キーワードで追うカンボジア紛争
カンボジア・インフォメイション
【カンボジアという国】
カンボジア紛争(ベトナム軍の侵攻)までの歴史
【クメール文化の開花】
【フランスによる植民地化】
【旧日本軍の侵攻と抗仏独立闘争】
【クメール・ルージュの抬頭】
【内戦勃発へ】
【中越の影】
カンボジア紛争・関連年表
カンボジア紛争の「主役」たち
1 発端
カンボジア紛争の発端
【アメリカの介入にゴーサインを出したロン・ノル首相】
【ロン・ノルのクーデターとCIA】
【米軍のカンボジア空爆】
【アメリカ空軍がカンボジア全土を爆撃】(ホノルル一九七〇年三月二十一日=UPI共同】
【B52プノンペン郊外を爆撃】(サイゴン一九七〇年三月二十二日=AP)
【カンボジア民族統一戦線の結成・カンボジア王国民族連合政府発足】
【ロン・ノル大統領が亡命の旅立ち】(プノンペン一九七五年四月一日=AFP時事)
【解放軍に政権委譲を提案】(プノンペン一九七五年四月十六日=AFP時事)
【南ベトナムのアメリカ人に引き揚げ命令】(ワシントン一九七五年四月十六日=AP共同)
【シアヌーク殿下、元首を辞任】
【シアヌーク殿下をとりまく六人の妻】
【第一回カンボジア人民議会】(一九七六年四月十一日)
【ポル・ポト新首相の誕生】
【ベトナムがポル・ポト首相に祝電】(ハノイ一九七六年五月十四日=VNA共同)
ポル・ポトが目ざしたこと
【クメール・ルージュ型農本主義の実験】
【サハコー(強制労働収容所)とアンカー・パデワット(革命組織の監視員)】
【難民の話】(タイ・カンボジア国境で)
【カンボジア紛争前夜のアジア】
【ハイフォン号難民に上陸許可】(クアラルンプール一九七八年十二月二日=AP)
【サザンクロス号事件】
【難民船三百隻が南下中】(クアラルンプール一九七八年十二月六日=マレーシア通信)
【香港沖に二千七百人の難民船】(香港一九七八年十二月二十三日=共同)
【カンボジア民族救国統一戦線が樹立】(一九七八年十二月三日)
【カンボジア民族救国統一戦線の活動綱領】(一九七八年十二月四日=ラジオプレス東京)
【中国がポト政権の戦争を支持】(北京放送=一九七八年十二月六日)
【ソ連がカンボジア民族救国戦線を支持】(プラウダ紙=一九七八年十二月十日付)
【頻発する中越国境衝突】
【中国、ベトナムを非難】(一九七八年十二月十二日=ラジオプレス東京)
【国連安全保障理事会議長に宛てた陳楚中国国連常駐代表の書簡要旨】(一九七八年十二月十二日=ラジオプレ
【ベトナムが軍民に戦闘体制指令】(バンコク一九七八年十二月十四日=共同)
【米中国交樹立で合意】(一九七八年十二月十六日)
【米中合意の骨子】
カンボジア紛争の勃発
【ベトナム軍がカンボジア侵攻】(プノンペン放送=一九七八年十二月二十九日)
【ポト政権が西側各国に支援要請】(プノンペン放送=一九七九年一月二日)
【カンボジアとベトナムの国境衝突-一九七七年】(ワシントン一九七七年十二月二十五日=AFP時事)
【プノンペン陥落】
【ポト政権が緊急安保理開催を要求】(ニューヨーク一九七九年一月二日=共同)
【アメリカがポト政権支持を表明】(ニューヨーク一九七九年一月三日=AP共同)
【カンボジア問題、国連本会議へ】(ニューヨーク一九七九年一月五日=UPI共同)
【首都陥落近しとバンコク外交筋】(バンコク一九七九年一月五日=AP共同)
【明るみに出たポト政権下の大量虐殺】(ハノイ一九七九年一月十一日=AFP時事)(ハノイ放送一九七九年
【中国とベトナムの軍事衝突】(一九七九年二月十七日)
【敗走するポル・ポト軍】
【密林のロバ】
【難民七人に一人はゲリラ兵】(アランヤプラテート一九七九年一月十二日=ロイター)(アランヤプラテート
【国際赤十字】(International Red Cross)
2 私が見たカンボジア難民キャンプ
【難民キャンプ】
【カオラン難民キャンプ】
