アイゼンハワー回顧録 1
第1部
政界への序曲
立候補してはどうかとの最初の提案
コロンビア大学での年月
NATOとSHAPEの結成
ヘンリー・キャボット・ロッジの訪問
ふくれ上がる「アイゼンハワーのための市民」運動
マジソン・スクエア・ガーデンでの大会
政治的立場を表明
予備選挙と帰国
候補者
政府の長から学んだ教訓にもとづいて形作られた大統領職にたいする態度
大衆に根ざした政治運動
カンザス州アビリーンでの最初の政治演説、国内の危険にたいする見解
大会代表と会う
シカゴで、テキサス、ジョージア、ルイジアナ各州の大会での決定、綱領を作る、投票
指名を受けてタフトを訪問
ニクソンを選ぶ
指名受諾演説
選挙戦―汽車と飛行機と
家族と再会
デンバーでの作戦会議
アイダホ州ボイシで“中道”演説
全国遊説旅行、遊説列車での生活、自動車行列、南部の遊説
ニューヨークでタフトと会談
ニクソンの資金問題
朝鮮へ行くつもりのあることを発表
ボストンでさいごの演説
投票日の夜
変貌した世界・組閣・朝鮮訪問
第二次大戦後の情勢、西欧の再建、共産主義の拡張
中国の喪失
政権の交代、トルーマン大統領と会談、ホワイトハウス補佐官と閣僚の人選
戦闘状況を視察し、司令官や李大統領と協議するため韓国へひそかに出発
一連の会談、チャーチルと、ホテル・コモドアで新しい閣僚たちと
就任式
第2部
新しい任務、新しい顔触れ
ホワイトハウスでの最初の日々
チャールス・ウィルソン任命を最終的に承認
人事権と“利害の衝突”問題
大統領スタッフの能率的再編成、報道陣との関係、新しい予算
一般教書
物価統制との戦い
防衛体制の再検討
厚生教育省の新設
NATO、スエズ、イラン、インドシナをめぐる紛争
一九五一年の訪問にさいして行なわれたNATOにたいするソ連の宣伝攻勢失敗
ダレスとスタッセンを欧州各国へ大統領特使として派遣
スターリンと会ったこと
ソ連の新しい指導部
「平和のチャンス」演説
ミルトン・S・アイゼンハワー博士に中南米との関係を検討させる
スエズ基地をめぐる英国とナギブの交渉
イラニアン石油会社の接収
モサデグ政権転覆さる
ベトナム軍と軍事連絡をつける
朝鮮―流血の終り
朝鮮戦争の歴史を概観、国連、朝鮮の安定確保を決議、地上戦闘防衛の戦略、三十八度線での行動、中国共産軍
“殺人作戦”
米軍および韓国軍の拡充と核戦争の可能性検討
板門店の休戦交渉行き詰まり
“小さな交換”
李、朝鮮の人為的分割を力で破ることを主張
交渉再開、捕虜を交換
二万五千人の捕虜が“逃亡”
ウォルター・ロバートソン、李の協力を取り付ける、一方共産軍の攻撃続く
綱領―守るべき公約
克服すべき障害、きわどい差で共和党過半数、根強い反対、いろいろな見解
綱領をあくまで守る決意
フタト・ハートレー法を再検討
ダーキン長官辞任
郵政省の赤字
減税実施のタイミング
沖合いの石油採掘問題
国際通商協定
チャールス・ボーレンの任命反対を受ける
外交関係において行政府の権限を制限する動き
緊急移民立法
タフト上院議員との緊密な関係、タフト氏の死で断たれる
早い時期における若干の決定
ジェリアスとエセル・ローゼンバーグ事件
最高裁判所の判決
著者の決定にいたるまでの考え方
共産党機関紙や同情した市民からの非難、ペンシルベニア通りのデモ
ビンソン最高裁首席判事の死とウォーレン知事の任命
人選に当っての基準
軍隊とコロンビア特別区における人種差別の撤廃
共和党を若返らせる決意
記者会見について
バミューダ島でチャーチル、ラニエルとともに―平和のための原子力
パナマのレモン大統領の訪問
ファルコン・ダムで、大統領として最初の国外旅行
メキシコとの関係、カナダとの関係
バミューダ会談
フランス、欧州防衛共同体の承認をためらう
チャーチル、スエズ問題での英国の行動を弁護、未熟な自治に警告
十二月の会議を提案
チャーチルと旧交を暖める
国連で「平和のための原子力」演説
ホワイトハウスの生活―廊下の三輪車
最高の行政官兼国家元首としての大統領の役割り
ホワイトハウス執務室、客間、レセプション・ルームの説明
家庭の長として、家庭生活、職員のために休暇のパーティを開く、休暇先きのホワイトハウス
外交官の接見と夕食会
最高司令官付き武官
かけがえのない大統領護衛隊
一九五三年の終わり
第3部
政府と議会
ブリッカー修正案敗る
一九五四年の立法、セント・ローレンス水路への米国の参加最終的に承認
新らしい農業法
タフト・ハートレー法の修正議会で論議引き起こす
