資料日本占領 1
第1部 戦中(一九四二年末~一九四五年九月)
米国国務省における検討
〔ホーンベック国務省顧問の極東課あて覚書〕一九四二年一一月一九日
〔デイヴィス戦時情報局長の記者会見における発言〕一九四二年一二月九日
〔ビショップ極東課員の覚書〕一九四二年一二月一四日
〔アチソン極東課員の覚書〕一九四二年一二月二八日
(A・ヒス)極東課作成の基礎的覚書についての試見一九四二年一二月三〇日
(コーヴィル)戦後における日本国天皇の地位一九四二年一二月一四日
(コーヴィル)日本国天皇の地位一九四三年三月四日
T三一五日本国天皇の地位一九四三年五月二五日
〔米国駐在英国公使ジョージ・B・サンソム卿との会談覚書〕一九四三年七月二八日
T〔領土小委員会〕議事録一九四三年七月三〇日-一二月二二日
H一一四シリーズ日本-戦後の政治問題-天皇制一九四三年一二月三〇日-一九四四年二月二三日
CAC九三・PWC一一六シリーズ日本-政治問題-天皇制一九四四年三月三日-五月九日
CAC二一七シリーズ日本-天皇制に対する宣伝上の取り扱いに関する政策一九四四年六月三日-六月二七日
戦略局調査分析部R&A二三九五東京の皇居を爆撃すべきか?一九四四年七月二八日
PWC二九三c日本-軍政-人質の連行一九四四年一一月二〇日
PWC二八五・CAC二四三日本-軍政-日本からの天皇排除一九四四年七月二〇日
CAC二五一予備日本-軍政-軍政府による裕仁の廃位一九四四年七月一二日
CAC二六五予備a日本-裕仁の退位一九四四年八月二日
PWC二八六a日本-軍政-天皇の退位・その後継者一九四四年一一月一四日
PWC一四五天皇制(一九四四年四月二六日の戦後計画委員会におけるバランタイン氏報告)
PWC一四六天皇制(一九四四年四月二六日の戦後計画委員会におけるグルー氏報告)
PWC一四七(ジュリアス・W・プラット作成)日本国天皇の処遇(外交関係評議会用資料)一九四四年四月四
〔国務長官あてのホーンベックの覚書〕一九四四年四月二五日
〔国務長官あてのホーンベックの覚書〕一九四四年四月二九日
『ブレッキンリッジ・ロング大戦日記』抄一九四四年四月下旬
部局間極東地域委員会作業報告および同議事録一九四三年一〇月一日-一九四四年一一月二八日
国務省戦後計画委員会会議議事録一九四四年四月一四日-一一月一七日
第六七回国務省政策委員会会議議事録一九四四年七月三日
第四〇回国務省幹部会会議議事録一九四五年三月八日
(コーリン・マクドナルド)日本問題諮問委員会〔における「皇居・離宮・神宮の爆撃および天皇の処遇」に関
天皇制をめぐる米国内外の論調
日本国天皇に関する三論文『アメラシア』六巻九号、一九四二年一〇月二五日
(ウィリス・チャーチ・ラモット)戦後の日本はどうなるか『アジア』一九四二年一〇月
〔重慶駐在米国大使ガウスから国務長官へ-孫科「ミカドは去るべし」を送付〕一九四三年一〇月二三日
(B・A・リュー)ミカドは去るべし『現代中国』三巻一二号、一九四三年一一月一日
〔カイロにおける〕ローズヴェルト=蒋介石晩餐会談一九四三年一一月二三日
(ヘレン・ミアーズ)日本国天皇『イェール・レヴュー』三三巻二〇号、一九四三年一二月
(ジョセフ・C・グルー)極東における戦時および戦後の問題〔シカゴ演説〕一九四三年一二月二九日
蒋介石主席の全国軍人・国民への声明『中央日報』一九四四年一月一日
『ニューヨーク・タイムズ』社説対日政策一九四四年一月二日
『サンフランシスコ・クロニクル』社説天皇崇拝一九四四年一月三日
〔英国外務省極東部長アシュリー・クラークの談話の覚書〕一九四四年一月二一日
日本国天皇に対する国務省の新たなアプローチ『アメラシア』八巻五号、一九四四年三月三日
(エドワード・ハンター)われわれは裕仁を利用できるか『ネイション』一九四四年三月四日
(T・A・ビッソン)日本にとっての平和の代価『パシフィック・アフェアーズ』一七巻一号、一九四四年三月
重慶『大公報』社評「日本人民解放連盟綱領草案」を論評する一九四四年三月二三日
森健〔野坂参三〕日本人民解放連盟綱領草案に関する重慶『大公報』の評論について『解放日報』一九四四年四
