先生、忘れないで!
子を失った母の嘆き(長田はる子さん・吉田とみ子さん・小原ナツさん・ある女性教師)
なぜ義勇軍に参加したのか(工藤儀久氏・斎藤省吾氏・溜口麻一氏・鰐部重之氏・佐藤嘉門氏・埋橋武志氏・太
満州で、子どもたちはどんな道をたどったのか
世論を煽りたてた新聞報道
義勇軍の名をはずかしめてはならない
打ちくだかれた夢
満州の訓練所
どんな訓練をうけたのか
義勇隊開拓団の入植地
訓練所での生活
さまざまな暴力事件
小原昭さんの話
佐藤謙三氏の体験
殺された中隊長
中国人への暴力
義勇隊の暴力・非行の要因
子どもたちはどのようにして死んでいったか
とり残された子どもたち
京都中隊の足どり
母を呼びつつ死んだ近沢君
飢えと寒さと悪衛と
リンチで死んだ大狩少年
団子汁を食べて息をひきとった小林少年
骨と皮で死んでいった子どもたち
「義勇軍」とはいったい何だったのか
義勇軍創設のねらい
満州移民が担わされた役割
義勇軍は満州国防の第二線
義勇軍構想実現の立役者加藤完治
名前にこめられた意図
皇軍の片腕
義勇軍から義勇隊へ
義勇軍募集はどのように進められたか
義勇軍募集開始
応募の動機
応募した子どもたちの家庭状況
畳のある家は一軒もない
生じた矛盾
農村青少年の教育
日・満両国旗を持って
聞くと見るとは大違い
無理に無理を重ねた送出計画
送出不振の理由は?
郷土中隊編成運動が果たした役割
興亜教育とは何か
拓務訓練はどのように行なわれたか
「国策に順応した子どもをつくらなければならない」
「民族の移動は教育者たちによって行なわなければならない」
興亜少女隊もつくられた
国策にからめとられた教育
先生たちはどうかかわったか
強まる圧力
好成績町村名を公表した埼玉県
「国策非協力校」というレッテル
全「適格者」を「推薦」した長野県
応募をはばんだもの
「遊び盛りの子供を義勇軍などにとられてたまりますかい」
熱心に取り組んだ教師たち
非協力の教師たち
「教え子を満州に送れ」
指導者養成
五人もいるのだから一人は行ってほしい
県により差があった
教師への恨み言
「先生はいま、どう考えていますか?」
憤怒の声
「信念は今も変わらない」
「一生の慚愧です」
教師による差別、選別
貧困家庭・親のない子・非行の子がターゲットになった
「時代がそうさせた」ですむのか
教師は敗戦をどう受け止めたか
責任を痛感した教師
現場に留まった教師
辞任した教師
信濃教育会の過去のふりかえり方
無謬主義のかたまり
「反省は国と県の仕事」
満州に送られた先生
教師と責任-長野県の場合
池の魚
反省から出発すること
「国定化」されつつある教師たちへ
母たちは忘れない
県史から消された子どもたちの死
ほんとうに「わが青春に悔いなし」か?
犬死にではなかったのか
教育を特定の方向に向けてはならない
プロとしての教師の任務
いま再び求められているもの
残されているのは徴兵制だけ?
参考文献有
年表有