図書アル ヘイシ ノ センジョウ ノ スケッチ000020257

ある兵士の戦場のスケッチ

サブタイトル1~10
蘆溝橋事件直後の北支戦線
編著者名
西村 修 著者
出版者
草思社
出版年月
1995年(平成7年)7月
大きさ(縦×横)cm
20×
ページ
254p
ISBN
4794206305
NDC(分類)
916
請求記号
916/N84
保管場所
開架一般
内容注記
和書
目次

プロローグ 戦場で描いた六百枚のスケッチ
画家と童話作家を戦場で取材した記者がいた
日中戦争に従軍し戦死した記者・菅生伝之進
画家と記者が中国戦線で見たもの
第1章 戦場への道
昭和十二年九月-秋田 後備役の秋魚、陸軍一等兵として北支に出発
昭和十二年七月-秋田 芦溝橋事件勃発、伝之進、特派員に
昭和十二年七月-東京 田口の属する歩兵第一一七連隊とは
昭和十二年九月-秋田 田口ら、釜山から京城、奉天を経て山海関へ
昭和十二年九月-北京 保定掃滅のため北京から一日三十キロの行軍
昭和十二年十月-美化鎮 死者十九、負傷者五十、初戦・美化鎮の戦闘
第2章 文章報国
昭和十二年十月-秋田 文章報国の気概に燃えて中国に渡った伝之進
昭和十二年十月-成安 なぜ第二大隊は成安で全滅したのか
昭和十二年十一月-南小留 第三中隊の戦死者二十一、南小留での戦闘
昭和十二年十一月-下関 初めての朝鮮、中国で伝之進が見たもの
昭和十二年十一月-北京 保定、定県、邯鄲、身をもって知る戦時の緊張
昭和十二年十一月-広平 伝之進、第一大隊を追って威県から石家荘へ
昭和十二年十二月-広平 秋魚、南小留、内邱でスケッチに励む
昭和十二年十二月-天津 伝之進、済南陥落の報に現地へ駆けつける
昭和十三年二月-黎城 第一大隊、山西進攻で邯鄲から渉県、黎城へ
昭和十三年二月-濮陽 南進する第二大隊、突撃機関銃隊の勇戦
昭和十三年二月-封邱 清水第二大隊長の目に映った将兵の規律
第3章 記者の戦死
昭和十三年三月-渉県 伝之進、東海林中隊の秋魚を渉県に訪ねる
昭和十三年三月-封邱 第二大隊、平野部の封邱から山岳地のロ安へ
昭和十三年四月-清化鎮 伝之進、第二、第三大隊とともにロ安へ
昭和十三年四月-武郷 伝之進、武郷で初めて実際の戦闘に遭遇
伝之進の死と最後の記事、消えたフィルム
第4章 英霊報道
昭和十三年四月-秋田 秋田県民に大反響を巻き起こした伝之進の死
昭和十三年二~四月-東京 国家総動員法の制定と聖戦一色の美術界
昭和十三年四月-渉県 第一一七連隊、路安と渉県から清化鎮へ戻る
昭和十三年六月-西陽村 第一一七連隊、清化鎮から山西の垣曲に転戦
昭和十三年七月-清化鎮 清化鎮に留まった秋魚、負傷した戦友に会う
昭和十三年九月-臨汾 「山西の横嶺関を確保し、臨汾を守備せよ」
昭和十三年十二月-中国 三十五歳以上は帰還、秋魚、祖国へ帰る
昭和十四年七月-秋田 なぜ秋魚は人物画を描かなくなったのか
第一一七連隊の帰還とその後の戦局
エピローグ 秋魚、自己の内面との闘い
参考資料・文献有