英国外務省調査部〔米国における「日本の将来」に関する論調〕一九四四年五月一五日
日本の将来-一カナダ人の見解『パシフィック・アフェアーズ』一七巻二号、一九四四年六月
〔重慶駐在米国大使ガウスから国務長官へ-「ミカドは去るべし」(『ナショナル・ヘラルド』)を送付〕一九
戦略局調査分析部R&A二二六一〇日本国天皇と大戦一九四四年九月八日
(ハリー・エマーソン・ワイルズ)秩父に気を許すな-日本国民にとって彼は、寛大な和平を達するための頼み
延安報告第一九号(ジョン・K・エマーソン)日本国天皇に対する連合国の政策-中国延安の日本共産党代表岡
〔上院外交委員会聴聞会におけるジョセフ・C・グルーの陳述〕一九四四年一二月一二日
中国太平洋問題調査会第六論文(S・R・チョウ)新世界秩序のなかの極東問題一九四四年
チャタム・ハウス研究グループ報告敗戦国日本一九四五年
(ウィリアム・C・ジョンストン)日本の将来一九四五年一月
〔太平洋問題調査会ホットスプリングス会議の討議に関する米国国務省文書〕一九四五年一月二五日
〔元日本駐在記者アンドリュー・N・プーリーから国務省員A・L・モファットあて書簡〕一九四五年四月九日
(ジョン・K・エマーソン覚書)〔日本の戦後問題に関する大山郁夫とのインタビュー〕一九四五年四月一四日
〔スターリン=ホプキンズ会談〕一九四五年五月二八日
〔国務省資料-将来における日本国天皇の役割についての米国の世論・論調(一九四五年四月-七月)〕一九四
戦時情報局地域3総合情報課KQ六九九-三日本の将来の地位に関する中国の意見一九四五年八月七日
ニュージーランド駐在米国公使パットンから国務長官あて〔天皇制に対するニュージーランド政府の態度〕一九
オーストラリア公使館から国務省あて〔「日本の将来」に関するオーストラリア政府の見解〕一九四五年八月〔
〔中国国防最高委員会の参考資料〕-日本問題処理に関する意見書一九四五年八月
降伏条項と天皇制
PWC二八四a日本-降伏条項-基本原則一九四四年一一月一三日
SWNCC二一日本国の無条件降伏一九四五年二月七日
(米国陸軍中将ロバート・C・リチャードソン・Jr起草)日本国天皇あて親書案文一九四五年五月一六日
SM一八四一統合参謀本部の〔国務・陸軍・海軍三省調整委員会あて〕覚書一九四五年五月二二日
〔ジョセフ・C・グルー国務長官代理の大統領との会談覚書〕一九四五年五月二八日
〔ジョセフ・C・グルー国務長官代理の覚書〕一九四五年五月二九日
国務省〔対日〕声明案文一九四五年五月〔三一日〕
SWNCC一五〇極東における政治・軍事問題-敗北後における米国の初期の対日方針一九四五年六月一一日
SC一三八a敗北後における米国の初期の対日方針の要点一九四五年六月二七日
合衆国・連合王国・[ソヴェト社会主義共和国連邦]・中華民国首脳の共同宣言〔案〕一九四五年七月二日
〔ポツダム首脳会談用〕説明資料「日本の軍政および占領-天皇に対する態度」一九四五年七月三日
第一三三回国務省幹部会議事録一九四五年七月七日
国務長官代理から〔バーンズ〕国務長官あて一九四五年七月一六日
〔統合参謀本部から大統領あて〕覚書一九四五年七月一八日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会統合民事委員会委員長あて覚書一九四五年七月二〇日
〔ポツダム〕宣言一九四五年七月二六日
重慶『大公報』社説三国の対日共同宣言一九四五年七月二八日
SWNCC二一/三無条件降伏の法的意味一九四五年八月一〇日
「ポツダム」宣言受諾ニ関スル八月十日附日本国政府申入一九四五年八月一〇日
英国駐在大使(ワイナント)から国務長官あて一九四五年八月一一日
合衆国・連合王国・ソヴェト社会主義共和国連邦および中華民国の各国政府の名における八月一一日付日本国政
SWNCC一五〇/一極東における政治・軍事問題-敗北後における米国の初期の対日方針一九四五年八月一一
SWNCC二一/四無条件降伏の法的意味一九四五年八月一一日
第二〇回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年八月一一日
