木戸幸一尋問調書
(伊香俊哉)
(宮崎章)
(小田部雄次)
第1回 (一九四五年一二月二一日)
軍部内の対米開戦強硬派
企画院
対米開戦決定の経緯と九月六日の御前会議
東条内閣の成立と開戦の決定
対米開戦当初の作戦計画の決定
真珠湾奇襲計画
民間の戦争推進勢力
東条内閣内の対米強硬派
開戦の詔書
木戸の日記・資料の提供
第2回(一九四六年一月一五日)
木戸の経歴
ロンドン軍縮会議
一九三〇年以前の軍部の政治的影響力
木戸の内大臣秘書官長就任
軍部内の木戸の友人
内大臣の職務
天皇神格化運動と陸軍
天皇神格化運動に対する天皇の態度
内大臣・内大臣秘書官長・元老・侍従長の役割
日本の政治機構をめぐって
閣僚の天皇への上奏
ロンドン軍縮条約問題と内大臣
浜口首相狙撃とその後の政局
軍部の政治進出
木戸の友人関係
第3回 (一九四六年一月一六日)
陸軍予算と第二次若槻内閣
軍部大臣現役武官制
帷幄上奏権
三月事件
陸軍の満州侵略構想
三月事件と清水行之助・徳川義親
井上三郎
桜会
三月事件に対する天皇の態度
満州事変の原因
第4回 (一九四六年一月二一日)
木戸と谷アジア局長との会見
三月事件に対する天皇の態度
満州事変勃発に対する天皇・宮中グループの反応
満州事変拡大の陸軍内指導者
満州事変に対する南陸相・参謀本部の態度
朝鮮軍の越境と金谷参謀長の上奏
木戸の満州事変に対する認識
事変不拡大方針をめぐる政府と軍部の対立
大川周明
若槻内閣倒閣の危機と元老の上京
満州事変の日本軍謀略説をめぐって
天皇・宮中グループの満州事変と九ヵ国条約に関する認識
満州支配を主張した勢力
「満州国」と九ヵ国条約の関係
統帥権
右翼の活動と警察機構
陸軍の独裁政権樹立構想
第5回 (一九四六年一月二三日)
土肥原賢二
満州事変当時の言論統制
大川周明
一木喜徳郎の陸軍・満州事変に対する態度
後藤文夫
政党と軍部
鈴木貞一
大谷光瑞と大川周明
満州事変に対する外務省の態度と陸軍
清浦奎吾の内大臣訪問
林桂
陸軍の「満州国」独立構想
十月事件の首謀者とクーデター計画の内容
政府・軍部の国際連盟に対する態度
陸軍内の満州侵略推進勢力
若槻首相の満州事変への対応
天皇の満州事変に対する態度
第6回 (一九四六年一月二四日)
田中メモランダム
田中・浜口・若槻首相の対中国態度
若槻内閣と陸軍
溥儀の天津脱出と「満州国」独立問題
十一会
陸軍の「北進大陸策」
国際連盟脱退の可能性
協力内閣運動
皇室・天皇側近に対する流言
陸軍の組閣妨害
参謀総長・陸軍大臣の任命手続き
満州・中国に対する閑院宮参謀総長の態度
桜田門事件
「満州国」独立問題
国際連盟と満州事変
天皇の情勢認識・政治的権限
南陸相の進講と日本軍の北進構想
第7回 (一九四六年一月二八日)
南陸相の進講と満州支配構想
満州事変の動機
満州事変と国際条約
軍部政権樹立の陰謀
荒木貞夫
上海事変
高橋蔵相の上海事変に対する懸念
近衛文麿
小磯国昭
山東出兵
上海事変
「八紘一宇」と日本の東アジア支配構想
黒竜会
第8回 (一九四六年一月二九日)
上海事変をめぐる政府・軍部の対応
日本の中国における領土獲得構想
「八紘一宇」と「大東亜共栄圏」構想
軍部の政治的影響力拡大とその推進者
宇垣一成の朝鮮総督辞任
松岡洋右
阪西利八郎
天皇の満州事変認識
井上準之助
軍部と大川周明・徳川義親・社会民衆党
「満州国」と九ヵ国条約
上海事変についての真崎参謀次長の報告と天皇の反応
犬養首相の「満州国」不承認方針
革命の危機感
荒木貞夫と田中国重・平沼騏一郎の関係
小畑敏四郎
第9回 (一九四六年一月三一日)
小畑敏四郎
軍部内の三潮流
陸軍内の満州侵略推進勢力
西園寺の元老拝辞問題
永田鉄山
谷アジア局長の情勢認識
満州事変不拡大方針をめぐる政府と軍部の対立
満州事変における参謀本部・参謀総長の責任
満州事変時の天皇の対応
対外方針決定における陸軍の位置
満鉄の機構・運営
内閣と参謀総長・陸相の関係
終戦時と満州事変時の天皇の政治的行動
満鉄総裁更迭問題と陸軍
陸軍と農村問題
鈴木貞一の極東情勢判断
第10回 (一九四六年二月五日)
荒木陸相の演説と陸軍予算
松岡洋右の進講
国際連盟脱退問題
重臣会議
谷正之の国際連盟総会に対する見通し
