学童疎開の記録 2
「学童疎開」を歴史に刻む(阪上順夫)
読者の方へ
歴史を創る主体としての体験者(志摩陽伍)
第1部 詩・短歌・俳句
8吊し柿9空襲10疎開の秋白い記憶(豊島・長崎第二校 吉原幸子)
かごめひとつ目小僧赤鉛筆(自由学園 高良留美子)
詩集『長野県別所村より』から(杉並・第五校 中田雅子)
詩集『学童疎開』から(横浜・間門校 大石規子)
詩集『戦争と子供』から(横浜・本牧校 植木肖太郎)
詩集『浅草新堀学校』から(浅草・新堀校引率教員 野口茂夫)
憶昔余滴……学童集団疎開……(蒲田・蒲田校 加島行彦)
山河清くとも(中野・桃園校引率教員 志水美紀子)
桃園富士(中野・桃園校 村瀬豊子)
うた日記(葛飾・金町校引率教員 森川正子)
歌集『学童疎開』から(江戸川・小松川第三校引率教員 横田歌)
昭和残照(歌人 しらいわみつ)
新春雑詠(本郷・京華校上之第一学寮(竜淵寺)学童)
その昔山室にて(中野・桃園校 岡本和子)
公平無私、一視同仁(神戸・六甲校引率教員 延原英三郎)
干柿のたね(荒川・八城校引率教員 松岡一枝)
第2部 体験記
東京
婦人会のお母さん-戦時下の日記より-(麹町・番町校 永田穣)
餓鬼の季節(神田・錦華校 内山鶉)
座談会・落合での戦災経験を語る(羽豆俶江・石黒虎吉ほか)
戦争でバラバラに(淀橋・戸山校 村井恵以子)
疎開時の記憶はないが思い出は次々と(小石川・小日向台校 西利夫)
にがいおはぎ-塩原・あの頃-(本郷・根津校 渡辺臣蔵)
生と死の狭間(浅草・山谷堀校 隅沢理江)
東山街道(下谷・根岸校 酒井鶴子)
焼け跡に帰って(浅草・富士校 梶塚昌弘)
秋刀魚の味父の味(浅草・精華校 金沢久夫)
民衆に太陽を!子どもに平和を!(浅草・精華校 嘉藤長二郎)
原点としての疎開と現在(浅草・金竜校 吉田貞夫)
もっともっと平和に(本所・第五吾嬬校 前野希代子)
小糸の里の青い空(本所・中和校 谷村公司)
疎開体験から生れた生活信条(本所・梅若校 堀部寿美)
もう一つの八月(深川・深川校 中島弘子)
集団疎開そして東京大空襲(城東・釜屋堀校 船渡和代)
風の盆と童謡と(荏原・戸越校 伊藤詩十九)
疎開先は売春施設も兼ねる旅館だった(目黒・上目黒校 汐崎淑子)
疎開体験が、山村へ誘う(目黒・下目黒校 須田幸子)
或る日の反乱(大森・大森第三校 松本和夫)
私の学童疎開時代(大森・馬込校 嘉門寿一)
私の八月十五日(大森・東調布第二校 工藤久仁子)
学童疎開回想-食生活のこと-(世田谷・砧校 飯島端治)
学童疎開をかえりみて(世田谷・砧校 綱島磨智子)
学童疎開の思い出(世田谷・砧校 長岡まさみ)
恵まれた(?)疎開生活(世田谷・砧校 牧野恵美子)
「出船の用意」を合言葉に(世田谷・砧校 浜砂和子)
集団疎開の日々(世田谷・三宿校 野村英子)
小さな軍隊生活の中で(世田谷・祖師谷校 山川節子・粂川和枝)
密告(渋谷・神宮前校 富岡道子)
疎開学童の自殺未遂事件(渋谷・神宮前校 福田直)
寮長先生の知らないこと(渋谷・常磐松校 石沢みち子)
学童疎開という名の戦争(中野・桃園第二校 ペギー葉山)
僕は呼ばれない-疎開児童の日記から-(中野 重松邦彦)
六十通の宝物(杉並・高井戸校 堀越富美枝)
脱走計画てん末記(杉並・第九校 網谷力)
母と私の手紙(杉並・第九校 花田桂子)
御下賜品の菓子(杉並・桃井第四校 綱川資成)
私の八月十五日(豊島・高田第四校 高橋登女恵)
疎開、そして避難(荒川・第一日暮里校 小林奎介)
黒い川面に光る月(荒川・第五峡田校 仙波昇)
正念場を迎えた疎開世代(葛飾・柴又校 小園優子)
語られない本音(江戸川・第二葛西校 吉野弘)