SWNCC二一/五日本国の無条件降伏一九四五年八月一一日
第二一回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年八月一二日
SWNCC一五〇/二敗北後における米国の初期の対日方針一九四五年八月一二日
トルーマン大統領からダグラス・マッカーサー元帥あて一九四五年八月一三日
米英蘇華四国ニ対スル八月十四日附日本国政府通告一九四五年八月一四日
〔戦争終結ニ関スル〕詔書一九四五年八月一四日
第三五回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年八月二一日
SWNCC一五〇/三極東における政治・軍事問題-敗北後における米国の初期の対日方針一九四五年八月二二
SFE一〇七敗北後における米国の初期の対日方針一九四五年八月二三日
第三六回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年八月二四日
SWNCC一五〇/三(修正版)極東における政治・軍事問題-敗北後における米国の初期の対日方針一九四五
第二二回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年八月三一日
詔書一九四五年九月二日
降伏文書一九四五年九月二日
第2部戦後(一九四五年九月~一九四八年一一月)
天皇の戦犯問題-SWNCC五五シリーズ
SWNCC五五極東における政治・軍事問題-日本国天皇の処遇一九四五年三月一三日
第一四回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年三月一六日
重慶『大公報』記事昭和〔天皇〕は戦争犯罪人である一九四五年七月一八日
中国駐在大使(ハーレー)から国務長官あて一九四五年七月二八日
国務次官(グルー)から国務長官あて一九四五年八月七日
国務長官から中国駐在大使(ハーレー)あて一九四五年八月八日
英国駐在大使(ワイナント)から国務長官あて一九四五年八月一五日
英国駐在大使(ワイナント)から国務長官あて一九四五年八月一五日
〔デニソン〕覚書一九四五年九月一四日
『解放日報』社論戦争犯罪人を厳罰せよ一九四五年九月一四日
第四一回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年九月一八日
〔米国上院本会議におけるラッセル上院議員の発言と動議〕一九四五年九月一八日
SWNCC五五/一/D国務・陸軍・海軍三省調整委員会・指令一九四五年九月二五日
第四三回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年九月二五日
SFE一二六日本国天皇の処遇一九四五年九月二六日
〔ヒュー・ボートンの国務長官代理あて覚書〕一九四五年九月二六日
第四四回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年九月二八日
SFE一二六/一日本国天皇の処遇一九四五年一〇月一日
SFE一二六/二日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一日
第四五回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年一〇月三日
SWNCC五五/二極東における政治・軍事問題-日本国天皇の処遇一九四五年一〇月四日
SWNCC五五/三日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月六日
JCS一五四四日本国天皇の身柄の処遇一九四五年一〇月七日
SWNCC五五/四日本国天皇の処遇一九四五年一〇月八日
SFE一二六/三日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月八日
駐日政治顧問代理(アチソン)の〔最高司令官および参謀長あて〕覚書一九四五年一〇月八日
SFE一二六/四日本国天皇制の取り扱い一九四五年一〇月一〇日
