小学生新聞に見る戦時下の子供たち 第1巻
相模太郎時宗(東郷元帥)
リンカーン(楠木正成)
大昔の養蚕(西郷隆盛)
昭和十一年九~十二月
読みもの中心の四ベージ立てでスタート
じっと我慢の子が美談をつくる
オリンピック目前の六百万「大東京市」
学童グループ登校と交通安全指導
ひたすら我慢する人間だけが神になれるという訓話
高等科の男生徒はなぜ家事を実習したか
陸軍の現役将校による軍事教練
日曜日も返上の入試実力テスト
米は大切にされたが米をつくる人間は
ベルリン・オリンピックと在留邦人の子供たち
悦ちゃんを演じる悦ちゃんの登場
仮想敵国としてのソビエト紹介記事
野球情報が紙上に出なかった時代
子供たちにも人気(?)の次郎長親分の物語
大日本帝国の象徴国会議事堂の完成
少年時代の乃木さんから何を学ぶか
アメリカを進出させるなという呼びかけ
綴方や図画にみる東京の人と自然
子供にとって野口英世はどこが魅力的だったか
なぜ「防共」かについての小学生たちへの解説
ボーイ・スカウトの発展と国際的な交流
小学生や幼稚園児に栄養給食を
まだまだ盛んにメリー・クリスマス
日本全面戦争前年の年の暮れ
「日本小学生新聞」の誕生
昭和十二年
東日小学生新聞最初の文部大臣訓話
物価高の一因は軍事予算にも
新聞は宇垣大将の悲劇に同情的だった
『小型の大将』にみる母と子の日常
入試制度改革の失敗と小学生の受験戦争
修身に「国家」の章 国語に「御民われ」
日米児童間には民間外交があった
まぼろしに終わった東京オリンピック
自転車乗りたさに誘拐された女の子
陸軍大臣賞に輝いた一少女の入選綴方
関西の動物園カメラマン吉田平七郎
二十世紀を代表する子役・テンプルちゃん
現地の子供たちがえがいた平和な島々
遊園地へ新入学の一年生をご招待した一日
小・中学生野球のニュースから
東洋一を誇る名古屋市東山動物園の再出発
徳永寿美子の連載児童文学作品
二世の子供たちと“二つの祖国”
体格チェックの項目は増えたが
スーパー・アイドルの大横綱・双葉山
校内浴場の開設は学童の健康を増進させた
中流家庭を舞台とした童話の一作品
弱い子供たちのための夏季林間学校
ヤマトナデシコの課外武道特訓
新人首相三たび紙面に登場
日曜日を退屈させないお楽しみページ
プラネタリウムの三百六十度の映像
北村小松の海洋冒険小説「船底の秘密」の登場
芦溝橋事件についての七月九日付第一報
事変のニュースはまだ控えめだった
献金と慰問袋による小学生の“赤誠”
小学生によるレスリング公開試合
子供たち自身が表現したよき時代の生活
明と暗を分ける子供の事故二件
日曜日のカラー版がいよいよ登場
スポーツと赤十字が日本を孤立から救った
小学校卒業生の就職は“職場即学校”
都市対抗野球に満州からもチームが
大下宇陀児のSF作品「空魔鉄塔」連載開始
木と絹とゴムひもの模型飛行機づくり
初めて戦火を体験した中国居留地の小学生
ラジオの「子供の時間」と初期の学校放送
「少年よ、空に大志を」と陸海軍の呼びかけ
防毒マスクは戦争ごっこの小道具か
愛国心高揚に利用されたミッキー・マウス
恩師を失って戦争を感じ取ったクラス
早くも戦時色の秋の運動会風景
戦中「国体」は神宮の体育大会
リポーターとまんが家の東京小学校生活スケッチ
津波で生き埋めになった先生と教え子たち
海軍将校の制服より千歳あめが目当て
子供のための「愛国行進曲」とは
防共協定と三国青少年の交流
テレビ放送までもうひと息だったのに
「タンクロー」から脱した阪本牙城の連載まんが
時代の相違ありありの少国民の集い
手づくりの喜びを味わう模型づくりの指導
戦火の昭和十二年をまんがで回顧する
昭和十三年
飛行機に乗らない子供の飛行機の絵紙上展
直木賞作家が執筆した清正の虎退治
珠算の勉強も暗算・筆算と共に
旧伯爵家の御曹子と小説『苦心の学友』
戦火のあとの上海の日本人小学生
入学考査場へは「お弁当を忘れずに」
小年探偵四人組の持ち逃げ男追跡
グルー・アメリカ大使と人形・羽子板外交
義務教育は無償とは限らなかった
最初のSFヒット作 海野十三の「怪塔王」
街頭紙芝居と教育紙芝居
金鵄勲章と英霊と戦争遺児の立場
政府の金回収政策と時局綴方入選作品
子供専用イベント列車は十年代にも走った
材料を集めて作って並べる楽しみ
バラエティ豊かな日曜カラー版の魅力
たった一年でこんなに不自由に
高学年「修身」「国語」教科書の一部改定
小学生たちも水災害の犠牲者に
産めよ殖やせよのかけ声だけでは
武道は小学生からという運動と答申
防空演習は一種の“戦争ごっこ”か
天才少女バイオリニスト辻久子の最初の栄光
南洋一郎作品の集大成「潜水艦銀竜号」の魅力
西欧風騎士の幻想豊かな絵ばなし
代用品・節約・廃物利用で子供たちもさらに貧しく
日中戦争の“軍神”西住小次郎大尉
視覚障害児には居心地のいい学校
昭和十四年一月~七月
大陸の馬や犬は戦勝の生き証人(?)
コピー機のなかった時代の高等小学友情物語
二人の角界実力者がその後歩んだ道は
バッジで証明される若者たちの標準体力
蒙古連盟自治政府と大陸在住の少女たち
小学生も参加した後楽園のスキー大会
東京の“農村”をえがいた八歳の天才坊や
農村窮乏の極の時代に赤ちゃん同伴の小学生
養護学級で実施された虚弱児のための給食
スキーで富士登山を試みた鶴見宣信大尉
焼き芋専門店の大にぎわい
銃後カルタの「み」はおすすめ“日の丸”弁当
戦前最後となった日米交歓のニュース
府立一中の試験場に金ボタンが集まる
父や兄の戦死を体験 成長する子供たち
農作業をする子供はガリ勉組より優秀か
政財界の大物が組織した国際文化振興会
日中の子供が主役の“平和な南京”
少国民大会のあの顔・この顔
国産機「ニッポン」の世界一周大飛行
国語読本にもえがかれたジャガイモ掘り
“若獅子”少年戦車兵よ 西住戦車長に続け
炉ばたの草履作りは戦争のない時代から
ランニング姿ではだしの焼夷弾消火訓練
内地の小学生は満州をこう見ていた
口絵