昭和史の天皇 30
松岡外相の構想
近衛内閣の対米方針
三国同盟成る
近衛と松岡
南進の青写真
“バスに乗り遅れるな”
密使スターマーの来日
山本司令長官の態度
グルー大使の「青信号」
アメリカの態度
松岡外相の訪欧
独ソの緊張
ベルリンのモロトフ
リ外相の長広舌
モロトフの反撃
ヒトラーの怒り
クレムリンの回答
バルバロッサ作戦指令
密使の大使
二人の神父
駐米大使野村海軍大将
野村大使の判断
海軍の対米感
陸軍の場合
アメリカの“恐ろしさ”
もう一人の日本人
アメリカをにらむ外相
精力的なウ、ド両神父
井川氏をめぐって
日米交渉の根本草案
岩畔軍事課長の派米
ウォルシュ師の口供書
日、米それぞれの態度
ウオーカー郵政長官
米州陸軍武官会議
野村大使の「対米試案」
野村大使に与うる訓令
野村大使の“困惑”
ワシントンの交渉
波涛を越えて
ホワイトハウスにて
信任状の奉呈
ニューヨークでの再会
井川氏の資格
外務当局の“井川嫌悪”
スパイ小説のように
野村・ハル第一回会談
“狡猾な”国務省
武器貸与法と米英参謀会議
昭和十六年三月初、中旬
野村・ルーズベルト会談
松岡とスタインハート
岩畔大佐アメリカへ出発
松岡・ヒトラー会談
シンガポールを撃て!
“密使たち”の行動の軌跡
日米了解案
海軍武官の判断
陸軍武官の判断
了解案第一次草案
大使館地下室での秘密協議
最終案への過程
日ソ中立条約
「条約はできた!」
スターリンの胸中
チャーチルのメッセージ
幕合いの演出
再び日米了解案
固まったハル長官の腹
「反響よろし」……
日米了解案の発出
「邦家のため賀し候」
「ハル・四原則」の重大性・その1
「ハル・四原則」の重大性・その2
「日米了解案」の全文
了解案の思想
了解案の“改変”
一刻も早くOKを……
東京の驚愕
外務省の驚き
陸軍の喜び
海軍の喜びと疑惑
二重の“驚愕”
大橋次官の回電拒否
近衛首相からの電話
外相の驚愕
外相の胸中は……
鼻白む政府・統帥部
停頓する了解案
引き篭る外相
松岡の修正案
ソ連に流れた?了解案
中立条約の提案
いらだつ大使館
外相の独り舞台
陛下のご憂慮
孤立する松岡外相
タイム・リミット
いわゆる「松岡修正案」
実りなき交渉
野村大使の行動
“取り換えた”修正案
「マジック」
米側の中間提案
米側の正式提案
対英米戦を辞せず
外相更迭の総辞職
「交渉の基礎はなくなった」
真珠湾の悲劇へ-
終戦の詔書
痛恨「堪え難きを……」
陛下のお言葉再現
「回答」待つ政治空白
一日がかりで初稿
平易な文章の草稿
書きながら泣ける
漢学者二人が校訂
「国体護持」で激論
難解「五内為ニ裂ク」
“義命”と“時運”の違い
閣議の寸前に加筆
ねばった阿南陸相
没収恐れ「神器」削る
原本さえ修正の跡
玉音放送にも裏話
もう一つの詔書案
付録有