信州味噌の歴史
序文(長野県みそ工業協同組合連合会理事長 黒沢六助)
「信州味噌の歴史」発刊によせて(長野県知事 西沢権一郎)
口絵有
第1章 信州味噌の生い立ち
貴族の中のもの 平安時代まで
まず醤の話
調味料をあつかう醤院
はじめて味噌の字
味噌の店の紀元節
恵まれた宝庫・信濃路
安曇族の人びと
帰化人の教えるもの
大豆のふるさと
源氏物語時代の食卓
木曾義仲の平葺の汁
武士の生活の中へ 鎌倉から室町へ
貴族の味噌・武士の味噌
北条時頼、味噌で一杯
覚心をまつる味噌神社
覚心、東信の高原を愛す
すり鉢をかかえて
料理の世界に花ひらく
懐石料理始まる
味噌料理とエチケット
あゝふるさとの山河 室町から戦国へ
諏訪湖の鯉汁
山のさち、湖川さち
軍書に悲し、大根汁
木曾路の味噌玉
禅僧、酒に明け暮れる
信州名物・鮎ずし鮒ずし
味噌汁のはじまり
醤油の発明
兵糧としての味噌 戦国から織・豊へ
めしは二度か、三度か
鞭声粛々の秘密
信玄さまの三年味噌
太閤殿下のお通り
信長・秀吉・家康
味噌にいのちを江戸時代
変わってきた食膳
食物にも士・農・工・商
登場する味噌薬用論
ある農家の生活の知恵
さむらい・町人・恩田木工
進物と見舞いに贈る味噌
味噌部屋にまつわる風土性
江戸の大衆味噌料理
第2章 業界のあゆみ
創業時代維新から明治後期まで
企業化への胎動
長野県の成立
味噌を持たぬ人びと
製糸工業のあけぼの
山田博士の貴重な分析
長野に醤油稼同盟生まる
寺田味噌の登場
みそ造の系譜
醤油から味噌へ
ふくれあがっていく都市
諏訪に本格的な味噌組合
工業化へ急ぎ足
飛躍時代大正から日支事変へ
資本主義の中へ
飛躍への序曲
味噌、初めて移出県となる
東京を目ざして
大豆は汽車に乗って
関東大震災をきっかけに
信州味噌の科学的特色
その裏に、この杜氏と風土
醤油税廃止がもたらすもの
恐慌の嵐、製紙から味噌へ
業者団結の時代が来た
飛躍時代の大詰めの姿
戦時統制時代日支事変から終戦まで
戦争前夜の乱売戦
信州味噌工業組合連合会生まる
戦時統制の根幹・全味の定款
悲喜こもごもの実績調査
判定を待つ検査場風景
風土無視の公定価に驚く
大豆の配給をめぐって
県外移出許可制となる上伊那の企業整備成功
統制会社から配給制へ
カーキ色の統制会社
空襲下の製塩所づくり
隣組常会の味噌評定
市民と兵隊と味噌の疎開
乾燥味噌、八年間
塩のこと、隠されていた物資
敗戦、飢餓の中から
終戦前後の惨たる業界
戦後統制時代終戦から昭和二四年頃まで
紫酉会と青年たち
どん底よ、さようなら
GHQの味噌指令
資材獲得運動へ挙県体制
自粛を忘れてはいけない
県民の中の味噌
まわり出した味噌工場
県外出荷うなぎのぼり
中田式速醸法の功績
公団前夜のこんとん
食糧品配給公団発足す
公団長野味噌部の役割
八王子市民から感謝状
品質向上にかけるいのち
公団の使命終る
共販時代昭和二四年から二七年頃まで
共販体制の組み立てへ
問屋組織と銀行の協力
長野県味噌工連の誕生
きびしい共販への道
花ひらく味噌会館
長野県みそ検査条例
共販、歴史的使命を終る
黄金時代昭和二七年から四○年まで
団体商標を打ち立てる
強力な宣伝戦の展開
団結、危機を脱す
信州をねらう県外資本
労働問題と取り組む
ふたたび郷愁の大豆
販売網の組織と活動
みそへの招待
悲願一五年、感激の式典
あすへの展望
第3章 信州味噌研究所の使命
設立への歴史性
無菌味噌と色の追及に成功
アメリカ大豆の研究
回転式自動製麹機の完成
南信支所と細菌の共同生産
若い科学者たちの情熱
第4章 地区組合の話題
佐久味噌醤油工業協同組合
上田味噌醤油工業協同組合
長野味噌醤油工業協同組合
高水味噌醤油工業協同組合
松本味噌醤油工業協同組合
信州諏訪味噌工業協同組合
上伊那味噌工業協同組合
飯田味噌醤油工業協同組合
第5章 文献資料
信州味噌を語る(座談会 藤森伝一ほか)
中国に使いして(LT貿易使節 河原信三)
小諸のおもひで(島崎藤村)
長寿と食習慣について(東北大学教授 近藤正二)
信州の薬用植物と味噌(波多腰節)
松本地方の味噌たき(松本博物館長 田中磐)
第6章 名簿篇
歴代役員写真(長野県みそ団体の経歴)
組合員名簿
卸協議会員名簿
7章 統計資料あとがき(田中武夫)