ある在米日本人の記録 下
嵐の時代(一)
開戦から集合所入りまで(一九四一・一二・七-一九四二・五・七)
開戦日の結婚披露宴
いくつかの釈明
二世独立宣言の大看板
特殊存在『帰米』
混乱と恐怖
進歩主義陣営にも動揺
真珠湾奇襲と米国の挙国一致
排他熱から追放論
マックウイリアムスとアール・ウォーレン
あわただしい日本人の動き
追放とイサム野口
命令に叛く
第一〇五二二号
サンタ・アニタ時代(一九四二・五・七-一九四二・九・三)
サンタ・アニタ入り
「士気鼓吹」の体操
自己反省
コジマ・マサモリと松永節子
日本語で夏期学校
講師は『赤』
悪化した一、二世間の対立
松井周次
いざこざの種『参事員会』
八月四日事件
池田豊耕と書簡カンパ
マンザナーからの手紙
F・B・Iの訪問
嵐の時代(二)
ハート山転住所時代(一九四二・九・六-一九四三・七・一五)
ハート山転住所入り
『穴ほっちまえ』
一世だけの区長会議出現
区長会議の顔振れ
区長会議は安全弁
東条首相の放送-「大根の仕事に出るな」
二世と転住所『憲章』
転住所も人間の世界
移民局からの手紙
国粋派と角力
総追放と基督教徒
安全弁からの脱皮
ワシントンへの質問書と回答
保安部員の総辞職
ポストン事件
党からの手紙とそれへの返事
スペイン領事ついに来所
開墾の歌二編
登録をめぐる大波瀾
ニューヨーク宛の二つの手紙
B・E・Wと下駄工場
英情報局の募集員
ハート山を去る
嵐のあとの静けさ
待機の時代(一)
転住所から首都入りまで(一九四三・七-一九四四・八)
『裸の都市』
時給65セント
初対面の山内俊邦
民主青年団員 菱川
思想調査入りの質問書
杉本の自殺未遂
それは『赤』の新聞
意外な終結
あせることは禁物
キャラハン機関
二八〇〇ドル均一の呼び出し
応じれば『国賊』
『通りました』
待機の時代(二)
ワシントン入りからカタリーナ行まで(一九四四・八-一九四四・一二)
ワシントン入り
天皇を茶化した漫画
活字と謄写版
美髷の紳士
帰って出直す
大きな郵便函
出しては不可の天皇制問題
二世班員の心境
シャーウッドは溜り場
多種多様の構成員
『白』宣伝の方針書
あけぼの新聞
ジェネラルのつるし上げ
海外行準備
ポトマックの『水藻』
『宣伝』とりどり
お流れの軍隊編入案
ラヴィノヴィッチとフランク・カプラ
Sスクール
捕獲文書と将兵の心境
行き先はカタリーナ
松本とフィールド
居残組も出動
準備の時代
カタリーナ島の三ヵ月(一九四五・一-一九四五・三)
『野党の旗頭』
懐しのカタリーナ
煙にまかれた「専門家」
目的は人命救助
『専門家』の追放
手にはいった参考書
『日本兵の馬鹿野郎』
『父よ、生きよ』
二班にわける
博士と花田
貸切り寝台車で北上
行動の時代
グリーンズ・プロジェクト(一九四五・四-終戦迄)
お向かいはセント・フランシス・ホテル
素人のプロデューサー
ローズベルトの死
『調度品のお好みは』
出動は軍の命令で
捕虜をつれに行く
袋から猫が出る
アメリカは帝国主義
ミイラとりがミイラ
桜井の出現
先をみた計画
少佐になった大尉
モントレーの『スト』さわぎ
降服申し入れ
進駐に関する意見書
ポツダム宣言の解説
首都に飛ぶ
座談会の録音
売込み先は『調査団』
元帥の坐り込み
首都を発つ
往きは九時間帰りは六日
『密告』で失格
太平洋を飛ぶ