陸
マサリック博士来日
陸戦隊揚陸に反感
外米管理令を公布
5月
米穀取引を取り締まり
孫文氏、大元帥を辞任
外米売買管理を開始
留日中国学生の怒り
砲弾下のパリ
日華軍事協定成立
日華軍事協定の内容
エーヌ戦はじまる
6月
軍需局官制を公布
在露チェコ軍団が反乱
エーヌ戦に米軍参加
孫文氏、四度目の来日
英コンノート殿下来日
さんざんな外米
7月
チェコ軍団、ウラジオ占領
“新平民”の調査
35年逃亡の秩父事件首謀者
戦艦河内沈没
九州・山陰に豪雨禍
シベリア出兵で元老会議
シベリア出兵の愚挙を指摘
第二次マルヌ戦
ニコライ二世処刑
下関駅で爆発惨事
8月
シベリア出兵を宣言
富山の主婦、米屋を襲う
白海からも対ソ干渉軍
米騒動、大都市に波及
満州里派兵も声明
全国的な大騒動に発展
米騒動の記事削除
西部戦線の独軍総退却
穀類収用の緊急勅令公布
寺内内閣打倒の記者大会
ソビエト、戦争状態宣言
炭鉱の米騒動で死者相次ぐ
「白虹日を貫けり」で発禁
軒並み暴騰の物価
9月
『新しき村』建設
三池炭坑の坑夫・主婦騒ぐ
中国大総統に徐世昌氏
ハバロフスク、チタ占領
内閣弾劾全国記者大会
寺内内閣ついに総辞職
米騒動の調査報告
内閣首班、原敬氏に
原政友会内閣成立
連合軍、追い打ちの総攻撃
“平民宰相”誕生の朝
10月
三つの西原借款成立
ブルガリア屈服
ドイツ、講和を提議
チェコスロバキア独立宣言
スペインかぜ大流行
11月
トルコ、オーストリア休戦
外米の輸入税免除
島村抱月氏死去
キール軍港で独水兵反乱
第一次大戦終わる
対独休戦条約の内容
狂喜するロンドン
早くも休戦の反動
オムスクに反革命政府
東京の戦勝祝い
中国で南北停戦命令
講和会議の全権内定
12月
中国南北政府に和平勧告
大学制度を大幅改革
銀行間に預金利率協定
ウィルソン大統領パリ入り
スペインかぜに千万人感染
シベリアから大量撤兵決定
年表あり