【国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)]
3 国境で出会った人びと
国際問題化したボートピープル
カネは出すが人は出さない
【国境なき医師団】
【難民問題と日本の対応】
【国際緊急援助隊】
【国際緊急援助隊の派遣に関する法律】
コミュニケーション・ギャップ
メコン川事件と難民の自由意思送還
(ラオス外務省一九八〇年六月十八日)
(バンコク一九八〇年六月二十二日=時事)
(クアラルンプール一九八〇年六月二十四日=AFP時事)
(ジャカルタ一九八〇年六月二十四日=ロイター共同)
(モスクワ一九八〇年六月二十五日=共同)
(ジュネーブ一九八〇年六月二十七日=UPI共同)
【カンボジア紛争をめぐる一九八〇年の重要日誌】
あるボランテイア青年の死
近藤紘一君のこと
4 新たな局面へ
反ベトナム三派連合の樹立
東西代理戦争への転換
【カンボジア国連代表権問題】
【三派連合政権構想】
モスクワから始まったデタント(緊張緩和)
【ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の誕生】
【一九八六年の主な国際ニュース】
【第三回カンボジア問題国際会議】(一九八七年七月二十五日=バンコク)
【第一回パリ会談】(一九八七年十二月一日=パリ)
【共同コミュニケの合意四項目】(共同)
【第二回パリ会談】(一九八八年一月二十日=パリ)
【シアヌーク大統領の和平提案】(パリ=共同)
【シアヌーク大統領の辞意表明】(一九八八年一月三十日)
【シアヌーク大統領、辞任の理由】(北京=共同)
5 和平への迷走
初めて一堂に会したカンボジア四派
【第一回ジャカルタ非公式協議】(一九八八年七月二十五日)
【人民共和国側提案】
【国連にポト派排除の動き】(ニューヨークタイムス一九八八年十月十一日付)
【カンボジア人民共和国樹立十周年式典の開催】(一九八九年一月十日)
【ポト派秘密指令の概要】
【第二回ジャカルタ非公式協議】(一九八九年二月十九日)
【カンボジア円卓会議】(パリ一九八九年七月二十五日)
【カンボジア問題国際会議】(パリ=一九八九年七月三十日)
【国際監視機構(ICM)】
【カンボジア問題国際会議】(再開会議=パリ=一九八九年八月二十八日)
【米ソが東西冷戦終結を宣言】(マルタ首脳会談=一九八九年十二月二日、三日)
【ジャカルタ非公式協議】(一九九〇年二月二十六日~二十八日)
【「和平」が戦闘強化の合い言葉】
紛争長期化がもたらしたもの
【シアヌーク殿下の声明】(一九九〇年六月一日)
【声明の要旨】
東京国際会議の開催と加速されたカンボジア和平
【カンボジア和平東京会議】(東京迎賓館=一九九〇年六月四日、五日)
【東京会議に対する各国の評価】
【アメリカがカンボジア政策見直し】(パリ=一九九〇年七月十八日)
【各国の反響】
【ASEAN外相会議】(ジャカルタ=一九九〇年七月二十四日、二十五日)
【カンボジア問題に関する共同声明要旨】(共同)
【アメリカ国務長官がポト派排除で理解求める】
【ASEAN拡大外相会議】(ジャカルタ=一九九〇年七月二十七日~二十九日)
【国連安保理常任理事国がカンボジア和平案で合意】(ニューヨーク国連本部=一九九〇年八月二十八日)
【合意五項目】
【カンボジア最高国民評議会設置】(ジャカルタ・四派協議=一九九〇年九月九日開幕)
【サムリン政権、解体を認めず】
【カンボジア問題国際会議】(パリ=一九九〇年十二月二十一日~二十三日)
【日本政府の独自案】
【カンボジア和平国際会議】(ジャカルタ=一九九一年六月二日)
【カンボジア和平案を十九ヵ国が調印】(カンボジア問題パリ国際会議=一九九一年十月二十三日)
【和平案骨子】
6 和平後の課題
【国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)】
増補 不透明なカンボジアの明日
資料・キーワード索引有