歩兵第百七十聯隊
- サブタイトル
- 兵隊の綴る戦記
- 編著者名
- 納富 寿生 編者
- 出版者
- 経済ハイライト
- 出版年月
- 1985年(昭和60年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 295p
- ISBN
- NDC(分類)
- 396.5
- 請求記号
- 396.5/N97
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 折り込図1枚
- 昭和館デジタルアーカイブ
第1章 はじめに
第2章 歩兵第百七十聯隊編成
昭和十三年六月十六日動員下令
編成の概況
昭和十三年六月二十三日軍旗拝受
第3章 満州行
営地篠山を出発、大連に向かう
錦県集結、北大営駐留
張鼓峰事件に対応のため東満竜井村へ移動
竜井村出発、再び大連に向かう
第4章 広東攻略戦
第二十一軍の戦闘序列に入る
大連港出帆、白耶士湾に向かう
白耶士湾敵前上陸
太平場附近の戦闘
従化県城への追撃戦
広東入城
第5章 広州駐屯
第一回の広東市北郊警備隊
第四路軍軍医院駐留
流渓水右岸、鴉湖、蛙湖大同ウ附近の戦闘
第二代師団長浜本喜三郎中将着任
竜潭墟及び鰲頭墟附近に於ける僚軍第百三十七聯隊の救援戦闘
第百四師団戦没者慰霊祭挙行
第一回の広東市警備隊
中山大学駐留
花県平地及び白泥水河畔の戦闘
再び広東市北郊警備隊となり、西村軍医院に移駐
獅前市附近及び花県北方地区の戦闘
江門、新会、単水口、朱六合、鶴山、及び沙坪ウ附近の戦闘
三水地区警備隊となる
楊梅ウ附近の戦闘
海南島守備隊のこと
再び広東市に移駐
中山大学に於て警備勤務
夏季作戦に於ける花県及び鰲頭墟附近の戦闘
翁英作戦参加
鮮水坑高地附近の戦闘
北江渡河
英徳入城一番乗り
太平場地区警備隊
良口会戦
第七中隊(西面隊)の死闘
良口会戦の戦死者の聯隊慰霊祭
聯隊長の交替
虎頭嶺に於ける公用車襲撃事件
聯隊長古賀竜太郎大佐のこと
第6章 北部仏印進駐
ハイフォン上陸
ハイフォン市駐屯
仏印進駐事情
五月下旬から六月にかけての援蒋物資の搬出
このころの日本をめぐる国際情勢
独ソ開戦
兵隊の見た陸士出身将校の横顔
仏支国境偵察
大東亜戦争勃発
昭和十六年十二月八日米英蘭に対し宣戦布告
ベトナム独立運動
敵性外人の逮捕軟禁
最後の古年次兵、内地帰還
第百七十聯隊要員の補充交替の状況
第7章 東部ニューギニアに戦う
聯隊主力、ラバウルへ
ボストン丸轟沈
軍旗海没
ラバウル進入
昭和十七年末頃から翌十八年初めにかけての戦況
当時のニューギニアに於ける友軍(南海支隊)の状況
東部ニューギニア上陸作戦
第一次輸送
第二次輸送
第三大隊(岩崎部隊)の死闘
第十二中隊ナパポの戦闘
ゴナ部落の戦闘
キリキ部落の戦闘
第三次輸送
岩崎部隊(第三大隊)玉砕
第四次輸送
第十中隊の上陸戦闘
ギルワ戦線の死闘
ブナ支隊の結末―第百七十聯隊解体
第8章 ウェーク島進駐
第二大隊、ウェーク島へ
中島勇大尉の記録
ウェーク島占領一周年記念日 昭和十七年十二月二十三日夜の空襲
ウェーク島の陣地構築
南海第三守備隊の編成
昭和十八年九月第一回目の復員
昭和十八年十月六日、七日の両日に亘る米機動艦隊群との死闘
玉砕の決心
ウェーク島陸軍部隊編成の推移
昭和十九年五月二十四日の空襲
ウェーク島、飢える
第二回目の復員
終戦
戦犯容疑
復員内地帰還
第9章 戦いすんで
終戦
天皇陛下
兵隊の垣間見た敗因のかずかず
慰霊巡礼行
慰霊碑建立
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