神奈川
飢えと恐怖と脱走の日々(横浜・子安校 奈良実)
集団疎開の頃(横浜・桜岡校 小林福三郎)
布団の中で一人食べたかきもち(川崎・前沼校 伊籐志津子)
愛知・大阪・兵庫
俺はかあちゃんといっしょに死にたい(名古屋 稲垣守彦)
白いからけし(大阪・吾妻校 立木喜代乃)
凍る夜の声(大阪・北野校 西尾一)
浅井君の葬儀(大阪・御幸森校 梅沢静子)
私の体験を小学生のあなたへ(神戸・上筒井校 匹田厚子)
あの日を境に(神戸・西須磨校 森川ヱミ)
玉音放送を聞いて(西宮・建石校 岩本晢)
島嶼
八丈島からの疎開(八丈島・八丈島校 石村珠子)
愛児の死をみながら(沖縄・天妃校引率教員 田名宗徳)
あわただしく沖縄から宮崎へ(沖縄・平良第二校引率教員 下地明増)
学童集団疎開引率の思い出の概略(沖縄・東風平校引率教員 新城一由)
教員
先生もかなしくて(東京・引率教員 宮川ひろ)
終戦の日を偲ぶ(昭和六十三年八月十五日の日誌から)(赤坂・氷川校引率教員 小沢五郎)
大胡先生に聞く・疎開学童の生活(小石川・日本女子大附属豊明校 村山寿子)
東京大空襲の焼け跡に帰ってきた学童集団疎開(浅草・富士校引率教員 伴安丈)
わたしの学童集団疎開始末記-元教師の回想-(浅草・新堀校引率教員 野口茂夫)
学童疎開の日々(品川・第三日野校 朝倉通彦)
わたしは忘れない(荒川・第二峡田校引率教員 五十嵐節子)
学童疎開の思い出(荒川・第四峡田校引率教員 菅野八重子)
私の学童疎開体験記(子供達の生活記録)(豊島・巣鴨第一校引率教員 伊藤明)
残留児童とともに(世田谷・砧校教員 宗村みね子)
残留組は何をしていたか(江戸川・小松川第三校教員 筆内幸子)
ある学童疎開の記録-米須清博君の霊に捧ぐ-(川崎・旭町校引率教員 大山正幸)
集団疎開(横須賀・山崎校引率教員 三留輝雄)
学童疎開と思斉国民学校「光明寮」の教育(大阪・和泉 海野晴男)
寒村での窮乏に耐えて(兵庫・今津校引率教員 木村隆子)
受入側の人びと
平和の大切さ(青森・石川校 今井則三)
疎開学童の思い出(秋田・住職 木村佑春)
受入側の教師として(長野・和田校 池田元子)
清里の藤倉学園墓(山梨・清里 山田博幸)
親・行政関係者
戦争の思い出から(豊島・学童疎開児の母親 堀敦子)
身辺雑記-戦時下の日記から(東京・社会福祉関係 いのはらとらお)
思い出の記-東京都教育局長時代-(東京都教育局長 生悦住求馬)
縁故・残留
死んでも家に帰りたい(赤坂・氷川校 間塚恭一)
残留組の終結(浅草・富士校 高梨英夫)
見知らぬ土地への縁故疎開(四ツ谷・四ツ谷校 高橋美和子)
みんなといっしょに疎開したかったのに(世田谷・砧校 内田登茂子)
「死ぬときは三人いっしょ」と残留縁故(江戸川・篠崎校 広瀬和江)
縁故疎開の思い出(蒲田・出雲校 坂本節子)
集団疎開、縁故疎開の体験(本所・梅若校 高井明子)
僕の記憶している十二、三歳のころ(東京 肥田和夫)
疎開ッ子(横浜・平安校 中村和子)
別れ・出会い(大阪・玉造校 楢崎寿太郎)
記録・アンケート
『ねづがっこうS19』と学童疎開(本郷・根津校 渡辺臣蔵)
学童疎開体験とその後の人生-(全国疎開学童連絡協議会のアンケート調査より一九九三年七月)-全国疎開学
第3部 いまの子どもたちと学童疎開
夏休みの自由研究おばあちゃんの田舎に子どもたちが疎開した-戦争の時にあった学童疎開-(川崎・梶ケ谷小学校四年一組 五十嵐智美)
池田市における学童集団疎開-大阪市東淀川区神津国民学校-(池田市立渋谷中学校社会科クラブ)
脚本 母さんカレーが食べた~い!!(岡崎柾男)
創作 里の子日記(荒川・八城校引率教員 松岡一枝)