語られなかったアジアの戦後
韓国・朝鮮 分断の種を蒔いた日本
過去の謝罪と賠償抜きの国交樹立
ヘバン・マンセー!
燃え上がる建国運動―朝鮮建国準備委員会の活動
朝鮮人民共和国の樹立
否認された独立
否認に手を貸した日本
分断―「大韓民国」と「朝鮮民主主義人民共和国」の建国
朝鮮戦争
朝鮮戦争に参加した日本
民衆運動としての四月革命
清算なき国交樹立
問題の根源に目をつぶってきた日本
台湾 安い観光旅行がつないだ戦後の関係
植民地支配への贖罪の意識もなく
一九四五年八月一五日
「祖国」が来た
接収
「二・二八」事件
ふたたび分断
交わらぬ感情
「謝罪」と「償い」
中国 二七年目の国交回復、そしていま
風化した日中共同声明の精神
偽「満州国」と汪兆銘政権の崩壊
日本軍の武装解除
国共内戦―中華人民共和国の成立
戦争裁判
中国の戦争裁判は誰を裁いたのか
日本に蒋介石政権支持を迫ったアメリカ
引揚げと送還
岸内閣と劉連仁事件
台湾海峡の軍事緊張と中ソ論争
文化大革命とベトナム戦争―日中国交回復へ
戦争責任の明確化と民衆交流の実現へ
フィリピン 与えられた「独立」
フィリピンに影を落とす日本とアメリカ
付与された独立
モンテンルパの夜は更けて―戦争犯罪人の処理
対日協力問題
独立の形骸化
賠償問題
サンフランシスコ平和条約締結の背景
賠償交渉
賠償の果たした役割
賠償締結への日比の対応
日本に向けられるまなざし
ベトナム・ラオス・カンボジア 独立に支払った大きな犠牲
独立のための犠牲を日本が考えるとき
ベトナムと日本
はじめに
蜂起と崩壊
もどってきたフランス
引揚げと残留
長期抗戦へ
抗戦下の日本人
賠償問題
ラオスと日本
日本軍の撤退
フランスの復帰と独立闘争
ネオ・ラオ・イサラ(ラオス自由戦線)の結成
ビエンチャン政府の完全独立と内戦激化
ジュネーブ協定の調印
フランスの撤退とアメリカの介入
カンボジアと日本
日本の降伏とフランスのインドシナ復帰
段階的独立を目指したシアヌーク
フランスからの完全独立
サンクム体制へ
反シアヌーク運動
アメリカとの国交断絶と経済危機
シアヌーク体制の崩壊から内戦へ
ポル・ポト政権による虐殺とベトナムの介入
戦後日本との関係
アイデンティティーの構築をめざして
タイ 「近代化」に深くかかわった日本
タイの「近代化」をすすめた特別円協定
バンコクの街に流れる歌
八月十一日、バンコク
アメリカ・イギリスの反応
日本軍の武装解除
タイ・日国交断絶
「自由タイ」の解散
連合国との終戦協定
タイの戦争犯罪人
日本との国交復活
タイと日本の間に横たわる問題
特別円の返済をめぐる問題
「泰緬鉄道」はいま
隣人としてのタイと日本
マレーシア・シンガポール 日本軍政が残したもの
深まる民族対立
日本の敗戦―喜びから憎しみへ
「反共」と「独立」―イギリスのマラヤ再植民地化と試みとマラヤ民族主義の目覚め
「マラヤ連合」構想
「マラヤ連邦」の形成
非常事態宣言
「反共」から生まれた「マラヤ華人協会」
「一九五五年」―独立へ向けて大きく動いた年
「マレーシア」を提案
「マレーシア」結成への動き
ブルネイ人民党の反対
サバの領有権問題とマフィリンド構想
シンガポールの分離独立
戦争賠償はまだ終わらない
ミャンマー ビルマ人の日本イメージ
「ビルマ」からミャンマーに変わって
三月二七日
反面教師としてのファシスト日本
日本時代に得た経験と力量
独立はしたものの
日本軍「カレン討伐」の余波
国軍の「ビルマ化」
平和条約の締結と賠償・経済協力
ビルマ人の日本イメージ
日本が支払わなければならないツケ
インドネシア 戦後も生きる「大東亜共栄圏」時代の人間関係
戦後も力をもつ「大東亜共栄圏」時代の人間関係
八月十五日
レンガスデンクロック事件
狭立宣言
燃え上がる独立の炎
武器をめぐる日本軍との衝突
残留日本兵
独立戦争
革命路線と妥協路線
交渉と独立戦争
対日平和条約と「不幸な関係」の始まり
終章 日本の敗戦とアジアの独立
戦後日本の構図はいかにしてつくりあげられたか
「ポツダム宣言」の受諾
帝国の版図―膨張から縮小へ
武装解除される日本軍
日本軍は日・朝・台の混成軍
朝鮮に徴兵制
台湾にも徴兵制
アジア人の軍隊を編成
日本の戦争犯罪とアジア
朝鮮人、台湾人が戦犯になる
日本の国際社会への復帰―対日平和条約と賠償
なぜ、いま戦後補償なのか
戦死の確認もできないままで
資料・参考文献・年表・索引あり