小学生新聞に見る戦時下の子供たち 第3巻
昭和十六年七~十二月
芸能人が出ない夏の少国民大会
学籍簿と通信簿の内容が変わった
蚊帳の中から歌が生まれる
海の記念日の制定と日本漁業の躍進ぶり
日本の貿易収支とスフで我慢する生活
育ちにくい朝顔が少女の分身に
国家存亡の危機にソ連の少年団は
国民学校一年目 夏休みの生活記録
泳ぎのけいこも渡河教練もある夏
軍事政権下のタイの少年少女団
二時間の語らいに悲劇をかいま見る
日本軍の仏印進駐とおもちゃの増税
生きるために働いた子供のたくましさ
野球あり武道ありの第十二回神宮大会
文部省図書局と井上赳の二十三年
カズコさんの一等賞運動会
子供四人につき六十ワット一個
寂しくなった日曜日のまんがページ
子供たちが知った米・英との開戦
文部省苦心の一校集中化防止策
うちの中はしんとしていた
昭和十七年
戦勝にわく新年に報道写真のお年玉
興亜奉公日から大詔奉戴日へ
弁当のおかずの指導と現実の差
変わってきた子供たちの服装
内申書第一時代の受験生の立場
“神風”伝説の歴史小説化
勝利のうちにも子供への締めつけ
母の役割を味わう少年の主婦代行
戦勝にわき立つ紀元節・卒業式
勝利に熱狂し不安も感じて
日本大もて時代の共栄圏子供座談会
十七年現在の子供の体格・体力
戦中に戦争のない子供の情景を見る
宣戦のみことのりと文部官僚の解説文
東条首相夫人から国民学校生徒へ
「空だ男の行くところ」の呼びかけにこたえて
子供たちの米作りと新穀感謝祭の伝統
百十七万四千人中の〇・四パーセント
東京初空襲による小学生の犠牲者
アメリカの子供は日本の子供の敵か
昭和の五十年間に国語は変わった
キリンの名前は「みなみ」ちゃん
立ち往生しているドイツ軍を語る
昭南港に帰った少女と竜田丸の最期
期待はずれの単純な反米小説
「守る」ヨイコより「戦う」ヨイコに
戦時にも際立つ児童文化人たち
落日は迫り少年兵は花ざかり
教育界の殉職者を忘れないために
第十三回神宮大会と陸軍戸山学校の教育
“大東亜戦”を象徴する二つの標語
「必ず勝つ」から「負けられぬ」へ
昭和十八年一~六月
一段と難解になった首相の新年の言葉
南の子供たちの日本化急推進
バケツに火たたき 防空頭巾にモンペ
旗色が変わると鬼畜呼ばわり
学科試験なしの人格・体格重点入試
初めて現れた敗北の第一報
日比谷公園内麦刈りの季節
二千号を迎えた少国民新聞の歩み
切符の間違いで二度もお使いに
有意義といえない靖国の社頭対面
球場は消えても草野球は健在
七つの日の仲よしをいま懐かしんで
父のいる家庭はそれだけで最高
最初の玉砕はこう伝えられた
雨の嫌いな少年は窓の外を見ていた
軍神・山本元帥の虚像から実像まで
「牧場の朝」もある児童音楽競演会
口絵、年表、索引、参考図書あり