田中都吉の満州事変観
五・一五事件
軍部の満州侵略の計画者
日本の右翼・左翼・保守派
木戸幸一以外の情報提供者の存在
五・一五事件の詔書渙発問題
五・一五事件後の処罰
永田鉄山
陸軍の組閣妨害
軍部内の反荒木・真崎勢力
斎藤実の首相就任
真崎甚三郎の進講
第11回 (一九四六年二月六日)
犬養首相暗殺
軍事参議院
大本営の機能
御前会議の開催手続き
御前会議の出席者
御前会議開催の目的
御前会議での決定方式
大本営政府連絡会議
御前会議と宣戦布告・降伏の決定
後継首班奏請手続き
御前会議の予備会議
平沼騏一郎の満州・中国情勢認識
一九三三年当時の対ソ戦・対米戦構想
海軍内の派閥
第12回 (一九四六年二月七日)
軍部の指導者
熱河作戦と天皇の態度
原田熊雄と牧野伸顕
国際連盟脱退の経緯
軍部の中国侵略構想
満州事変における政府と天皇の責任
日本軍の関内侵攻と天皇
軍部内の中国分割構想
林銑十郎
国際連盟脱退の詔書
御前会議開催の手順
鈴木貞一と荒木貞夫・真崎甚三郎
陸軍の計画に対する天皇の態度
軍部の政治関与についての陸軍内訓
永田鉄山
神兵隊事件
阪谷希一の「満州国」情勢報告
第13回 (一九四六年二月八日)
ロンドン海軍軍縮条約
宣戦布告
犬養内閣における満州事変の拡大
「聖徳」について
軍令部権限拡張問題
ロンドン軍縮の海軍人事への影響
荒木陸相の五・一五事件被告に対する恩赦希望問題
軍令部条例改正・恩赦問題等に対する西園寺の考え
第14回 (一九四六年二月一三日)
神兵隊事件
牧野内大臣辞任問題
五相会議
田中光顕の内大臣廃止論
川越事件
満州事変と国際法学者
荒木陸相の辞任
石原莞爾と橋本欣五郎
林陸相辞任問題と荒木陸相復活の動き
海軍軍縮問題
小野寺長治郎の陸軍に関する情報
斎藤内閣総辞職と重臣会議の開催
第15回 (一九四六年二月一四日)
斎藤内閣の崩壊と岡田内閣の成立
ロンドン軍縮会議をめぐる動向
皇族の統帥部長就任
一九三四年の日本の対中国政策
海軍内の侵略主義的勢力
「大アジア主義」
松井石根と大亜細亜協会
日本の満州支配
木戸の戦争責任についての真崎の発言
ワシントン条約をめぐる陸海軍の態度
北鉄買収と満州支配
海軍の軍備増強・パリティー要求
佐々井一晁らの上奏請願運動
板垣征四郎・花谷正・影佐禎昭
溥儀の来日
「爆弾動議」と五〇万元事件
天皇機関説
第16回 (一九四六年二月一五日)
天皇機関説
土肥原賢二
十一月事件
橋本徹馬の天皇機関説問題に対する行動
天皇への直接請願
阪谷希一の満州情勢についての報告
北支事件に際しての日本側の要求
「満州国」と九ヵ国条約
北支事件
天皇の軍部に対する態度
第17回 (一九四六年二月一八日)
北支事件処理についての天皇の発言
天皇機関説事件
北支事件
軍部のファシスト政権構想
満州の経済事情
牧野内大臣の政治的立場
国体明徴声明
皇道派と統制派
林陸相の辞任
天皇の軍部に対する注意
第二次国体明徴声明
牧野内大臣の辞任問題
天皇機関説排除の影響
議会の解散手続き
陸軍の軍備増強要求
アジアから英米の駆逐を主張した勢力
一九三六年当初の日本の対中国政策
第18回 (一九四六年二月二〇日)
真崎教育総監の更迭
二・二六事件の原因
二・二六事件に対する陸軍上層部の対応
真崎教育総監罷免と二・二六事件の関係
皇道派と統制派
真崎内閣構想
陸軍指導者の二・二六事件への対応
軍部の政権掌握後の対外政策構想
二・二六事件に対する軍事参議院・海軍の対応
二・二六事件の収拾と天皇の態度
第19回 (一九四六年二月二三日)
一九四一年一月ごろの一般的政治情勢
南方問題の深刻化
陸軍の政府権能掌握
陸海軍の関係の緊密化
陸軍グループの真の指導者-佐藤賢了・東条英機
海軍の指導者-石川信吾
対外政策の決定を左右していた指導者-松岡洋右・東条英機・佐藤賢了・近衛文麿
一九四一年当時の中国の戦況
タイ・仏印紛争
武藤章
中国との戦争に対する松岡の態度や考え方
日米関係が緊張した原因-日蘭関係における対日石油供給問題
仏印やタイに対する方針
大本営政府連絡会議
松岡訪独の理由
第20回 (一九四六年二月二五日)
松岡訪独の理由
松岡にとっての南方問題
松岡訪独に関する木戸と天皇の話
