木戸日記
諸言
無罪の申立
私の日記(一)
私の日記(二)
私の履歴(一)
私の履歴(二)
内大臣秘書官長初期
不祥事件頻発
三月事件
浜口内閣総辞職
若槻男を奏請
満華に於ける策動
三月事件の記録
自衛権発動問題
満洲事変と国内政情
柳条溝事件の勃発
若槻男の態度
事件の局地化策
陸軍の態度硬化
牧野伯に善処を要望
青年将校の陰謀
社稷会の構想
橋本、根本等を検束
立憲政府を擁護
北進大陸策の強行
閑院宮参謀総長御任官の件
満洲政権樹立工作
桜田門事件
陛下の日華親善御懸念
南大将の御前講演
上海事変の勃発
宇垣大将の進退
内大臣の責任
満洲建国と国際法
上海事件の拡大を御憂慮
西園寺公隠退を決意
溥儀氏執政に就任
終始満洲事変に反対
三月事件、十月事件の真相
近衛公起用の意図
西園寺公の考へ
五・一五事件と対策
五・一五事件の真相
後継内閣の主班問題
重臣会議の設置
重臣会議の意義
重臣会議と西公の意図
重臣会議手続の草案
内大臣の職務
国際聯盟脱退の手続
聯盟脱退詔書の内容
機会均等と親善主義を御強調
満洲事変の功賞
西公の君臣水魚論
華北当局に重大申入
内大臣の候補問題
青年将校の下剋上
内大臣の地位
二・二六事件
秩父宮、真崎大将に反対
内大臣に松平大使を推薦
真崎大将の罷免を主張
西公、近衛公を奏請
内大臣秘書官長を辞任
西公より励動の辞
日華事変及び日独関係
日華事変勃発と私
近衛公事変局地化に努力
文部大臣として入閣
二・二六事件の大赦不聴許
満洲重工業建設要綱
九ケ国条約と臨時閣議
文部行政の検討
閣内の不統一と近衛公の辞任
近衛公の翻意に努力
大本営条例の修正
教育審議会の設置
矢内原教授罷免問題
軍事教育問題
日華事変の終結に努力
駐華ドイツ大使の斡旋
和平条件の検討
陸軍の真意を打診
閣議で和平条件決定
譲歩の余地を残した提議
日華事変関係事項処理方針
中国の回答遅延
蒋介石を相手にせず
多田大将の地位
新興政権待望の政府声明
南京惨虐事件
大内教授等の罷免に反対
文教に関する批判
「日本精神」
「日本精神の昂揚」
一・一六声明是正の要
近衛首相の心境
内閣陣容刷新問題
広田外相勇退承諾
宇垣、池田、荒木入閣
板垣陸相の事変対策
近衛公と事変終結を協議
張鼓峰事件の勃発
張鼓峰事件の対策
ドイツの軍事同盟提議
対独接近に対する警戒
蒋介石政権不対手方針是正論
宇垣派の運動
新党結成の機運
国際聯盟諸機関との協力終止
近衛公辞意
当時の国内事情
対米英に対する影響を憂慮
汪兆銘重慶より脱出
近衛、平沼内閣更送
近衛公無任所相の就任
三国同盟と国内治安
平沼首相の関心
海軍は三国同盟に反対
国内治安維持の要
陸海対立の重大性
同盟の締結に反対
国内治安上より憂慮
ハルヒン・ゴール事件
日英会談開催の声明書
陸軍の非常措置方針
独蘇不侵略条約
平沼内閣の総辞職
内相在任中の責任
欧州戦争と日本の動向
阿部内閣の欧戦不介入宣言
後継首班推薦方式
西公逝去後の方式
米内内閣の成立
国民の再組織運動
新党党首の打診
近衛公再起の対策
近衛、有馬、木戸会談
近公新党結成運動に最初は反対
最高国防会議案
内大臣に推薦
内大臣就任を受諾
仏印問題と内大臣
日米間条約提案
倒閣運動と前田一派の検挙
官延派暗殺の陰謀
近衛公再出馬の機運
軍部と近衛公
内大臣と軍当局
米内内閣辞職の経緯
後継内閣詮衡の重臣会議
畑陸相、東条中将を奏請
松岡外相の外務人事
海軍の対戦準備欠如
仏印へ強硬進駐
対仏印最後通牒問題
スターマー大使来朝
日独同盟に反対
英米との対抗誘致を憂慮
軍事同盟の御裁可を奏請
日華事変解決の要を奏上
仏印に上陸の暴挙
西園寺公薨去
松岡外相の対重慶工作
日華事変解決絶望の兆
陛下のロシア関係御関心
軍部の南進政策推進
対仏印泰施策要綱
松岡外相の訪欧計画
閣僚任命と内大臣
日ソ中立条約と日米諒解案
南方植民地と国民的関心
内大臣の病気と連絡関係
