時痕
第1部 戦斗(昭和二十年八月九日-八月二十九日)
ソ連軍侵攻当日
挺身大隊の応戦
新京への転進命令
興安嶺山中の彷徨
号什台の戦斗
第2部 降伏(昭和二十年八月二十九日-十一月五日)
停戦-武装解除
興安への移動、露営
徳伯斯の宿営
小民屯収容所
第3部 俘虜(昭和二十年十一月五日-二十三年七月八日)
シベリアへ
ノボパブロフカ
ソ連体験総括
十粁の山小屋生活
二十粁の収容所生活
十七粁の収容施設(高崎山)
再び二十粁収容所
ソフガワニーへの大移動
ノボパブロフカに逆戻り
三度、二十粁収容所
駅前派遣作業隊
山(本隊)における民主運動と「第二革命」
四度、二十粁収容所
ダモイ(帰国)列車
チタ駅下車五一九労働大隊
チェリノフスク第四分所
戦犯(ソ連国内法による政治犯「パイパン党事件」)
流浪(昭和二十三年七月八日-二十三年十二月十三日)
エムゲーベーチタの予審監獄(エムゲーベー『国家保安省』チタ支部)
欠席裁判(モスクワ特別軍事法廷における書類裁判)判決
エタップ
インター時代(囚人生活)(昭和二十三年十二月十三日-二十五年十二月五日)
インター矯正労働収容所
ブリガーダコイケ(小池班)
ブリガーダイワノーワ(イワノフ班)
ブリガーダサキアーナ(サキアン班)
ブリガーダリ(李班)
第三分所
ブリガーダイサーエフ(イサエフ班)
第五分所に集結
エタップ-ハバロフスクへ
ハバロフスク時代(長期抑留者)(昭和二十五年十二月五日-三十一年十二月十九日)
第六分所(昭和二十五年十二月-二十八年七月)
私の所属した班・現場
ルネッサンス時代
故国との通信
政治的工作
左官屋(シュカトウール)
一部帰国 六分所閉鎖
第二十一分所(昭和二十八年七月-三十一年十二月)
坂本班
帰国への確信、前奏曲
ハバロフスクの事件・帰国
〔附〕軍隊時代(昭和十八年十二月一日-二十年八月九日)