玉野市史
発刊に際して(玉野市長 井上澄雄)
序文(岡山大学学長 谷口澄夫)
玉野市というところ
玉野市の位置と区域
玉野市の誕生
玉野市のおいたち
第1編 原始
玉野市の夜明け(先土器時代)
近海から旧象の化石
周辺の自然状況とその生活
採取の生活(縄文時代)
農耕のはじまり(弥生時代)
玉野市渋川海岸砂丘の壷(弥生時代)
高地、谷間遺跡と青銅器の発見(弥生中期)
深山遺跡(弥生後期)
第2編 古代
国の誕生(古墳時代)
古墳時代の生活
深山遺跡の特色
荘内地区の古墳
海岸地区遺跡の特徴
製塩・祭祀遺跡と後期古墳
飛鳥鳥代
紀記と児島
蘇我氏と児島屯倉
児島屯倉と吉備海部羽島
帰化人の土着
奈良時代
公地公民制と行政区画
班田収授と条里制
天平の記録にみる産業
万葉集にみる玉野
平安時代
荘園
延喜式にのった神社と式外社
古今集ほか諸歌集中の玉野
源氏物語 玉かつらの巻と海賊
仏教の興隆と玉野
経塚と和鏡
古代の美術
西行の巡錫
源平のころ
平氏と児島
大崎の市杵島姫神社
崇徳上皇の讃岐配流
藤原成親の配流
高倉院行幸と八浜
源平の争いと玉野
第3編 中世
鎌倉時代
守護と地頭
頼仁親王の配流
蓮華庵の不動明王二童子画像
玉大聖寺の日蓮聖人書翰
南北朝の争い(南北朝時代)
建武中興と郷土の動き
児島高徳と和田出生説
後閑西湖寺と高心の墓
足利幕府の樹立と玉野地方の形勢
室町時代
細川氏守護時代
町の発達と宗教の隆昌
寺院の復興と増吽
戦国期の玉野
玉野の城跡
玉野の戦記
中世の美術
彫刻
絵画
石像美術
その他の工芸品
第4編 近世
藩制の成立
前池田藩政時代
池田光政の入封
光政の宗教改革
鎖国令と宗門改め
初期の村のくらし
検地と年貢
当時の村々
村人の統制と生活
厨子形石塔と船乗り
巡見使と朝鮮使節
土着帰農した人々
漁業
瀬戸内海側における漁業
児島湾における漁業
塩業
江戸期の塩田
野崎武左衛門と亀浜、東野崎浜
その他幕末の塩田開発
其の他の産業
木綿の流行と綿の栽培
江戸時代の商業
工業(職人のこと)
干拓
児島湾の干拓と国境論争
宝暦年間の児島湾境界論
興除新田の開発
中期以降の村のくらし
村有林の争い
江戸中末期の村のあれこれ
話題の人々
鳥人の幸吉
日比村松太郎のオロシヤ漂流
田井村才次郎の漂流
秀天の石橋
池田継政のしし狩り
シーボルトの日比寄港
日比の黒船騒動など
安政六年イギリス船渡来
弥太之進様
石丁場
古記録に見る
交通と街路
江戸への交通
江戸時代の往還
第5編 近代
明治維新とわたしたちのまち
明治のはじまり
くらしと財政
人材登用とむらの政治
戸籍の改定
新しい行政区画
教育、文化のさきがけ
学制以前の教育
学制発布当時の小学校
小学校教則と落第制度
学校紛争と就学率
女紅場から裁縫所へ
新政の浸透と諸制度の一新
土地制度と郵便制度
通貨制度
風俗の変遷
徴兵制度
税制
船改所
行政区域の変更
役場と戸長
新しいくらし
武士の商法
そのころの産業
漁場とくらし
養殖漁業
交通通信の発達
港と道標
道標
回送業
北前船と塩問屋
潮と風と航路
政状不安
海底電信
諸制度の改正
警察制度
郡区役所
戸長役場の統合
新三法
庶民生活と政治への関心
新しい市町村制
教育制度の変遷
教育方針と教師
むらむらの財政
児島湾の干拓
津浪の災害
干拓事業の進捗
漁業者の反対運動
養貝事業の組織と変遷
児島湾沿岸漁業の情況
漁業補償と漁業権
産業の発達
日清戦役前の情勢
町村制の確立
町村長をつとめた人びと
勧業費
産業の発達
果樹の栽培
繊維工業
海外への雄飛
回船業の繁栄
加子浦と漁業
鯛網と瀬曳網
朝鮮出漁と岡山村
北洋出漁と遭難事件
製錬所の開設
杉山製銅所の建設
公害問題の発生
宇野港と宇野線
鉄道開通とスポーツのめざめ
宇野港の修築
山陽鉄道と宇野線
犯罪と演劇興業
教育の充実と学校建築
補習教育
官庁、会社、銀行
専売所
水産試験場の設置
明治末の企業
浦田海浜院と渋川
郵便局と銀行
大正時代
明治から大正へ
宇野港のその後
連絡船と陸上交通機関
牛ヶ首聖園のはなし
第一次世界大戦の勃発と日本
三井造船所の立地
開発にわく日比町と宇野町制
第一次世界戦争の結末
製錬所の変遷
日比商業組合の誕生
繊維産業の推移
養殖事業のその後
岡山村のその後
その他の漁業のうつりかわり
演劇と映画
灯火のうつりかわり
馬車と乗合自動車
米騒動の前後
専売局の移転と日比の港
八浜のダンジリ(壇尻)騒動
そのころの世情
戦後の不況と三井造船
関東大震災と造船所
ディーゼルエンジン船
由良染料会社の誘致
宇野港開港への道
砲兵工廠の誘致
造船所の争議
昭和のはじめ
昭和のはじまり
幼児教育
普通選挙
町村会議員の普選
即位の御大典
海水浴場の流行
青年団の活動
脚光あびる宇野港
金の解禁と不景気
ナシの海外輸出
満洲事変と上海事変
朝土部隊の乗船
大連への定期航路
もめた宇野港の改修
生活のゆとり(国立公園)
国際連盟の脱退
二・二六事件
製錬所のその後
支那事変のはじまり
戦時体制強化と世界の動き
宇野日比両町の合併
戦争とともに歩む玉野市
玉野市の第一歩
新体制下の市民のくらし
世界の動きと三国同盟
戦時下の生活
決戦の年
敗戦からたちあがって
戦後の変革
農地改革
労働運動の法認
新教育の実施
戦後の選挙いろいろ
高等学校の変遷
競輪のはじまり
小中学校の建築
はげ山と治山事業
自治体警察(玉野市警)
市立玉野病院
教育委員会
新しい玉野市への出発
町村合併への動きと玉野市
合併後初の選挙
渋川の開発計画
臨海実験所、海洋博物館
水島の開発と備南電鉄
市立商業高校の誕生
新市建設計画と市の発展
水上道の普及
中国殉難者慰霊祭
躍進をつづける玉野市
水源林の造成
成人に達した玉野市
ゴルフ場の開発
太田市長の急逝(はじめての玉野市葬)
県南広域都市問題
第十七回国民体育大会
児島湾七区干拓地の完成と玉野市へ編入
県南新産業都市指定と諸施設の拡充
躍進する玉野市
歴史年表・参考文献一覧有