続・現代史資料 5
1 日記
大正七年〔砲術学校長/一月六日、第五戦隊司令官〕
大正九年〔出仕(欧米出張)/八月十日、海軍大学校長〕
大正十年〔海軍大学校長/九月二十七日、ワシントン会議全権委員首席随員〕
大正十一年〔海軍大学校長、ワシントン会議全権委員首席随員/五月一日、軍令部次長〕
震災日誌〔軍令部次長/六月一日、第二艦隊司令長官〕
昭和四年〔軍事参議官/一月二十二日、軍令部長〕
昭和五年〔軍令部長/六月十一日、軍事参議官〕
昭和六年〔軍事参議官〕
昭和七年
昭和八年
昭和九年
昭和十年
昭和十一年
昭和十二年
昭和十三年
昭和十四年
2 文書
軍備制限問題対策ノ件(海軍大臣、昭和四年六月二十八日)
幣原と会見(昭和四年十月十一日)
意見(昭和四年十一月二日)
東郷元帥之御答え(加藤之所要兵力説明ニ付、昭和四年十一月十三日)
会議ニ臨む態度(海軍大臣筆、昭和四年月日不明)
覚(東郷元帥談、昭和五年三月十六日)
御批准賛否(昭和五年)
英米両国ニ於ケル倫敦条約履行ノ状況(関根軍令部参謀稿、昭和六年七月十日)
五・一五事件ト我海軍主脳部(滝本信夫、昭和八年九月二十日)
非常時献言(伊藤利三郎大佐、昭和八年十月十七日)
次期軍縮対策私見(石川信吾中佐、昭和八年十月二十一日)
新疆省独立事変の全貌(高木陸郎、昭和八年十月二十八日)
中国の実際問題(許世鐸、昭和八年十一月十八日)
ソ連視察報告(布施勝治、昭和九年一月)
軍縮対策私見(海軍大将・末次信正、昭和九年六月八日)
華府条約ノ廃棄通告ハ急ガヌ(東京日日新聞、昭和九年六月九日)
海軍大臣挨拶(付・加藤軍事参議官の答辞、昭和九年七月十六日)
岡田総理祝賀会演説草稿(昭和九年七月一日)
潜水艦廃棄回避ノ私案(南鉄太郎、昭和九年八月八日)
在外武官電報(昭和九年八月九日、十日)
聯合情報(昭和九年九月六日)
意見書(山下知彦大佐他、昭和九年九月七日)
「政観」主筆佐々木要人取調状況ニ関スル件(東京憲兵隊長・持永浅治、昭和九年九月二十日)
「ワシントン」条約廃止の通告は一日も緩ふす可からず(昭和九年)
独逸提携ニ関スル意見(山下知彦大佐・藁谷英彦少佐、昭和九年)
華府条約倫敦条約廃棄後ノ建艦計画(山下知彦大佐・藁谷英彦少佐、昭和九年)
一九三五年の意義(昭和九年)
華府条約廃棄通告を即時断行せよ(昭和九年)
海軍軍縮会議予備交渉代表に与ふる訓令(昭和九年)
天皇機関説排撃運動に露呈しつつある二大矛盾を指摘す(昭和十年四月二日)
序文草稿(昭和十年頃)
拓務省ニ関スル論議ニ就テノ愚見(年代不明)
対米作戦一般的考察(年代不明)
噫倫敦条約(年代不明)
元老西園寺(年代不明)
覚(年代不明)
3 書翰