図書目録ヤブラレタ チンモク資料番号:000020524

破られた沈黙

サブタイトル
アジアの「従軍慰安婦」たち 写真記録
編著者名
伊藤 孝司 編著
出版者
風媒社
出版年月
1993年(平成5年)7月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
232p
ISBN
4833110318
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/I89
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

第1部 植民地の被害者たち
朝鮮
(黄錦周)反抗した裸の女は性器を拳銃で撃たれて殺されました
(李京生)「朝鮮人の子どもは必要ない」と将校が胎児を殺しました
(文玉洙)1人で1日30~70人もの相手をさせられたのです
(盧清子)私自身が強制連行の最も確かな証拠ではありませんか
(李福汝)兵隊は彼女の首を切り、その煮汁を飲めと強要しました
(沈美子)16歳の時警察で拷問され、気がついたら福岡でした
(姜徳景)「マツシロ」でも「慰安婦」をさせられました
(李容洙)謝罪と補償が実現して恨が拭えるまで死にません
(金英実)朝鮮語を使っただけで「トキ子」は首をはねられたのです
(金学順)日本や韓国の若者に事実を教えなければいけません
(尹順万)背の高い人は「慰安婦」に、低い人は工場に送られました
(金卿順)空襲があっても私たちは部屋に残されたのです
(金大日)朝鮮と中国の女性150人を並べ首切りを始めたのです
(李貴粉)朝鮮人の特攻兵と一緒に歌って泣いたこともあります
(姜順愛)空襲が激しくなっても「慰安所」には兵隊が並びました
台湾
(「河口ミサ子」)(植民地時代の名前)日本・朝鮮・インドネシア・台湾・沖縄の女性がいました
(「カネ子」)(植民地時代の名前)みんな、私と同じようにだまされた人ばかりでした
匿名看護婦をするものと信じてチモール島に行ったのです
(「フミ子」)(植民地時代の名前)「慰安所」では、毎日、海と墓ばかり見ていました
第2部 占領地の被害者たち
中国
(万愛花)散々に殴られ蹴られ、裸で冷たい川に投げこまれました
インドネシア
(ジャンヌ・オヘルネ)全身が焼け焦げそうな恐怖感を、今も忘れられません
フィリピン
(マリア・ロサ・ヘンソン)世界のどこでも、私たちの体験を繰り返させないで
(クリスティタ・アルコベル)怖くて叫ぶと、兵隊は私を何度も靴で蹴りました
(アナスタシア・コルテス)サンチャゴ要塞で5カ月間にわたり強姦されました
(トマサ・サリノグ)捕まった時、私はまだ初潮も迎えていませんでした
(ロザリオ・ノプエト)駐屯地を放棄する日本軍に、突然首を切られました
(コラソン・コルネル)彼は去って行き、私は一生結婚しないことにしました
(フランシスカ・ナペサ・アウスタリ)家族たちは私の体験を知って苦しみました
(フリア・ポラス)日本兵は私の顔に懐中電灯を当てて強姦したのです
(ロルデス・ディビナグラシア)日本人の子どもたちを必死にかばい、育てました
(ロシータ・パカルド・ナシノ)抵抗したため乳首を切りとられた女性もいました
(サビーナ・ビレガス)日本軍は食料を奪い、男性を殺し、女性を捕まえました
(ファニタ・ハモット)教会で141人のフィリピン人が虐殺されました
(マリア・フェ・サンティリアン)日本兵に蹴られた痛みが心の傷を思い出させます
(シンプリシア・マリラグ)「いつ殺されるかもしれない」と毎日神に祈りました
(ビクトリア・ロペス)将校が殴り、蹴り、ワンピースを引き裂きました
(ルフィナ・ヘルナンデス)軍刃が右肩に当たり、腕がちぎれそうになりました
(ピュリフィカシオン・メルカド)5人の日本兵が代わる代わる私を強姦しました
(アモニタ・バラジャディア)銃で頭を殴られて以来、右耳があまり聞こえません

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