図書カナガワケン ノ センソウ イセキ000029811

神奈川県の戦争遺跡

サブタイトル1~10
編著者名
神奈川県歴史教育者協議会 編者
出版者
大月書店
出版年月
1996年(平成8年)6月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
228p
ISBN
4272520458
NDC(分類)
213.7
請求記号
213.7/Ka43
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

1 横浜
横浜大空襲(1) 横浜駅・旧平沼駅
横浜大空襲(2) 旧平沼駅・黄金町駅
横浜大空襲(3) 黄金町駅から久保山へ
横浜大空襲(4) 三ッ沢・大通り公園・富岡
遺族の痛恨と平和への願い 三ッ沢・2つの慰霊碑
猛火にあおられて 横浜大空襲と割れた石
「割れた石」を訪ねて 南区に空襲の痕跡を歩く
横浜大空襲で絶えた真葛焼 久保山墓地
国の権力犯罪 横浜事件
B・C級戦犯を裁いた 横浜地方裁判特号法廷
戦傷病兵を収容した病院船 氷川丸物語
平和の願いがこめられた 青い目の人形
横浜の経済が地盤沈下 接収された横浜中心部の建物
地下の連合艦隊司令部 日吉台地下壕
未完成の地下格納庫 野島の巨大トンネル
陸軍最大の弾薬工場「こどもの国」と田奈部隊
戦時下の宗教弾圧 ミッションスクールの受難
食糧難と白眼視の中で 敵国人抑留所
県の戦没者追悼記念物 戦没者慰霊堂
唯一「敵国」に所在する墓地 英連邦戦死者墓地
2 川崎
細菌兵器使用計画の実験地 陸軍登戸研究所
軍の極秘情報を受信 通信隊蟹ケ谷分遣隊
ねらわれた軍需産業都市 川崎大空襲
「空腹・ノミ・シラミ」の思い出 川崎の学童疎開
50年をすぎても行方不明のまま 日本鋼管と朝鮮人強制連行
俘虜を動員して軍事生産を維持 川崎にできた俘虜収容所
3 湘南・三浦
海軍の町の陸軍施設 横須賀重砲兵連隊
砲台・弾薬庫・兵舎が残る 横須賀の猿島
波間に消えた6万の船員 観音崎 戦没船員の碑
訓練で50人の死者 人間機雷「伏竜」
本土決戦に備えた特攻艇 特殊潜航艇「海竜」
要塞化した三浦半島 城ケ島砲台
日本海軍の心臓部 横須賀海軍工廠(1)
動員学徒の手記 横須賀海軍工廠(2)
負傷に何の補償もなく横須賀と朝鮮人強制連行
特攻隊要員の主力にされた 予科練誕生の地
鎌倉と戦争のかかわり 鎌倉に平和を思う
平和都市・鎌倉の原点 平和の木
神奈川県にも被爆者が 鎌倉に原爆の碑を訪ねる
戦場にかりだされた学生たち 学徒出陣・特攻隊・鎌倉
海軍が破壊した日本最古の築港 材木座海岸の和賀江島
戦後に起こった悲劇 逗子・小坪の砲台跡
軍に追い出された住民たち 逗子・池子の帝国海軍火薬庫
義勇軍行進曲を生んだ亡命生活 聶耳碑
縦横無尽に走る地下壕 藤沢海軍航空隊
コロネット作戦の舞台 茅ケ崎海岸
狙われた軍施設 平塚空襲と火薬廠
海軍唯一の毒ガス工場 寒川の相模工廠跡
4 西湘
空襲で家族を失った少女「ガラスのうさぎ」と二宮町
空襲の犠牲者を偲ぶ 湯浅「慰霊の碑」
終戦の詔勅数時間前の空襲 小田原空襲の碑
爆発事故を起こしたドイツ船 芦ノ湯ドイツ水兵の墓
中断させられた伝統 戦争と箱根駅伝
横浜市内10校から 秦野への集団疎開
今も元軍人が療養を続ける 傷兵院・傷痍軍人箱根療養所
民間人を建設に動員 小田原の本土決戦陣地
特攻潜水艇の基地に 真鶴半島の本土決戦陣地
今も残る奉安殿 湯河原頌徳社
混血孤児たちの家 エリザベスサンダースホーム
5 県央
政党政治の崩壊前夜 海老名の憲政碑
民衆の願いを伝える 報恩寺の弾除観音
マッカーサーが降り立った 海軍厚木飛行場
台湾少年工に多くの犠牲を強いた 高座海軍工廠
跡地は近代的工業団地に 陸軍中津飛行場
陸軍施設を次々に造営 相模原軍都計画
米軍相模補給廠の前身 相模陸軍造兵廠
戦時型将校を養成した 座間の陸軍士官学校
1度もお腹がふくれなかった 横須賀の学童疎開
中国人・朝鮮人の強制労働で建設された 相模ダム
「残留孤児」「残留婦人」を生んだ 青根「満州開拓団」の悲劇
手紙に記された南京大虐殺 ある兵士の戦没墓碑
軍の横暴に住民の抵抗も 平塚海軍火薬廠の疎開
装幀(中根光理)
地図作成(今尾恵介)