高島屋百年史
第1篇 創業時代自文政十二年二月至明治廿一年三月
初代創業時代
高島屋の開祖
符牒並に四綱領の店規
創業時代の苦心
初代新七宏遠の理想
初代新七の晨起と其の他の徳行
初代新七当時の金融
店舗の拡張
店員の愛撫
初代新七の隠居
二代新七時代
家督相続
木綿及び呉服店に転業す
木綿の仕入
元治甲子の兵燹
維新前夜の状況
初期の博覧会
初代新七の逝去
始めて外人の来店と其の取引開始
段通店の開店
二代新七時代の商売状況
二代新七の逝去
二代未亡人の奮闘
三代新七時代
家督相続
店内取締制度と説教
京都府博覧会出品
第二回内国勧業博覧会出品
貿易品製作の苦心
貿易部の新設
仕入は一切現金取引とす
一流得意先の漸増
婦人洋服の流行
初期共進会視察
宮城御造営と御料羽二重御用拝命
高島屋の仕入
西陣織元と直接取引の苦心
初期に於ける機構創業二大功労者
海防費献納、黄綬褒章下賜
大阪行商の発展
店員の養成並に制度
店員の賞与金制度
京都店の増設
店舗の構造
三代新七の隠居と其の業績
第2篇 個人時代自明治二十一年三月至明治四十二年十一月
四代新七家督相続
高貴の御来店と其の後の発展
四代新七欧米視察
村田工場と最初の提携
西陣不況の救済
第三回内国勧業博覧会出品
東京進出と発展
伊予別子銅山開鑿二百年祝賀品の受注
印紙店の開業
最初の懸賞図案募集
閣竜世界博覧会出品
御旗と其の他御用拝命
諸官庁御用
高島屋飯田新七東店(貿易店)の設置
模範工場の創設
明治に於ける海外博覧会出品
女学生袴と法曹界職服
二十七八年戦役
西陣の輸出向絹織物製織に進出
第四回内国勧業博覧会出品
平安神宮と時代祭
関東物直接取引の開始
飯田新七東京仮出張所(呉服町店)の設置
宮内省御用達拝命
大阪心斎橋店の開店
店員の教育
明治三十一年に於ける店員数
高栄会の発祥
売出し日の変更
広告法の進歩変遷
暖房、冷房設備の苦心
通信販売部(地方掛)第一
東京紺屋町店の開店
東京店に於ける外人向小売部開設
京都店長の欧米視察
千九百年巴里万国大博覧会出品
名優「サラ・ベルナー」と巴里博覧会出品
神宮御造営御用拝命(第一)
筆頭別家北村喜右衛門の店葬
北清事変の勃発
観桜御会、観菊御会の御召服御用拝命
船舶装飾の受注(第一)
神戸出張所の開設
京都店の自家発電設備
「新衣裳」の発刊
巴里「サロン」への出品
第五回内国勧業博覧会出品
大阪店装飾部の起原
三十七八年戦役前に於ける営業方針
三十七八年戦役
「万歳帯」の売出し
日本赤十字社の「忠愛旗」
織物税の実施
「カーキ」色を軍服に採用方尽力す
聖路易万国博覧会出品
外国製品を我が流行界に応用す
意匠と品質の発揮
東京紺屋町店、丸ノ内店と分離後の発展
「衣装好み陳列会」と図案募集
「花くらべ」図案意匠会
「ア・ラ・モード」陳列会
「東京凱旋記念五二共進会」出品
車輛装飾最初の受注
地方行商と出張販売
東宮御所御造営局御用拝命
賞勲局の御用達拝命
赤十字社徽章用綬御用達
大阪心斎橋店の改造
座売廃止及び領収証の改正
名古屋出張所の開設
京阪両店の仕入部併合
北京日本公使館新築に関し御用拝命
刺繍及び友禅天鵞絨
外人向横浜小売店の開設
二代未亡人の逝去
山県老公の御忠言
御召馬車内張生地御用拝命
「均一売出し」と「デー」の創設
暹羅国皇室御用達拝命
浅野邸の外賓接待館
京城出張店の開設
三代新七の逝去
装飾織物品陳列会
全国染織技術官招待会
最新流行品陳列会
吉例ゑびす講と誓文払
京都店の沿革
京都店の新築計昼
現代名家百幅昼会
叙勲、叙位其の他の栄誉
第3篇 合名会社時代自明治四十二年十二月一日至大正八年八月十九日
合名会社に組織変更
京都店の建築準備
第十回関西府県聯合共進会出品
大阪新町浪花踊と其の衣装
日英博覧会出品
台湾方面進出
朝鮮太皇帝万寿節の御服
別家山姓芳之助の社葬
美術部の創設
高島屋最初の催物
緞帳の製作(第一)
新商品の取扱開始
北支方面進出の第一歩
京都店の新築落成
大阪心斎橋店に於ける新設備
御大喪御調度品御用拝命(大正元年)
諒闇中の流行
飯田社同人墓
婚礼調度品陳列会に相生会、高砂会の組織
百選会の創設
船舶装飾の受注(第二)
技工功労者追悼会
図案部(後設計部)の設置
店員の「スポーツ」
高島屋専属住江村田工場組織変更
「棲鳳絣」の由来
「東京大正博覧会」出品
世界大戦の勃発
桑港大博覧会農商務省出品人形
御大礼御調度品御用拝命(大正四年)
御料羽二重謹織
御料車御装飾御用拝命
皇室御婚儀御調度品御用拝命
支配人制度設定
東京店(南伝馬町店)の新築