第二七回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年一〇月一一日
〔ヒュー・ボートンのヴィンセントあて覚書〕一九四五年一〇月一二日
ヴィンセント氏、ヘンドリック中佐、サビン大佐、デニソン大佐、ファーレー大尉あて〔マコーマック大佐の〕
SWNCC五五/五/D指令-日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一五日
SFE一二六/五日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一六日
第四七回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年一〇月一六日
SFE一二六/六日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一七日
SFE一二六/七日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一九日
SWNCC五五/六日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月一九日
〔覚書〕SWNCC五五/六日本国天皇裕仁の身柄の処遇〔日付なし〕
SWNCC五五/六(修正版)日本国天皇裕仁の身柄の処遇一九四五年一〇月二六日
第二八回国務・陸軍・海軍三省調整委員会議事録一九四五年一〇月二七日
JCS一五四四/二日本国天皇の身柄の処遇-統合戦略調査委員会報告一九四五年一一月一日
フィリピン弁護士会全国評議会議長アントニオ・アラネータのトルーマン大統領あて〔書簡〕一九四五年一一月
WARX第八五八一一号マッカーサーあて統合参謀本部極秘通達一九四五年一一月二九日
WX第九三八七一号〔統合参謀本部からマッカーサーあて〕一九四六年一月二二日
CA第五七二三五号ダグラス・マッカーサー元帥から米国陸軍参謀総長(アイゼンハワー)あて一九四六年一月
W第九六三四一号〔ワシントン(統合参謀本部)から太平洋方面陸軍最高司令官(マッカーサー)あて〕一九四
〔連合国戦争犯罪委員会議長〕ライトから対日理事会議長あて〔書簡-主要日本人戦犯第一次名簿同封〕一九四
第七回極東委員会議事録抜粋一九四六年四月三日
SWNCC五五/七日本国天皇裕仁の処遇一九四六年六月一二日
「天皇制の取り扱い」-SWNCC二〇九シリーズ
第四六回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年一〇月九日
SWNCC二〇九/D日本国天皇制の取り扱い・指示一九四五年一〇月一八日
第四八回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年一〇月二三日
第五二回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四五年一一月二〇日
PR三四予備天皇制の取り扱い一九四五年一二月一一日
第二四二回国務省部局間極東地域委員会議事録一九四五年一二月一八日
PR三四予備a天皇制の取り扱い一九四五年一二月一八日
第二五〇回国務省部局間極東地域委員会議事録一九四六年二月七日
SFE一四一日本国天皇制の取り扱い一九四六年二月二八日
〔ボートン覚書〕一九四六年三月四日
第六二回国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会議事録一九四六年三月五日
第六二回極東小委員会会議の活動に関する〔陸軍省〕民事部報告一九四六年三月五日
SFE一四一/一日本国天皇制の取り扱い一九四六年三月六日
SWNCC二〇九/一日本国天皇制の取り扱い一九四六年三月七日
JCS一五四四/三日本国天皇制の取り扱い一九四六年三月八日
JCS一五四四/四日本国天皇制の取り扱い-統合戦略調査委員会報告一九四六年三月一三日
SWNCC二〇九/二日本国天皇制の取り扱い一九四六年三月二一日