貿易を拡大する努力
大統領、同盟国との原子力情報交換、社会保障の適用拡大、スラム街の取りこわし、その他の立法を勧告
予算教書と税控除の引き上げ
議会首脳との会合と信念をめぐる戦い
不況を食い止める
国内治安の諸問題
新しい治安法規と合法的権利よう護の必要性
FBIと人事委員会の調査
J・ロバート・オッペンハイマー博士の安全証明拒否さる
ハリー・デクスター・ホワイト事件
常設調査分科委員会、マッカーシー上院議員の過激論
一九五二年のウィスコンシン州での選挙運動
“焚書”に反対する演説
陸軍にたいする攻撃
ペレス事件、ズウィッカー将軍とスチブンス長官非難さる、シャインに代わって行動したコーンの調査
マッカーシー非難動議
インドシナの混乱
インドシナの戦略的重要性
インドシナ内部の反乱の歴史と紅河デルタにたいする共産軍の攻撃
フランス、ベトナム独立のための戦闘宣言をしぶる
ホー・チミンの決起
軍隊の構成
ナバール計画
顧問団の長となったオダニエル将軍
ラオスへの侵入
ディエンビエンフーにたいする攻撃
ベルリン外相会談
ジュネーブ会議を計画する、ダレス長官とベデル・スミスの下準備
軍事介入をめぐる米国の立場
ディエンビエンフーにおける勇敢な行為と悲劇
インドシナ会議、英国の心配とフランスの提案
ハノイへ進む
ベトナムの分割
マンデス=フランス、ラニエルを辞任さす
チャーチルとイーデン、ワシントンを訪問
トンキン湾の撤退
停戦と国際管理
SEATO創設
力―電気の力と政治の力と
メンフィス市、電力の必要を陳情
連邦独占の危険、ディクソン・イェーツ論争
アドルフ・ウェンゼルの役割りについて調査
議会とヘルズ・キャニオン計画
アイダホ電力会社ダムの認可問題
地方の電力
グレン・キャニオン
米ソ電力競争
地方電化庁の役割りをめぐる論争
乗り越えた三つの障害―西欧、トリエステ、グアテマラ
第二次大戦後のドイツの復活
アデナウアー首相の役割り
ブリュッセル会議
フランス、欧州防衛共同体に反対
欧州統一についてのチャーチルの見解
ロンドンでの九ヵ国会議
西独、主権国家として承認され、NATOに参加
分割されたトリエステ、暴動、おどし、分割
グアテマラにおける共産党の兵器集結
アルベンス政府、ユナイテッド・フルーツ会社の土地を接収
OASの第十回米州会議
カスティヨの反共革命
スエズ問題解決さる
一九五四年の中間選挙
“市民”グループの貢献
議会選挙における大統領の役割り
立法をめぐる政党政治の影響
選挙演説
ニクソン副大統領の旅行
旅行から戻る
一九五四年の概観
第4部
米国の防衛のニュー・ルック
核戦争の脅威のもとで生活する
防衛体制の基準
軍事力と経済力
ペンタゴンの機構改革と“ニュー・ルック”として知られた近代的戦闘部隊の再編、批判さる
緊急行動の計画立案
中距離および大陸間弾道弾の開発
ポラリス潜水艦
台湾ドクトリン
共産軍金門島を砲撃
金門・馬祖両島の歴史的重要性
第七艦隊への指示
相互防衛条約
蒋介石
共同決議
大陳島からの撤退
バンコクでのマニラ条約理事会
中国共産軍の軍隊増強の評価
ラドフォード提督、ウォルター・ロバートソン、蒋介石と会談
バンドンのアジア・アフリカ会議
共産軍治岸諸島の砲撃中止
変り行く米国のための法律
ふえる人口、個人所得、雇用
政府の経済的目標
組織労働者にたいする政策
新しい労働長官
人工衛星計画と国際地球観測年
第八十四議会
ハロルド・タルボットの調査
ソーク・ワクチンの配給
均衡予算へ
貿易協力機構
学校建設法案とハイウェー拡張法案
ジュネーブでの会合
大統領と国際会議
頂上会談への期待
外交的準備と開会当初の動き
米国民への報告
代表、議題および背景
イーデンとブルガーニンの提案
気に入られようとする見えすいたソ連の努力
“空中査察”計画
ドイツ統一についてのフルシチョフの態度
人の変わったジューコフ
最終コミュニケ
外相会議での幻滅
第5部
心臓発作
デンバーでの休暇
冠状動脈閉塞症
シャーマン・アダムス、フォスター・ダレス、リチャード・ニクソン、外国の外交官などが見舞う
大統領の義務を継続
ワシントンでの歓迎
ゲチスバーグへ戻る
選挙の年の政治
ハイウェー法
ミッション六六
学校建設法案および不況地域法案成立せず
天然ガス論争
余剰農産物
“土地銀行”計画
農業のジレンマ
休会の儀式
第二の始まり
医師の病状報告と二期立候補をめぐる憶測
個人的、および政治的考慮
討議のため夜集まる
最初の三年間の評価
最終的決定
付録・年表・索引