市川紀元二中尉伝
題簽(陸軍大将・松井石根)
題字(陸軍大臣・陸軍中将・東条英機)
題字(文部大臣・医学博士・橋田邦彦)
題字(靖国神社宮司・陸軍大将・鈴木孝雄)
題字(陸軍大将・松井石根)
題字(陸軍中将・篠田治助)
題字(陸軍中将・安岡正臣)
序(工学博士・納富磐一)
前篇(出征前)
生立
学生時代
記念誌の記録
十四歳にて上京
一高入学
工科大学入学
大学卒業
学生時代の性行
技師時代
卒業後の経歴
近衛歩兵第三聯隊へ入営
結婚
入営中の事
技師時代の事
人物・逸話
趣味・健康
無欲質素
奇行
孝心
事業愛
鳳博士の評
骨相学
中尉と骨相学
著述及発表会
骨相学研究の目的
骨相学の内容
骨相学の応用
骨相学に対する熱意
後篇(出征後)
応召
日露戦役勃発
歩兵第十八聯隊に入隊
出征
暫く補充隊に属す
戦地に向ふ
日本海上の危難と逸話
遼東半島に上陸着隊
歩兵第十八隊本部に於ける勤務
首山堡戦鎚抜群の偉功
歩兵第六聯隊へ転隊
遼陽攻撃前の心境
遼陽へ進撃
遼陽南方高地攻撃開始
北大山夜襲の企図
松井中隊長を感動させたる逸話
鉄条網破壊隊として奮闘す
敵塁下に進入
敵塁下必死の待機
先登第一敵塁に突入す
少尉に続く十五勇士
戦後の栄誉
武功全軍布告の殊遇
郷里への書簡
沙河戦より奉天戦前まで
遼陽戦後の待機陣
沙河会戦
陣中の中尉
沙河の冬営
黒溝台の戦
最後の音信
松井中隊長転任市川中尉中隊長代理となる
奉天戦鎚于洪屯に散る
奉天攻撃のため行動を起す
李官堡に着く
三月七日于洪屯の激戦
此の日の中尉
中尉の最後
戦死後鎚葬儀銅像建立等
中尉戦死の通知
上官挙つて痛惜す
学友浦田氏の追悼文
叙勲
盛大なる葬儀
郷里中泉町に銅像建立
東京帝大構内にも銅像建立
市川中尉の歌
銅像荒廃時代
三十周年式にて天聴に達するの光栄
北大山頂に記念碑建設
遺族遺品のこと
結語
理想
人格
真の勇士
余語
年譜・附録・写真図版目次あり