〔ペンフィールドあてボートン覚書-SWNCC二〇九/二について〕一九四六年三月二五日
占領政策と天皇制
ダグラス・マッカーサー元帥あて指令一九四五年九月六日
日本占領の問題に関する最近の米国世論一九四五年九月一二日
〔『ニューヨーク・タイムズ』記者フランク・クルックホーンの天皇との会見記事〕一九四五年九月二五日
〔第一回天皇・マッカーサー元帥会談記録〕一九四五年九月二七日
〔フェラーズ准将の〕最高司令官あて覚書一九四五年一〇月二日
〔ボンベイ駐在〕米国総領事ハワード・ドノヴァンから国務長官あて一九四五年一〇月九日
『ニューヨーク・タイムズ』社説天皇の地位一九四五年一〇月一二日
駐日政治顧問代理(アチソン)から国務長官あて一九四五年一〇月一三日
マッカーサー元帥・アチソン氏会談覚書-対米宣戦の時刻設定に関して東条が天皇を詐ったとする天皇の陳述一
〔日本人のマッカーサーあて手紙〕一九四五年秋-四六年初頭
駐日政治顧問代理(アチソン)からトルーマン大統領あて一九四五年一一月五日
〔「天皇の人間宣言」案〕一九四五年一二月
詔書一九四六年一月一日
『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』記事詔書米国内において大いに注目される一九四六年一月
駐日政治顧問代理(アチソン)からトルーマン大統領あて一九四六年一月四日
〔米国政治顧問ジョージ・アチソン・Jrの〕連合国最高司令官および参謀長あて覚書一九四六年一月七日
ワシントン駐在ニュージーランド公使(C・A・ベレンセン)から外務大臣あて一九四六年一月二九日
〔天皇のジョージ・サンソム卿あてメッセージ〕一九四六年一月二九日
米国太平洋陸軍総司令部民間諜報局民間検閲班〔日本人の私信の検閲資料〕一九四六年一月-二月
憲法改正の「必須要件」として最高司令官〔マッカーサー〕から示された三つの基本的事項一九四六年二月四日
〔駐日政治顧問部員マックス・W・ビショップから国務長官あて〕一九四六年二月四日
〔駐日政治顧問部員マックス・W・ビショップから国務長官あて〕一九四六年二月一一日
駐日政治顧問部員マックス・W・ビショップ氏から国務長官あて一九四六年二月一六日
『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』記事アンドルー・ヘッドランド軍曹天皇、日本の廃墟を視
『パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス』記事AP記者デュアン・ヘネシー裕仁「御苦労に感謝しま
〔ジョージ・G・サンソム卿が天皇謁見を断わった問題について-英国外務省〕一九四六年二月-三月
〔駐日政治顧問部員〕ジョン・K・エマーソンから国務長官あて一九四六年二月二五日
極東委員会議長(マッコイ)の国務長官あて覚書-〔極東諮問委員会の日本視察報告〕一九四六年三月四日
『プラウダ』記事ベ・ゴルバートフこのごろの日本一九四六年四月一一・一二日
〔ケネス・コールグローヴ教授からトルーマン大統領あて〕一九四六年七月二九日
〔第三回天皇・マッカーサー元帥会談記録〕一九四六年一〇月一六日
〔吉田茂外務大臣からダグラス・マッカーサー元帥あて〕一九四六年一二月二七日
『プラウダ』記事エム・マルコフ日本の国内政治情勢一九四七年三月一〇日
駐日政治顧問部W・J・シーボルドから国務長官あて一九四七年九月二二日
〔中国〕国民参政会対日講和条約についての提案一九四七年九月二三日
連合国総司令部民政局公式覚書「天皇の視察旅行に要した費用」一九四八年一月一二日
連合国総司令部民政局長あて覚書皇太子の千葉県視察旅行について一九四八年一月二六日
〔駐日政治顧問部W・J・シーボルドから国務長官あて〕一九四八年二月二六日
駐日政治顧問代理(シーボルド)から国務長官あて一九四八年三月四日
〔中国第一期国民大会第一四次大会〕提案審査委員会第三審査委員会審査報告第一号一九四八年四月二一日
〔W・J・シーボルドからH・メレル・ベニングホフあて(二通)〕一九四八年一〇月二六日・二九日
〔天皇のマッカーサーあてメッセージ〕一九四八年一一月一二日
付録有