松岡と他の閣僚たちとの相違
対米交渉と日本の動き
ケロッグ・ブリアン協定と九ヵ国条約に対する天皇の考え
豊田貞次郎は松岡訪独に反対
石原莞爾の退役
仏印紛争の調停に関する松岡の言動
大政翼賛会の改組
岸信介
松岡の仏印基地獲得案
東亜連盟
伏見宮辞任と永野修身
ロシアとの条約締結
野村からの電報
「大東亜共栄圏」の目的
天皇の態度
中国からの撤兵問題と仏印進駐
第21回 (一九四六年二月二六日)
六月一七日の大本営政府連絡会議
ヴィシー政府との交渉
近衛と松岡との食い違い
独ソ開戦における近衛内閣の責任
大本営の統合
独ソ開戦への天皇の態度
汪精衛と近衛の会談
派兵に関する天皇の同意
国務大臣について
松岡の対ソ攻撃案を問うための連絡会議
六月二八日の東条との話し合い
奏上の際の内大臣の役割り
天皇と真珠湾攻撃計画
第22回 (一九四六年二月二七日)
近衛と松岡の関係
及川海相と天皇の話合い
近衛と木戸の独ソ戦への方策
松岡の米国非難と日米交渉への不満
七月二日の御前会議
第23回 (一九四六年三月一日)
ハルのオーラル・ステートメント
関東軍の戦力増強
海軍の戦争準備
ハワイ攻撃の情報
ハル親書への天皇と近衛の態度
近衛と松岡の不和
松岡の米国に対する態度
陸海両軍務局長の回答
近衛内閣の総辞職
松岡の日米交渉妨害
三国同盟に対する近衛と松岡の意見の相違
東条陸相の態度
豊田外相の態度
極東に日本の指導権を押しつける運動を推進した人物たち
東条の拡張主義と日米交渉
第24回 (一九四六年三月四日)
天皇の仏印進駐への感想
七月二日の御前会議の決定事項
政府内部のさまざまなグループの論争点
御前会議出席者と仏印派兵
防空と対米英戦準備
永野軍令部総長と海軍の外交態度
天皇への報告書およびその他の書類の保管先
永野の奏上に関する木戸と及川海相の話合い
天皇の困惑
海軍部内の強硬分子の台頭
第25回 (一九四六年三月五日)
八月六日の近衛と木戸の懇談
政策決定への木戸の影響力と態度
南進に対する近衛の態度
南進のための基地獲得に賛成していた分子たち
近藤軍令部次長の対米戦の勝算に関する天皇への報告
八月七日の近衛と木戸の懇談
武力行使を主張するグループ
第26回 (一九四六年三月六日)
木戸の武力南進論
天皇の「重大なる決意」
九月六日の御前会議の召集
御前会議と天皇
米ソに関する情報についての木戸と東条の懇談
御前会議についての近衛と木戸の懇談
平沼騏一郎の遭難
日米交渉の問題に関する豊田外相の参内
前田海軍大佐の蘭印情報
木戸と永野の対米関係についての話合い
鈴木貞一の物資総動員計画
佐藤賢了、原嘉道、橋本欣五郎らの武力行使への態度
東亜新秩序と大東亜共栄圏の起源と発展
大東亜省の設立
大東亜会議の目的
東条首相の推進
第27回 (一九四六年三月八日)
米国からの回答と近衛の態度
木戸と豊田外相との対米交渉についての話
九月六日の御前会議の前日
九月六日朝の天皇と木戸の話
御前会議休憩中の天皇と木戸の話
鈴木貞一の態度
御前会議に関する一般的質問
最高会議設置の提案
東条の戦争準備
豊田の対米交渉に関する報告
高松宮と秩父宮の記事
近衛暗殺計画
蓮沼武官長の話
近衛の辞意
米国のゴムと錫の産出地に関する天皇の関心
軍の情報宣伝と言論統制
第28回 (一九四六年三月一一日)
近衛手記を読んでまとめた木戸の文書
近衛手記
七月二日の御前会議における対米英戦の決定
近衛手記の記載を確認できる人物は松岡と富田
東条の近衛に対する不満
中国からの撤兵についての天皇と近衛の態度
小林常八の蘭印情報
富田内閣書記官長の立場
天皇の近衛に対する不満
重臣による会議の設置案
米国への回答についての高松宮の話
対米戦回避のための木戸の提案
天皇の伏見宮に対する心配
荻窪会談と木戸
第29回 (一九四六年三月一四日)
荻窪会談での決定
宣戦に関する天皇の考え
陸軍の態度硬化についての豊田の報告
及川と東条の意見の違い
永野は開戦案に賛成
東条の木戸への話
皇族内閣への木戸の反対理由
第30回(一九四六年三月一六日)
一一月五日の御前会議とその前後の状況
一九四一年一〇月半ばの一般情勢についての再確認
木戸の東条首相指名
ルーズヴェルト大統領の天皇あての親電