松岡外相の帰京と連絡会議
独ソ開戦の予期
松岡の態度で近衛公辞意
近衛公を激励
ドイツ、ソ聯邦開戦
松岡の態度に御憂慮
ドイツの開戦は背信
近衛、汪精衛会談
関東軍の動静を警戒
北進論と南進論
近衛、松岡関係の極悪化
ハル長官の口頭声明
第三次近衛内閣と日米関係
第二次近衛内閣総辞職
重臣会議近衛公を選定
豊田大将外相に就任
永野軍令部長日米関係の可能性を奏上
三国同盟廃棄の場合
海軍側態度の対米硬化
近衛公の対米和平方針
日米戦争回避を献議
近衛公の優柔不断
親英米及軍国主義者を警護
九・六御前会議の前日
陛下の御下問
杉山元帥の食言を御叱責
御前会議と明治天皇御製
対米戦争準備の結末
日米和平交渉の情況
近衛公無責任の辞意
御前会議の強化案
日米関係の調整遅々
九・六御前会議決定の再検討を勧告
近衛公に積極的解決法を献策
軍部誘導の一手段
荻外荘の重要会議
荻外荘会議の無結論
開戦詔書の構想
東久迩宮内閣組織の要望
後継内閣につき協議
日本史上の重大危機
皇族内閣の不可を力説
東条陸相九・六決定の実行を主張
近衛公辞表提出
近衛公と善後策を協議
東条陸相反省の兆
東条内閣と戦争突入
東条を後継首相に奏薦協議
重臣会議
重臣会議日記
重臣会議要綱
一〇・一七会議と戦犯
東条を首相に奏薦
東条、及川両相への御言葉
宇垣大将不奏薦の事由
内大臣と東条政策
内大臣と最高政治
日米戦争回避の最後方策
東条奏薦と自己の立場
東条を大将に昇進の上奏
九・六御前会議決定の再検討に着手
対米交渉に全力傾倒
東条首相の努力
連絡会議の方向
和戦両様の準備
来棲大使の派米を決定
反戦論に警衛増強
事態最後の関頭に接近
両大使難局打開難を報告
ハル長官の強硬提案
重臣と政府会議
重臣所見を言上
午前午後共に無決定
首相御前会議を奏請
御前会議対米宣戦を決定
宣戦詔勅の用語
米国大統領の親書
真珠湾攻撃の放送
緒戦の成果と近衛公
近衛公に対する言論の取締
緒戦の成果に警戒
敵の戦意旺盛につき言上
皇后陛下の御心配
東条首相に御指示
シンガポール陥落
香港英人俘虜虐待問題
ジヤワ・バンドン降伏
重光大使の中国事情報告
東京空襲米国飛行士の軍法処理
戦局の悪化と平和促進論
ミツドウエー攻略戦大失敗
平和促進論台頭
東郷外相大東亜省設置に反対で辞職
米国飛行士の減刑を奏上
戦局不利に展開
戦局の前途を悲観
内閣の改造を断行
平和工作案を起草
サイパンの失職と国民の落胆
戦争収拾策を協議
重臣も憂慮
東条首相再び内閣改造を決意
内閣改造の困難
東条首相内閣総辞職を決行
重臣会議を開催
小磯大将参内
小磯、米内聯立の拝命
重光外相和平対策協議
日本の俘虜取扱
平和の可能性を討議
近衛、平沼、若槻、岡田の協議
敵リンガエン湾に進攻
比島、仏印の戦況と陛下
重臣の個別拝謁(一)
重臣の個別拝謁(二)
早期平和につき協議
重慶工作の試図
小磯首相辞意表明
小磯首相辞表捧呈
大本営内閣反対
重臣会議の顛末
鈴木内閣の戦局収拾
鈴木男大命を拝受
ドイツ無条件降伏
戦局絶望で苦慮
時局収拾対策を起草
時局対策試案を言上
米内海相同意を表明
鈴木首相も全的に同意
鈴木首相戦争終結の決意
阿南陸相の異見
阿南陸相も同意
軍部の本土決戦主張
最高戦争指導会議対策
最高戦争指導会議戦争終結の御諚
広田、ソ聯邦大使交渉、媾和条件研究
近衛公をソ聯邦に特派に決定
ポツダム会談で支障
ポツダム宣言の受諾決定
聖断の要旨
陛下終戦の詔勅放送を御決定
回答待機中の焦慮
聯合国の回答到着
皇族より協力を奉答
国内動乱を押して断行
阿南陸相、国体問題を提起
国体護持の手段
終戦手続の促進を奏請
御前会議で最後的決定
政府実行に着手
詔書案に允裁
終戦前後
近衛師団の不穏動向
叛乱の鎮圧に成功
叛乱部隊の目的
鈴木内閣総辞職
暴徒の来襲
東久迩宮殿下に大命降下
東久迩内閣成立
戦争終結と陛下
本土決戦回避の満足
結論
結論(一)
結論(二)
結論(三)