一水兵より海軍少佐になるまで
幼年時代
我が家の窮乏
窮乏中の勉学
過度の勉学竟に健康を害す
困窮中の述懐
父の尊き遺言
海軍兵志願の動機
明治二十八年初夏の頃海軍兵募集の噂を聞く
海軍志願の決意をしたが親戚は容易に之を認めぬ
御百度参りの結果志望成就せるも願書提出期限に遅る
志願兵六十三名中合格者僅か六名
横須賀鎮守府より採用の吉報
弥々入団の期迫り海軍への首途
予想と違つた軍服姿
膚に触るゝも冷さを覚ゆる麻地の事業服姿に意外の喇叭
入団後見るもの聞くもの皆顰蹙の種
入団直後の感想
鎮遠艦中の思出と感想
日露戦争談
開戦前の佐世保軍港
召集令下る
三笠艦橋に国交断絶の勅書通報の電話
聯合艦隊佐世保出港
出港後国交断絶の勅書奉読
聯合艦隊幹部並艦隊の編成
開戦前の感想
佐世保を出港してから
シングル水道の集合
円島附近より駆逐隊の進撃
二月九日旅順港外に於て敵艦及砲台砲撃
戦闘前の様々
戦闘中の感想
旅順口封鎖期間の思ひ出
旅順港口の閉塞
旅順口閉塞の壮挙に就いての思ひ出
戦艦ペトロパウロスク爆沈
例にない「予め成功を祝す」の信号と蚊竜丸
長官より御褒めの言葉
東郷元帥苦闘の黄海の激戦
三笠は水煙の為め沈没したかとの疑
三笠の後部十二吋砲一門吹飛ばさる
加藤砲術長の沈着冷静
死んだと思つたら重傷
下甲板に行つて見れば死傷者で以て山をなす
仮繃帯後再び配置に就こうとして軍医官の御叱り
天祐なる東郷大将
「重傷でなく軽傷にして下さい」と言つて叱られる
病院船西京丸に収容さる
佐世保海軍病院在院中の思出の数々
八月十日開戦前後の感想
全治退院後再び出征
平和克復後の帰省
母は出征中夜の明けない中の神詣で
召集令の琵琶歌に母を泣かす
重傷の電報を手に親兄弟が大混雑
出征軍人の手柄話
東郷の水兵と言はれ英国に遊ぶ
富士の霊峰に翼を拡げた銀の大鷲
准士官に進級して長剣吊した嬉しさ
老学生思賜の時計を賜はる
子供ある身に家庭教師を雇ふ
生死不明なりし実兄と二十年目に邂逅
幾歳になつても子を懐ふ親の心に変りはない
物質的に最大苦痛をなめたのは
初分隊長としての苦心
先づ鏡に向つて祈願の後当直に立つ
三十三年間に遺憾なる引入三週間
上官の苦心を知らぬ下級兵
慎む可きは失意の時
四十八歳の老大尉
御即位礼参列の無上の光栄に浴す
意外なりし海軍少佐の恩典
結語