貿易部独立して株式会社なる
大阪店装飾部の発展
大阪心斎橋店の火災
高盛会の発祥
世界大戦中の好況
第4篇 株式会社時代(前篇)自大正八年八月二十日至昭和五年十一月三十日(「株式会社高島屋呉服店」時代)
株式会社に組織変更
高島屋光栄の数々
大阪心斎橋店の復興と其の後の経営方針
東京店南伝馬町時代の「特別安売デー」
大阪に於ける最初の「家具装飾陳列会」
大阪長堀店新築計画
第一回株式会譲
大正九年大恐慌の影響
専職本部の設置
外人向小売部の引受け
欧米訪問実業団にに参加す
寄宿舎設置
「平和記念東京博覧会」出品
英国皇太子殿下御来店
大阪長堀店の開店
神戸出張店の合併
高島屋「バンド」
関東大震火災
関東大震火災後東京店装飾部の活躍
関東大震火災の跡仕舞
関東大震火災後東京店の復興(第一)
広幅織物の奨励
日本百貨店協会の設立
「ラヂオ」受信機の最初の売出し
第一回増資発表並に第二回株式の分譲
大阪市行啓御調度品御用拝命(大正十四年)
海外諸博覧会出品
旬刊「百華新聞」発行
飯田取締役海外百貨店視察
京都店の火災
御大喪御調度品御用拝命(昭和元年)
関東大震火災後東京店の復興(第二)
売上奨励法の施設
大阪長堀店の下足撤廃
大阪長堀店に於ける「大日本海軍展覧会」
物故店員追悼会
社長更迭
大阪長堀店に於ける「日光博覧会」
「大礼記念国産振興東京博覧会」出品
「大礼記念京都大博覧会」出品
見本市は博覧会に代はる
御大礼御調度品御用拝命(昭和三年)
飯田前副社長の逝去
大阪南海店開店準備(附本店調査本部)
大阪行幸御調度品御用拝命
高島屋専属「都織物工場」組織変更
高貴敷物御用拝命
神宮御造営御用拝命(第二)
諸大社御造営御用拝命
関東大震火災後東京店の復興(第三)
大阪長堀店の発展
第5篇 株式会社時代(後篇)自昭和五年十二月一日至昭和十四年七月卅一日(「株式会社高島屋」時代)
商号を「株式会社高島屋」と改む
大阪南海店の一部開店
帝国国会議事堂装飾御用拝命
高島屋均一店の創設
「協和」の発刊
浅間丸に於ける高島屋売店
大阪南海店の光栄
創業百年記念取引先招待会
田中常務取締役の辞任
大阪南海店全館開店
百貨店協会自制声明書発表
東京店送迎用自動車の廃止
定休日実施
昭和七年陸軍特別大演習御用拝命
大阪南海店に於ける婚礼式場の設備
第三回株式分譲と社外重役選任
第二回増資
満鮮支部の創設
営業部職制の変更
新築竣工後東京店復興開店
東京店婦人服部の設置
東京店に於ける「大日本海軍展覧会」
配達機関と「デポー」
高島屋冷房装置(温湿度調整換気装置)
宮内省特別御調度品御用拝命(昭和八年)
店員新年会
美術部の躍進
新興満洲国政府よりの御用拝命
大阪南海店に於ける「弘法大師文化展覧会」
昭和九年関西地方の風水害
「我等の日本皇国史大展覧会」
宮内省特別御調度品御用拝命(昭和十年)
店員教育の諸施設
満洲国皇帝陛下御来店
昭和十年関西に於ける豪雨
東京市より「花電車」の御用を受く
大阪南海店の電飾設備
昭和十年九州地方陸軍特別大演習御用拝命
和歌山店の火災
大阪天下茶屋食料品工場の開設
店員運動会
大阪南海店の光栄ある御用拝命
株式会社工栄社の設立
高島屋大阪商工会議所一級議員に当選す
大阪高島屋開店四十年記念
関西行啓御調度品御用拝命(昭和十二年)
支那事変勃発
一九三七年巴里博日本館内設備工事並に出品
京都店の新築計画
東京店増築第二期計画
大阪南海店拡張計画
百貨店法並に百貨店組合令施行
支那事変に於ける戦時国策施行
株式会社丸高均一店の設立
大阪南海店新大食堂と食味街の出現
英国「コンノート」殿下薨去に就き敬弔
高島屋登録商標
〓帳の製作(第二)
飯田専務取締役の北支満鮮視察
高島屋商事部の設置
飯田前社長の逝去
「日華交易振興会」を組織す
商事部職掌名称変更
陸海軍へ軍用飛行機献納
大阪南海、長堀両店の一体統合
一九三九年桑港万国博覧会工事請負
高島屋商品券の変遷
満州国皇室へ献上の雛人形
「紀元二千六年表奉讃展覧会」
「ヒツトラー」総統へ贈進の綴錦
通信販売部(第二)
船舶装飾の受注(第三)
高島屋と旗の製作
防空用暗幕の製作と臨時御用拝命
慰問袋の調製
株式会社高島屋工作所の設立
大正末期昭和に於ける高島屋装飾部の活動
週休(月曜日)の統一実施
事変以来百貨店の国策順応自粛
高盛会、高栄会、高隆会
百貨店同業者の現況
店員欧米百貨店業視察
店員保健慰安施設
株式会社設立二十周年記念
飯田社長店員への訓告其の他
高島屋店歌
結論
附属諸表・関係会社・附録流行百年史